今から30年前の1986年、ポール・マッカートニーはオリジナルアルバム『プレス・トゥ・プレイ』が全米30位に終わるというソロワーストの記録を出してしまう。しかし、その一方でポールは今日まで繋がる活動の第一歩を踏み出していた。それがこの年の6月20日に開催されたプリンス・トラストコンサートである。
プリンス・トラストはイギリス・チャールズ皇太子が主宰する若年失業者をサポートするチャリティ。ロンドンのウェンブリー・アリーナで行われたチャリティコンサートにポールは出演した。ロイヤルシートにはチャールズ皇太子、ダイアナ妃の姿もあった。’80年代に入り、盟友ジョン・レノンの死もあり自らのバンド、ウイングスも解散したこともあって、ポールはライヴから遠ざかっていた。前年1985年のライヴ・エイドのトリでようやく「レット・イット・ビー」をピアノ1本で披露したのが、ここまでの’80年代唯一の公衆の面前でのパフォーマンスであった。
エルトン・ジョン(key)、エリック・クラプトン(g)、フィル・コリンズ(dr)、マーク・ノップラー(g)等そうそうたるメンバーをバックに従え、トリでポールはステージに現れた。ブカブカなジャケットとパンツ、ポールも思いっきり’80年代のいでたちであった。
1曲めはビートルズのデビューアルバムの冒頭を飾る「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」。意外なことにソロではこれが初披露。ポールはアコギを手に歌い、ブライアン・アダムスがハーモニー・ヴォーカルを取った。続く2曲めはビートルズや初期ウイングスのレパートリーでもあった「ロング・トール・サリー」。前曲同様ポールのオリジナル・キーでの歌唱は冴え渡り、ブランクを感じさせなかった。
そして最後はこれまたソロ初披露のビートルズナンバー「ゲット・バック」。この曲だけはキーが落とされていた。ポール・ヤングやティナ・ターナーという’80年代の顔もリードヴォーカルを取るためだったのだろう。マイクを挟んでのポールとティナの熱いヴォーカルの応酬でフィナーレを迎えたのだった。
以上3曲、ポールは全てアコギでベースを手にしなかった。やはり未だ “リハビリ中” だったからなのだろうか。しかしヴォーカルはいきなりトップギア。ポールのロックンローラーっぷりは健在で、前年のライヴ・エイドの欲求不満はかなり解消されたのだった。
このコンサートの模様は程無くレーザーディスクとVHSでリリースされた。VHSも未だ普及途上の当時、動くポールの姿は本当に貴重だったので、当時大学2年の僕はバイトで貯めたお金で買ったレーザーディスク・プレーヤーでポールのパートを繰り返し繰り返し観たのだった。ネットの普及した今では隔世の感があるが、逆に言うと僕は未だにこのライヴの1シーン1シーンを鮮明に覚えている。恐らくポールのライヴ映像で個人的な再生回数は未だNo.1なのではないだろうか。
そしてこのコンサートでライヴの愉しさを思い出したポールは、これから3年後の1989年、10年振りにツアーを再開する。それからのポールのライヴでの大活躍は、5回の日本公演を含め、改めて言うまでも無いだろう。全てはここから始まったのだ。
2016.12.30
YouTube / Prince's Trust
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