4月21日

黄金の6年間:映画「エーゲ海に捧ぐ」シルクロードブームの源流を辿る道…

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日本文学界の “新人賞” それが芥川賞


よく誤解されがちだが、芥川賞は日本文学界のMVPではなく、新人賞である。

そう、例えて言えば、日本レコード大賞の「新人賞」にメディアや世間が騒いでるようなもの。「レコード大賞」のことは置いといて――。

実は、芥川賞が制定された当初は、ここまで騒がれる存在ではなかったという。例えば、1955年に遠藤周作が受賞した際は、授賞式も新聞社の文芸部と文藝春秋社の人間が10人ほど集まるくらいの内輪なものだったとか。

同賞が世間から一躍注目されるようになったのは、その翌年―― 1956年1月、一橋大学在学中の石原慎太郎が『太陽の季節』で、史上最年少(当時)の23歳で受賞してからである。圧倒的な若さ、無軌道な描写、享楽的な若者たち―― 同書から “太陽族” なる流行語が生まれ、社会現象となった。経済白書に「もはや戦後ではない」という文言が記されるのは、その半年後である。

文学界最大のお祭り、求められるものは何をおいても「新しさ」


それ以降、芥川賞は日本文学界最大のお祭りになった。開高健、村上龍、唐十郎、辻仁成、綿矢りさ、又吉直樹―― 時に異業種から、時に学生作家から受賞者が輩出されることも珍しくなく、またそれが社会現象となり、芥川賞の権威はさらに高まった。

一方で、芥川賞の権威の裏付けとして―― 文学とは常に新しくあるべし、という見方もある。小説を英訳すると「novel(ノベル)」だが、この言葉、語源は日本語の “述べる”―― というのはウソで、“new story” を意味するラテン語である。つまり、元来、小説とは何を置いても「新しさ」が最上級に求められたのだ。その視点に照らせば、新しい才能を発掘する芥川賞は、日本文学界最高の賞と言っても過言ではない。

そう、それは画家や版画家、書家、陶芸家などマルチに活躍された池田満寿夫サンが処女作『エーゲ海に捧ぐ』で1977年に芥川賞を受賞した時もそうだった。正直、技巧的なことを言えば、彼よりも上手い新人作家は数多いた。だが―― その絵画的な描写は確かに新しかった。それゆえ、選考会は荒れに荒れ、選考委員の一人、作家の永井龍男が抗議で辞任するという事件にまで発展する――。

少々前置きが長くなったが、今日4月21日は、そんな池田満寿夫サンの『エーゲ海に捧ぐ』の芥川賞受賞から2年後、1979年に同小説の映画版が公開された日に当たる。

シルクロードブームの発端、それは “南太平洋裸足の旅” なのか?


さて、ここからが本題である。
実は本コラム、以前に僕が書いた『黄金の6年間:ジュディ・オング「魅せられて」シルクロードブームの源流を辿る道…』の続編である。70年代後半、やたらエンタメ界で、地中海や西アジア、インド、モンゴル、中国など、シルクロードを連想させる楽曲やテレビ番組が頻発したが、あの一連のブームは何が発端だったのかを探るというもの。

前回は、ジュディ・オングの「魅せられて」を入口に、プロデューサーであるCBSソニーの酒井政利サン経由で、電通の藤岡和賀夫プロデューサーの発案で行われた、あるイベントに辿り着いた。酒井サンを始め、各界で活躍するクリエイターたちを集めて、南太平洋のサモアにて行われた、1977年夏の「南太平洋裸足の旅」である。

それは、ワコールと資生堂がスポンサーについていた。目的は、各界のクリエイターたちによるブレーンストーミング。その成果の1つが、ワコールのCMソングの「魅せられて」であり、同CMとタイアップした映画『エーゲ海に捧ぐ』だった。もちろん、原作者の池田満寿夫サンも、「南太平洋裸足の旅」に参加した一人である。

角川春樹の動向、自社の文芸誌「野性時代」に掲載された小説なのに…


―― となれば、池田サンの同名小説の芥川賞受賞に、シルクロードブームの源流を紐解くヒントがありそう…… と想像を巡らせたところで、はたと途方に暮れたのが前回のラストだった。なぜなら、それは角川書店(現・KADOKAWA)の文芸誌「野性時代」の作品ながら、映画化にあたって角川春樹社長(当時)が絡んでいなかったからである。芥川賞の話題作なのに――。

今回、その答えを探るべく、改めて件の小説を読み返してみた。

何のことはない。答えは文中にあった。かの物語に “エーゲ海” は一切登場しない。それは、米・サンフランシスコにいる “私” と、日本にいる妻との国際電話の会話がメインの話だった。エーゲ海とは、“私” が愛人の女性器につけた愛称である。わずか50ページ強の短編だ。これを春樹社長が映画化しなかったのは、極めて理性的な判断だろう。

思い返せば、角川映画第1作は『犬神家の一族』、2作目は『人間の証明』、3作目が『野性の証明』―― どれも、バリバリのエンタテインメントだ。要は、春樹社長は、客の呼べる原作にしか興味がなかったのである(褒めてます!)。

原作も脚本も監督も池田満寿夫、でも小説と映画は全くの別もの


そんな次第で、小説『エーゲ海に捧ぐ』と、映画『エーゲ海に捧ぐ』は別もの。映画版は、池田サンが自身の別の短編小説『テーブルの下の婚礼』の要素も加え、設定を東京からローマとエーゲ海に移し、オリジナルのシナリオに仕上げ、自ら監督したもの。日本とイタリアの合作映画である。

有名な話だが、主人公の愛人役に、今や政治家として活躍するチチョリーナが出演している。当然ながら脱ぎまくっているが、いやらしい感じはしない。それもそのはず、同映画はワコールが出資しており、彼女はそのCMモデル(商品はフロントホックブラ)で、何より清潔感が求められたのだ。

つまり―― 映画『エーゲ海に捧ぐ』は、ワコール(あるいは電通)が池田サンの小説から “エーゲ海” のワードだけ拝借し、かの地を舞台に物語を作り替えるよう、リクエストしたもの。官能的な描写こそ話題になったものの、逆に言えば、それだけの作品だったとも。となると、なおのこと、なぜ彼らがそこまでエーゲ海に執心したのか、新たな疑問も残る。

新説登場! TBS「おはよう720」の “ユーラシア大陸横断企画”


困った、振出しに戻る―― その時だった。ふと、前の「魅せられて」のコラムがアップされた際にフォロワーさんから寄せられた、ある番組のことを思い出した。それは、こんな書き込みだった。

“ご存知かとは思いますが、75-76年にTBS『おはよう720』の「ユーラシア大陸横断企画」が人気を集め「ビューティフル・サンデー」も大ヒット。”

そうだ、『おはよう720』の「キャラバンⅡ」だ。「リスボン-東京70,000km」と銘打ち、トヨタの協力のもと、番組キャスターたちが交代でカローラセダンとクラウンワゴンに乗り込んで、ユーラシア大陸を横断した、あの企画――。テーマソングは、ダニエル・ブーンの「ビューティフル・サンデー」で、同番組からオリコン15週連続1位の大ヒット。

思えば、1975年4月に南ベトナムの首都サイゴンが陥落し、長きに渡ったベトナム戦争が終結。アメリカ兵たちは国に戻り、そこで花開いたのが、西海岸のアウトドアスポーツ文化だった。一方、同年7月には、ヨーロッパで東西冷戦の壁を越えて、北米を加えた35ヶ国による全欧安全保障協力会議で「ヘルシンキ宣言」が採択。欧州でも急速な雪解けが進んだ。

そう、70年代半ば、世界はデタント(雪解け)を迎えた。その年の秋に始まったのが、モーニングショーの草分け、TBSの『おはよう720』だった。まだ日テレが『ズームイン!!朝!』を始める4年前。民放の朝はTBSの独擅場だった。その番組で人気を博した看板コーナーが、ユーラシア大陸をクルマで横断する「キャラバンⅡ」だったのだ。

70年代後半、憧れの外国はパリからアメリカへ、そしてシルクロード…


かつて、日本人にとって、長らく憧れの外国はパリであった。それが70年代半ば、転換期を迎える。1つは、76年に創刊された平凡出版(現・マガジンハウス)の『POPEYE』が広めたアメリカ西海岸文化である。アウトドアやリゾートスタイルが脚光を浴び、日本のポップスも影響を受けた。

そして、もう1つが、『おはよう720』がユーラシア大陸横断企画で牽引した、いわゆるシルクロード文化だったのではないか。それを機に、地中海からエーゲ海、西アジア、インド、モンゴル、中国等々にも光が当たり、かの地を舞台としたエンタメ作品が70年代後半にかけて量産される――。

(石坂浩二サンのナレーションの口調で)
ただ、シルクロードの源流を辿る道は、これ一本ではない……。


※ 指南役の連載「黄金の6年間」
1978年から1983年までの「東京が最も面白く、猥雑で、エキサイティングだった時代」に光を当て、個々の事例を掘り下げつつ、その理由を紐解いていく大好評シリーズ。

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etc…


2020.04.21
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カタリベ
1967年生まれ
指南役
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