『30年越しのリック・アストリー ~ 灼熱のサマーソニック大阪篇』からのつづき
8月20日日曜『サマーソニック東京』のフー・ファイターズのステージにリック・アストリーが現れ、ニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のアレンジでリックの「ギヴ・ユー・アップ(Never Gonna Give You Up)」を歌ったというニュースは文字通り世界を駆け巡った。
前日サマソニ大阪でフーファイとリックを観た僕は、両者の共演を羨ましく思うと同時に少し不思議な気分になった。フーファイのデイヴ・グロールが大阪のMCで「リック・アストリーとBABYMETALとケシャと一緒になるフェスなんて他に無い。クレージーだ」と笑っていたからだ。
しかしリック・アストリーのこの30年の歩みを見てみると、この共演も無理の無いものであることが分かってくる。
1987年から88年にかけて「ギヴ・ユー・アップ」と「トゥゲザー・フォーエヴァー」の大ヒットで世界を席巻したリックだが、この2曲のプロデューサーであり作詞作曲チームのストック・エイトキン・ウォーターマンとは、意外なことにアルバム2枚だけで1990年までに袂を分かっている。
しかし’90年代前半にアルバムを2枚リリースするも’80年代の様な成功は収められず、1993年リックは27歳で音楽界から退く。前年に娘が生まれ、家族との生活を優先するというのが理由だった。
2001年にアルバムをリリースし復帰するもやはりかつての栄光には程遠かった。そんなリックに思わぬ事態が発生する。
2007年、リックの「ギヴ・ユー・アップ」のMVがインターネットの釣り動画となる “リックロール” という現象が欧米で発生する。ウィキペディアにも項目があるので詳しくはそちらをご参照頂きたいが、要はふた昔前の大ヒット曲と時代遅れのMVを茶化した現象であった。
この現象により再び注目されたリックは翌2008年のMTVヨーロッパ・ミュージック・アワードで突如「史上最高の歌手(Best Act Ever)」に投票で選出されてしまう。屈辱的であっただろうが、これをバネにしたのかリックはここから本格的にシーンに復帰する。
昨年2016年、50歳になったリックは実に11年振りのアルバム『50』をリリースする。何と作詞作曲も楽器の演奏も、プロデュースも全て彼自身。実はリックは元々ドラマーであり、またデビューアルバムから自作の曲も収めていた。サマソニ大阪でもこのアルバムから1曲歌われたのだが、地に足が着いた感のある骨太なポップスで好感が持てた。
そしてこのアルバム、何とイギリスで1位に輝いたのである。1987年のデビューアルバム『ホエネヴァー・ユー・ニード・サムバディ』以来実に29年振りの1位。驚異的な復活劇。“リックロール” の屈辱は鮮やかに返上された。
“リックロール” に前後してリックの「ギヴ・ユー・アップ」とニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」がマッシュアップされた動画がネットにアップされた。またリックはフー・ファイターズのファンで代表曲「エヴァーロング」を自らのライヴでカヴァーしている。よってサマソニ東京でのリックとフーファイの共演は無理の無い流れであった。ましてやリックが第一線に返り咲いた今では。
リックの30年来の歩みを見て、僕は改めて灼熱のサマソニ大阪でわざわざリックを観に行ってよかったと思った。観に行かなければ僕は’80年代の雄リック・アストリーの劇的復活に触れないままだったかもしれないのだから。
リックはサマソニ東京翌日、8月21日の単独公演で「エヴァーロング」を歌った。関西で家族旅行をしていた僕はまたしてもほぞを噛んだのだが、翌22日の夜、僕は東京でリックと思わぬ “再会” を果たすことになる。この夜については
『30年越しのリック・アストリー ~ トレヴァー・ホーンと共演篇』で。
2017.09.13