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ミスターAOR《ボビー・コールドウェル》はどうやって日本市場に売り出されたのか?

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ボビー・コールドウェルのアルバム「イブニング・スキャンダル」が日本でリリースされた月
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ミスターAORこと、ボビー・コールドウェル


ミスターAORこと、ボビー・コールドウェルのデビューアルバム『BOBBY CALDWELL』は、アメリカでは1978年10月に発売されており、日本ではCBSソニー(あえて当時の社名を使ってます)より翌年3月に『イブニング・スキャンダル』の邦題で発売されました。

アーティストの制作担当者は、私の同僚のKさん。当時、私自身は制作業務に就く前で、宣伝チームでTVや新聞などの大型メディアを担当していました。アルバムからのファーストシングルは「風のシルエット」。この心地よいヴォーカルの響きとサウンドの世界観も、時の流れとマッチして大ヒットしました。



本国でのレコード会社は、我々の合弁先のアメリカCBSではなく、ダンス音楽やR&B強化の目的で契約していた、マイアミ・ベースのTKレコードです。これから数年後には倒産して消滅してしまいます。しかし、このダンス音楽シーンでは高名なレーベルでした。

このレーベルからリリースされた日本人にも馴染んでいるヒット曲と言えば1975年、全米ナンバーワンに輝いた「ザッツ・ザ・ウェイ」ですね。アーティストはKC&サンシャインバンド。ディスコブームの中大ヒットしました。全国のディスコで毎晩何回もかかっていたはずです。

つまりこういうTKレコードですから、レーベルの主力ターゲットは黒人です。そういう先入観もあり、担当者からボビーの音源を聴かされた時、我々宣伝チーム全員彼を黒人アーティストだと思っていましたが、アーティスト写真を見せられて驚きました。

因みに、当時白人によるR&Bフレイバーのヴォーカルものは、ボズ・スキャッグスやホール&オーツなどはその代表ですが、ブルー・アイド・ソウルと呼ばれてましたが、最近はこの言葉を目にする機会も少なくなりました。全てAORの範疇で語られているのかもしれません。

アメリカ本国でのヒットは血統書付きのようなもの


TKレーベルは、地元のR&Bラジオにはめっぽう強いのです。実際、彼のシングルは、マイアミのR&Bラジオで火がつき全米に波及。数か月遅れてポップスチャートにはいってきました。時系列的に1978年12月から年明けにかけ、ビルボートのTOP100にチャートインした頃から、やっと我々の目に触れることになるのです。

時代的にものんびりしたもので、本国から事前にプライオリティとしてプッシュが来ない限り、チャートインどころか、TOP40に上がってきて、初めて日本での発売を検討する…… といったテンポ感でした。

日本の洋楽マーケットは大体がアメリカのヒットシーンのスライドです。日本でもヒットはラジオ、特にAMの深夜放送が作っていた時代ですから、もちろん楽曲が図抜けて強いものであれば、本国の状況関係なしに、日本独自に頑張っていくということはありました。しかし、ライバル各社のシングル曲が集まっている深夜放送の限られた選曲枠で戦い抜ける強さがないと太刀打ちできません。

別の表現では、アメリカ本国のヒット曲というのは最初から血統書付きのようなもので、オンエアのギャランティはありませんが、選曲リスト上に優先席は用意されていました。

少々ボビーから話はそれていましたが、そういう事情だけに、日本のレコード会社洋楽部のレコード編成はアメリカのヒット状況次第という側面が多く、ちなみに1月のヒットチャートを見て、発売を決めたとしても、その月の編成会議にかけることになるので、発売は3月ということになるのです。

制作担当者が生み出すボビー・コールドウェルの世界観とは?


今回のテーマは制作マンの仕事(マーケティング力)についてです。ボビーの売り出し方で、出色なのは、何と言ってもタイトル、キャッチフレーズにあります。邦題で使われている ”イブニング” も ”スキャンダル” も ”シルエット” も雰囲気ものですが、アーティストやサウンドのイメージが明確に伝わります。

もちろん、言ってしまえば全て制作担当者のでっちあげですし、作品の歌詞やテーマ関係なしにアルバムカバーのデザインと音からだけで、彼の妄想が生みだした “ボビー・コールドウェルの世界観” です。

洋楽のディレクターの仕事ですが、会ったこともなければどういう人物かもわからない。どういう状況でこの曲をつくったのか皆目見当もつきません。そういうゼロのものを、勝手にイメージしつつ、白紙に下書きして最後は色を付け、会ってきたかのような人物像を完成させていきました。見事な妄想力です。これが “クリエイティビティ” です。

とは言え、ヒットすることやモノが売れる、ということは、時代のフォローウインドがないことには大きなものにはなりません。ここが次のポイントです。

音楽がよりアウトドアへ。ここに乗っかったAORブーム


時代はまさに西海岸カルチャーが大人気。この文化を創出した『ポパイ』の創刊は1976年。イメージするのは青い空、白い砂、パームツリーにすだれ。美しい夕陽そして宝石をちりばめた夜景。音楽はドライブに欠かせず、お気に入りのカセットをつくったり、タイミングよくSONYウォークマンも1979年に発売されました。

これをきっかけに音楽がよりアウトドアへ出ていき、机にしがみついて深夜放送で聴いていた音楽が、自分のライフスタイルの中でBGMとして生活の一部になり、サウンド的に心地よいものが流行し始めていました。ここにAORブームも乗っかっていたのかと思います。

ボビー・コールドウェルはマイアミ発でしたが、Kさんが創り出した彼のイメージは、完璧に時代の流れとシンクロし、大ヒットしたと言えると思います。このフォローウインドに乗せれるかどうかの言葉選びは、レベルは違いますが、まさに広告業界のコピーライターと同じような能力が求められるのです。

アルバム、シングルとも発売直後から順調に売れていたのですが、決して、深夜のラジオ・エアプレイが頑張ったというよりは、実はTKレーベルと言うことでディスコDJたちからは親近感を持って応援もらっていたようです。70年代はディスコブーム。このR&Bフレイバーの音楽をかけまくってくれました。

実際、ダンス音楽として作られてなくても、心地よく踊れれば誰にでもアピールできるのです。グレイゾーン対応のメディアとしてのディスコ発信のヒット曲も数多く出ていました。

実は活字メディアにしても同じような傾向にあったかもしれません。洋楽のコアゾーンが支持する音楽専門誌もさることながら、極めて当時の若者文化を担った文化発信型情報誌、前述のポパイ誌やファイン誌などでのパブリシティが裾野拡大に効果的だったようです。

日本制作担当者の豊かな発想


思えば、黒人ユーザーを主力にもつTKレーベルとしても、白人である事を恣意的に隠すために、アルバムジャケットに本人を出さずにシルエットにしたものだと思われます。

逆にこれが日本では制作担当者の発想を豊かにし、イメージを自由に膨らませやすくしてくれたようです。顔出しのジャケットなら、『イブニング・スキャンダル』も「風のシルエット」も思いつかなかったかもしれません。

Kさんが作ったアルバムの帯にこう書かれていました。

“シルエットは揺れ動く、スキャンダラスな夜。今夜はトロピカル・ランデブーとシャレてみようぜ。”



鳥肌が立ちますが、当時はこういう時代感でした。

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2023.04.13
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カタリベ
1950年生まれ
喜久野俊和
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