舞台は「1977年」のロンドン南部クロイドン、冴えないパンクキッズのエンと宇宙人美女ザンの48時間の許されざる恋を描いたこの映画は、初っ端からダムドの「ニュー・ローズ」が流れることでパンクなビートを刻み始める。そしてエンとザンがほとんどアドリブで歌い出す中盤のライヴシーンはこの映画の一つのハイライトともいえる箇所で、二人の恋が高揚していくのに合わせるように映像はサイケデリックに変貌していき、最終的に二人は(一種のエクスタシー表現として)宇宙空間に投げ出されさえする。
映像・音楽ともども圧巻だ。とはいえこの地球人と宇宙人の恋模様を眺めながら、僕の頭でずっと鳴り響いていたのは、実はそこに聞こえるはずのない翌年「1978」の音楽だった―― それはジ・オンリー・ワンズの「アナザー・ガール、アナザー・プラネット」。
正にタイトル通り「君といると別の惑星にいるみたいだ」と歌うこの元祖パワーポップの名曲は、実のところラヴソングを装ったドラッグソングだと知られている(「僕はいつも死と戯れている」とか、「君は僕の皮膚の下に入ってくる」といった、いかにもヘロインを連想させる歌詞がある)。
とはいえ、この曲はやはり作り手の意図を超えて、地上と宇宙を繋ぐ純粋無垢なラヴソングでもあるはずだ。なぜならロキシー・ミュージックが「ラヴ・イズ・ザ・ドラッグ」と歌ったことからも分かるように、その快楽や依存度の面で「愛」と「ドラッグ」は意味的に交換可能な筈だからで、「あらゆるドラッグソングはラヴソングである」と逆方向にも解釈しうるはず、という(へ)理屈である。
ここでさらに、ヴァレリー・フィリップスというガーリー・フォトの旗手が、『ANOTHER GIRL ANOTHER PLANET』(日本版はDU BOOKSより)という明らかにジ・オンリー・ワンズを意識したタイトルの写真集を出していることに注目してみよう。とてもユニークでチャーミングな、一癖も二癖もありそうな女の子たちを捉えたガーリーポップな(≒ソフィア・コッポラしてる)写真集で、言ってしまえば彼女たちは自分の小宇宙を形成する、平均的男子の視点から見れば宇宙人のような異形の女の子たちだ。
この写真集のことを踏まえると、ザンという宇宙人美女とは、実は個性的なサブカル女子に初めて恋してしまった男の子が作り出した、思春期特有の甘酸っぱいメタファーなのではないだろうか。多かれ少なかれ、男子にとって女子とは永遠に宇宙人みたいなものなのだし、「ボーイ・ミーツ・ガール」と書いて『未知との遭遇』とスピルバーグ読みしてもいいくらいなのだ。
ちなみにこの「アナザー・ガール、アナザー・プラネット」は、以前にコラムで取り上げた「不適合者、負け犬、田舎者」という烙印を押されたバンド、ザ・リプレイスメンツもカバーしている。
参考:
「くたばれMTV!リプレイスメンツのパンク的映像表現」「唯一者」(オンリー・ワンズ)を「交換可能な奴ら」(リプレイスメンツ)が引き継いだという、名前だけで見ると滑稽極まりない感じだが、結局大ブレイクすることなく、パンクの初期衝動に突き動かされるまま地べたを這いずったこの二つのバンドこそ、宇宙を見上げ、「別の惑星から来た、別の女の子」を夢みる資格があったのではないだろうか?
セックス・ピストルズの夢みた千年王国的な革命の焼野原とは違った、宇宙をユラリユラリと旅するオンリー・ワンズ的な『恋する惑星』もまた、パンクの夢みたもう一つのユートピアであったはずだ、そう僕は『パーティで女の子に話しかけるには』を観て思った。
2017.12.14