カラオケを避け続けてきた理由
今月のリマインダーの
ディスコ特集を読みながら、脳裏に浮かんで来た “あの日のこと” を書こう。
場所はディスコではなく、カラオケパブ… と言えば良いのだろうか。80年代アパレル会社勤務時代の秋。いつものように本社で店長会議が行われ、終わり際に社長が、
「今日は食事会をやるぞ。カラオケもあるぞ!」
皆が狂喜乱舞するなか、一人憂鬱な私。社長がご馳走してくれる食事会は嬉しいが、実はカラオケが苦手だ。その理由は…
流行りの邦楽を知らない
洋楽は圧倒的に数が少ない
酔っ払って潰れた人の世話が面倒
さらに当時は取引き先のおじさんと「銀座の恋の物語り」などをデュエットしなきゃならないのが辛い
―― だから、出来るだけ避けてきた。
向かった先は六本木、予約必須の店
社用車2台で向かった先は六本木。
当時、夜の六本木方面は “ひっきりなし” の大渋滞。路上駐車の規制も緩かった時代だからそこかしこに車が停められ、車線が狭まりさらに渋滞…。
車を降り向かったのは “2001年”。伝説のディスコ、マハラジャグループを率いる成田勝社長の弟、成田恭教社長がマハラジャより先に開店した六本木交差点至近のカラオケパプで、一般客より芸能人、業界人の溜まり場として知られている店だった。
“成田兄弟” と言うと当時は追っかけがいたほどの夜の遊び場のスター兄弟だった。
当時は要予約必須の店で、綺麗で高級感あふれる豪華な仄暗い店内。そこに私達団体は予約席に通された。
レストランやラウンジのように黒服の店員が多数いる。因みに “黒服” という言葉はマハラジャの店員の制服がタキシードだったことから「黒服」と一般には呼ばれるようになったらしい。
しかし場所柄、かなり私達は場違いな客層だった。
仄暗い店内は、髪の毛トサカ前髪で肩パット入りの白いスーツの女性やワンレンボディコン、ハイヒールの女性ばかり。連れの男性も黄色や赤の肩パット入りのダブルのスーツが目立つ。
そこにスニーカーにデニムパンツやロングスカートに刈り上げの私達アパレル軍団は明らかに浮いていた。
呼ばれた先、VIPルームにいた中森明菜
居心地悪く感じるなか「好きな物を好きなだけ頼んでいい」という社長の言葉に、メニューを見てあれもこれもと皆で頼んだら、きちんとしたシェフが作った一品料理が次々出てきた。新宿、渋谷の大箱ディスコのフリーフードとは全く違う。
その社長は、いわゆるVIPルームに挨拶に行ったきり戻ってこない。
店にはカラオケもあるので、ずっと誰かが歌っている状態のなか、私はひたすら食べることと時折拍手に専念していた。すると黒服さんが「ロニー店長様でいらっしゃいますか。VIPルームで社長がお呼びです」と耳打ちしにきた。私の他にも呼ばれた数人と席を立ちVIPルームに移動。
―― するとVIPルームには成田恭教社長、うちの社長、他男性数人と中央に中森明菜がいた。
うちの社長曰く、明菜ちゃんが今日着ている私服は私が接客したもので凄く気に入っているとのことで、かなりお酒も入って上機嫌になり、私と、デザイナーと、明菜ちゃんの大ファンの別店舗の店長を呼んだらしい。私は脊髄反射のように姿勢を低くして、
「その節はお買い上げ有難うございます。よくお似合いになってます」
… というあいさつが咄嗟に口から出た。明菜ちゃんはにっこり笑いながら着ているうちのブランドのベルトやシャツを見せてくれた。
聴こえてきた「DESIRE」と合いの手
すると誰かが店内で「DESIRE」を歌い出した。と、同時に成田社長、並び他の男性達が、
まっさかさまに 堕ちてDESIRE
(落ちたら早いよ水商売!)
炎のように 燃えてDESIRE
(燃えたらしつこい30代!)
ぶつかりあって 廻れDESIRE
(廻って廻って目がまわる~)
星のかけらを つかめDESIRE
(つかんだ男は離さない~)
な・ん・て・ね!
(ハァー!ドッコイ!)
寂しい~
(ドンドンドンドンドンドッコイショ!)
いわゆる “合いの手” を初めて聴いたのはこの時だった。
“合いの手” は新宿2丁目のバーが発祥というのが一般的だ。当時、中森明菜のドラマティックな振り付けと衣装は2丁目界隈で大人気だったらしく、そこから水商売界隈で合いの手が浸透していき、一般のカラオケに知れ渡っていった。
中森明菜も「ハァー、ドッコイ」
明菜ちゃん本人は、最初やや驚いたような顔からやがて屈託のない笑顔に変わり、誰か一般の人が歌う「DESIRE」に入る合いの手を楽しんでいたように見えた。
そして、最後の繰り返しには小さく「ハァー、ドッコイ」と明菜ちゃん本人も言っていた。
成田社長が私達が緊張しているのを見てか、明菜ちゃんにマイクを渡してから「一緒に合いの手、入れてね」と言った。
程なくしてVIPルームで、中森明菜本人自らがソファーに座りながら「DESIRE」を歌い出した。
もちろんサビでは私達も合いの手を入れた。吹き出しそうになりながらも酒の席で座りながらきちんと歌い上げる彼女はサービス精神旺盛なプロだと感動した。
歌い終わった後、思い切り破顔してマイクを置いた彼女に挨拶して、私達はVIPルームを後にした。
―― その店にはそれ以来行っていない。当時不夜城のような六本木は私には場違いな場所だったからだ。
その後カラオケボックスが全盛になり、今は合いの手を入れるのはおじさん、おばさんしかいないらしいと聞いた。いわゆる昭和の遺物か。
数あるあの時代の合いの手ソングの中で「DESIRE」は金字塔だ。合いの手が入ることでさらに歌い手がノリ易くなるお手本みたいな歌だ。
30代をとうに超え “燃えかす” になった今でも「DESIRE」を聴くと脊髄反射のように合いの手を口ずさみながら、笑いを堪えながら歌う “あの日の明菜ちゃん” を思い出す。
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2022.04.26