多くの人がそう感じていると思うが、月曜日はブルーになりがちだ。 理由はクドクドと書かないが、子どもの頃、日曜の夜はサザエさん症候群にフツーに陥っていたし、大人になった今では中央競馬の馬券を買って負けた瞬間に週末が終わる…嗚呼。 話は飛ぶが、30年以上前のインターネットがない時代、“歌” はニュースを伝える役割を果たしていた。わかりやすい例を挙げると、バンド・エイドの「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」。1984年、エチオピアの飢餓のニュースをこんなにクリアに伝えた歌はなかった。新聞もロクに読まないボンクラ高校生には貴重な情報源でもあったのだ。 そこから遡ること4年ほど前、田舎の中学生に、かなりショッキングなニュースが歌で届けられた。ブームタウン・ラッツ「哀愁のマンデイ(I Don't Like Mondays)」。イギリスでバカ売れしているらしいこの曲は、1979年1月のとある憂鬱な月曜日、米カリフォルニア州で起きた殺人事件をモチーフにしていた。16歳の女の子が自宅から銃を撃ち、2名が死亡。その動機は「月曜日が嫌いだから」 ―― 得体の知れないゾクゾクが駆け抜けた。ヒドい事件だ。でも気持ちはすごくわかる… とサザエさん症候群の中坊の心はかき乱された。 FMでエアチェックしたこの曲を何度も聴いた。一歩間違えれば、自分もこうなってたんじゃないか… という恐怖を感じながら、パンクバンドらしくないピアノと弦楽に身を任せた。 振り返ると、この体験は重要だったんじゃないかとよく思う。連続殺人鬼のルポは大好きでよく読むが、結局のところ、それは殺人犯の狂気と自分の狂気の差異を確認する作業だ。 ロックを好んで聴いている人間は特にそうだが、“自分のアタマおかしいわー” と思うことがある。しかし、いくらアタマがおかしいと思っても、やって良い事と悪い事の区別くらいはつく。その区別をこの曲で歌われた月曜の憂鬱、そこからくる狂気への恐れから学んだような気がするのだ。 ブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフは、この後、先述のバンド・エイドの仕掛け人となって注目を集め、ライヴ・エイドでも同曲を演奏。同じ頃に高校生となっていた自分はニュー・オーダーというバンドを熱烈に好きになり、その前身であるジョイ・ディヴィジョンというバンドを知って、今度は自殺の狂気と格闘していた。そして、故イアン・カーティスとの差異を考えることになる。 追記。 中学の頃にエアチェックして何度も聴いた 「哀愁のマンデイ」はアルバムバージョン。後に入手したシングル盤は、もっとも切なくなる箇所をバッサリとカットしている。ぶっちゃけ、このエディットバージョンは盛り上がりに欠けるので、あまり聴いていない。
2017.11.15
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YouTube / TheBoomtownRatsVEVO
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