14歳。色気づく年頃である。しかし、まだまだ子供だ。
その頃、私と同学年のアイドルが2人、ほぼ同時にデビューした。武田久美子と岩井小百合である。14歳でデビューしているアイドルは別に珍しくはないが、自分と同い年のアイドルが出てきて「いよいよ自分もそういう年頃になったか…」とシミジミしたものである。
この2人は誕生日が2日しか違わず(久美子は1968年8月12日生まれ、小百合は1968年8月10日生まれ)、歌手デビューも同じ1983年1月だった。オマケに2人ともポニーテール。当時のトレンドを反映している。
このように共通点が多い久美子と小百合だったが、今思えばタイプがまったく違う。
武田久美子は、歌手デビューの前年に映画『ハイティーン・ブギ』で近藤真彦の相手役を演じているが、彼とのキスシーンがあったことからカミソリ入りの手紙がたくさん送られてきたという――
そんなスタートを切った彼女は比較的早くアイドル業を脱し、二十歳頃にはドラマ『青春オーロラ・スピン スワンの涙』(フジテレビ系)で宮沢りえを執拗にいじめていた。その挑戦的な目はもう「女王様」だった。
そして「貝殻ビキニ」で有名なあのヌード写真集が1989年に発売された当時、彼女は21歳。武田久美子があんなに豊満で、しかもホタテ貝の貝殻で局所を隠しただけの写真集を発売するとは… と、同い年でもおぼこい私は激しいショックを受けた。当たり前だが21歳の私はもう少女ではなく、21歳の久美子は世間からそういうものを求められる年頃になっていたのだ。
アメリカ人と結婚という流れは、当然といえば当然の展開に思える。あのグローバルなフェロモン(意味不明)にひるんだ日本人男子は多かったのではなかろうか。
一方、岩井小百合は「横浜銀蝿のマスコットガール」として、鳴り物入りでデビューした。銀蠅一家と聞いて「へえ、麗灑(りさ)みたいなバリバリのツッパリねえちゃん?」と思ったが、出てきたのはかわいらしいポニーテールの女の子だった。彼女の方がアイドルとしては正統派だったように思える。
比較的真面目なイメージが強かったし、歌唱力については小百合の勝ち(久美子ゴメン)。作詞・作曲もしていたそうなので、彼女はより音楽に力を入れていたのだろう。そういえば、アイドル時代にもピアノの弾き語りをしていたのを見た記憶がある。
その後、芸能レポーターに転身し音楽活動も続けていたが、医師と結婚して夫と共にアメリカに移住。2008年に帰国した後は表立った活動はしていないようだ。
ここまで書いて、2人に哀しい共通点があったことを思い出した。共に10代で当時付き合っていた彼氏を亡くしていたのだ。詳細は割愛するが、いずれも急死―― そんなヘビーな経験を10代でしてしまったら、その先どうなるのだろう。私にはまったく想像がつかない。
だけど彼女らは乗り越えてきたんだなぁ。すごいなぁ。頑張ったんだなぁ。
主婦業に専念しているらしい岩井小百合。一方、シングルマザーとして堅実に一人娘を育てつつ、美魔女っぷりを発揮している武田久美子。そして結婚歴もなく食っちゃ寝ばかりの私… 我々の共通点は生まれた年だけだ。
だけど、彼女らがデビューしてから同じように年を重ねてきた私は、ふたりの人生を自身に投影しつつ、武田久美子を見かけては「久美子も更年期キツくないかなあ」と自分の症状を勝手に彼女に重ねてしまう。
年齢は同じでも違う人間なのだから、当然生き方はそれぞれ違う―― だけど、私の人生の尺度、というか、ある意味バロメーターにされていることを、武田久美子や岩井小百合が知るはずもない。
そして、私にとって2人は、今もこれからも共に歩いていく永遠のアイドルなのだ。
※2018年8月12日に掲載された記事をアップデート
2019.08.12
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