中森明菜の作品は「音楽」ではなく「ステージ」そのもの
中森明菜の作品は “音楽” ではなく、“ステージ” そのものなのだと思う。
明菜がカメラを見据えると、映るものすべてが彼女の作品になる。トーク中のほころぶ笑顔から一転、画面の中に緊張感が漂う。明菜のオーラは、ステージ全体の空気を張り詰めたものへと変える。私たちは思わず息をのむ。彼女から目が離せなくなっているのに気がつく。
音楽にどっぷりと入り込んで歌う明菜のトリップに魅了され、気が付けば私たちも彼女の世界にトリップしている。明菜のパフォーマンスには尋常ではないパワーが宿っているのだ。あの “ステージ” を作り上げるには、想像を絶するほどの精神力が必要だろう。
衣装や振付も自ら意見する表現者としての姿勢
中森明菜は常に “自分” があるアーティストだった。
“森アスナ” という芸名での活動を拒み、本名でのデビューを希望した明菜は、デビュー後も、セカンドシングルの「少女A」より、デビュー曲の「スローモーション」が好きだった… なんて堂々と発言していた。
衣装や振付も自ら意見を出し、セルフプロデュースをしていた部分も大きい。そういう、こだわりと繊細さ、妥協のなさ。ファンと自分自身への痛くなるほどの誠実さに、私は尊敬の念を感じざるを得ない。
また、“超” がつくほどのきれい好きで「フローリングをピカピカになるまで磨き上げる」と言っていた彼女が、ひとつのステージに対してどれほどの “完璧” を求めていたのかと思うと、縮みあがってしまう。
1986年2月3日発売「DESIRE ‐情熱‐」は、そうした彼女の表現者としての姿勢が最も表出した曲ではないだろうか。
こだわりによって生み出されたヒット曲「DESIRE ‐情熱‐」
そもそも、B面になる予定だったこの曲を、A面に押し上げたのは明菜の強い希望があってのことで、結果、もともとA面になる予定だった「LA BOHEME」はB面になった。
アレンジした着物にブーツを合わせた斬新な衣装。重めのボブカットが美しい顎のラインをなぞる。黒い髪は明菜の白い肌によく映えた。
「この曲は着物で歌いたい」と最初に言ったのは明菜だった。それを聞いたスタッフ達は当初動揺したという。あの衣装と演出がなければ、「DESIRE ‐情熱‐」はここまでのヒットになっていなかったのではなかろうか。そう、この曲は、明菜のプロデュースによって生み出されたヒット曲なのだ。
「DESIRE ‐情熱‐」はカラオケで合いの手をいれて盛り上がれる昭和定番のアップナンバー、という印象が強くなってしまいがちだ。でもその一方で、完璧に作り上げられた神聖なあの “ステージ” をもう一度見直してほしいと強く思う。
「自分が最もよい思うものを、最もよい形で世に出したい」20歳の明菜のこだわりに、23歳の私は成すすべなく、ただ憧れるばかりだ。
2020.02.03