80年代にはじめて光を放ち、2017年、今も輝き続けるアーティスト。そんな存在は、数えるほどしかいない。
吉川晃司もその1人だ。
1984年、シングル『モニカ』でデビューしたとき、日本中がその恵まれた体軀に目を見張った。それもそのはず、広島の高校に通う吉川は、水球で日本代表入りするほどの選手だったのだ。
しかし佐野元春のライブを見て「ミュージシャンになる」と決意し、渡辺プロダクションの社長に「広島にすごい奴がいる。見に来ないと一生後悔する」などという手紙を送りつけて本当に芸能界入りした逸話はもはや伝説だ。
彗星のようにデビューし、チャート1位のシングルを連発、武道館公演も成功させた吉川だが、はじめは微妙な捉えられ方をしたのも事実である。
芸能プロダクションが力を発揮し、仕込みに仕込んだ「アーティストのようなアイドル」であり、「売り出されたタレント」という見え方である。
そんな吉川の、人気絶頂だが微妙な立ち位置の中、もう一人、80年代に鮮烈にデビューし、今も輝き続けるアーティストとの出会いが生まれた。
上條淳士である。
1985年に『週刊少年サンデー』で連載が始まった『TO-Y』はたちまち爆発的な人気を獲得した。『キャプテン翼』を読んでプロサッカー選手になった者は多いが、『TO-Y』に触れてプロミュージシャンになった者も数限りないはずである。
主人公・藤井冬威はパンクバンド「GASP」のボーカルだったが、人気絶頂のスター、「哀川陽司」に出会い、自らも日本の芸能界に切り込んでいく形となる。
その「哀川陽司」は、どこから見ても「吉川晃司」なのだ。しかも、あまりにもリアルタイムに進行していくストーリーに、読者はテレビに映っている現実と、週刊漫画誌上のフィクションの境目を見失う体験をすることになる。
漫画『TO-Y』の革新性はそれだけにとどまらない。音楽が主題の漫画なのに、演奏シーンではなんの擬音も、歌詞もない。まるで実際のミュージシャンのステージ写真のような一枚画の美しさが誌面を支配するが、余計な情報は一切ない。上條淳士の描く線は、この後ますます耽美的な作風を強め、大友克洋、江口寿史と並んで「漫画家であり、イラストレーターであり、画家」という領域まで達し、2017年の現在もさらなる魅力を放っている。
漫画の中での吉川晃司… 違った、哀川陽司はアイドルからアーティストへの脱皮を図るが、現実の吉川晃司もちょうど、このサードアルバム『INNOCENT SKY』で変化を遂げる。原田真二の作曲になる『心の闇(ハローダークネス)』で幕を開けるアルバムには、シングルヒット曲は一切含まれていない。終曲の『INNOCENT SKY』 まで、トータルアルバムとしての完成度が追求され、ボーカリストとしての実力が爆発している。
「夜のヒットスタジオ」に出演し、『INNOCENT SKY』を歌った吉川の「はみ出しぶり」がYouTubeに残る。ぜひ見て欲しい。
その後、吉川晃司は布袋寅泰との「COMPLEX」を経て作詞作曲も自ら手がけるソロ活動、そして俳優の分野へも大きく翼を広げた。NHK大河ドラマでの織田信長役やTBSドラマ「下町ロケット」での帝国重工・財前部長役の怪演も記憶に新しい。
2011年5月、東日本大震災復興支援のCOMPLEXの再結成ライブ。5万人が埋め尽くした東京ドーム、僕はステージ真ん前にいた。デビュー以来、いやデビュー前の水球選手時代から1日も鍛えなかった日はなかったであろう吉川晃司の、その肉体から放たれるパフォーマンスに、錆びないという言葉の意味を知った。
上條淳士と吉川晃司はその後、邂逅する。吉川晃司のCDジャケットを、上條が手がけることになるのだ。
現実とフィクションの境目がまたひとつ、飛び越えられた奇跡を目の当たりにすると同時に、80年代に光を放ち、今もまだ輝き続ける、錆びないアーティストたちの、鍛え続ける日々を思う。そんな存在は、数えるほどしかいない。
2017.02.26
YouTube / r a
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