昭和が終わり、新たな時代へと突入した90年代―― 音楽、ファッションが相関した「渋谷系」と呼ばれるカルチャーが動き始めた。
元ネタとして、R&B、DJ カルチャーと連動したヒップホップ、ネオアコ、ギターポップ、ボサノバ、アシッドジャズなど幅広いジャンルを下地とした都市発信型ムーブメントの総称だ。ここから、ラウンジミュージックなる言葉も広く浸透していく。つまり、くつろげる音楽といったものだろうか。
このように渋谷系は、綿密な音楽的背景がありながら、ある種の清涼感を感じ、深く、ゆったりと都市生活を満喫する音楽スタイル指したものだったと思う。また、この渋谷系を源流として、僕個人としては90年代のベストアルバムだと思っている小沢健二の『LIFE』が生まれた。
80年代から90年代へ。その転換期を象徴するムーブメントが渋谷系であったわけだが、その対極として大きな盛り上がりを見せていたのが遅れてきたパンクロックだった。
その発端は、三度目となった90年のラモーンズの来日。この年だけで彼らは川崎クラブチッタ4日連続公演を含む12公演を実現。この熱狂から70年代のパンクロックは、その魂が蘇生され、90年代が幕開けした東京で確固たるジャンルとして浸透していく。
それは後追いであったとしても、夢中になっている僕らからしてみれば、確かに紛れもなく最先端のリアルミュージックだった。76年のニューヨーク、77年のロンドンを東京で体現できると信じられた稀有な時代だったと思う。ただ、少し高いチケット代を除けば…。
このピークは翌91年にやって来る。前年から引き続くラモーンズの来日、そして、トイズファクトリーが主催した『PUNKROCK 1991』と題された一連の来日公演もあった。
ロンドン三大パンクバンドのひとつダムド、70年代後半、クラッシュのフォロワーと言われ、英国ユースカルチャーのスキンヘッズからも絶大な支持を得ていたシャム69。
アナーキーの「3・3・3」の元ネタ「サスペクト・ディヴァイス」で有名な北アイルランド出身のスティッフ・リトル・フィンガーズ(以下 SLF)。
ロックンロールをハードコアへ昇華させた G.B.H、カオスUK などハードコア勢。
僕の記憶が正しければ、これら全ての公演が行われたのが90年から91年にかけてである。
ちなみに、この中で強烈なインパクトを残したのが SLF のステージングだ。サポートメンバーに元ザ・ジャムのベーシスト、ブルース・フォクストンを従え、現役感半端なく疾走感溢れるライブだった。誰よりも高くジャンプするブルースの姿が今でも脳裏に蘇るほどで、ここに僕の求めるパンクロックの全てがあった。
そして、91年と言えば、日本では Hi-STANDARD が結成。一方、アメリカのパンクシーンに目をやると、メロコアの顔、NOFX のファット・マイクがファット・レック・コーズいうレーベルを立ち上げ、後に大成功を収めるランシドやラグワゴンを輩出している。
また、この年には全世界で7500万枚のトータルセールスを誇ったニルヴァーナの『ネヴァーマインド』がリリースされる。つまりメロコアやグランジという新たな波が押し寄せてきた年でもあったということだ。
オリジナルパンク、メロコアーー そして、この趣向とは対極にある渋谷系。90年代に突入した東京のストリートにおいて、この三つのジャンルが時代の幕開けを象徴していた。
そして、これらは TV、メジャーな音楽雑誌など大きなメディアの力とは関係なく、都市の中で成熟していった。そこには時系列で音楽を聴き、懐かしむという感覚は皆無。新しい古いを語る価値観はすでに無くなっていたように思う。これは80年代から90年代へと移り変わる中で、リスナーの音楽との向き合い方が深化していった証ではないだろうか。
2018.08.01
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