3月27日

ヘビメタのイメージを一新した「ボン・ジョヴィ」という魔法の言葉!

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ボン・ジョヴィのアルバム「7800°ファーレンハイト」が米国でリリースされた日
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photo:UNIVERSAL MUSIC JAPAN  

ボン・ジョヴィ、HM/HR 黄金期にシーンの頂点に君臨!


2016年のアメリカ大統領選挙選において民主党陣営を支持したことでトランプ大統領から名指しで引き合いに出されるなど、今やロックシンガーという枠だけでは語れない大きな存在のジョン・ボン・ジョヴィ。

そんなジョンの現在を見ていると、彼がかつて HM/HR(ヘヴィメタル / ハードロック)のカテゴリーで語られていたことが幻だったように思えてくる。しかし、それは紛れもなく彼の歴史の一部であり、80年代の HM/HR 黄金期にシーンの頂点に君臨していたのが、ボン・ジョヴィであったことは間違いない。

世界のどこよりも早くボン・ジョヴィに注目したのは日本の HM/HR ファンだった。デビュー直後から大プッシュしたのが伊藤政則さんだったことや、初のメタルフェス『スーパーロック’84』に出演したことも、HM/HR カテゴリーの一員として認知される要因のひとつになった。その後、『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ(Slippery When Wet)』での大ブレイクで彼らは異次元のスーパーグループへの階段を一気に駆け上がっていくが、それでもこの頃はまだ、彼らは HM/HR バンドのひとつとして捉えられていた。

ジューダス・プリーストやアイアン・メイデンは知らなくても…


80年代は巷にも身近に HM/HR が溢れた時代だったが、世間一般には “ヘビメタ” と揶揄されることも多く、大手を振って「メタルが好きだ!」なんて言いづらい状況に変わりなかった。しかし、ボン・ジョヴィの大ブレイクはそうした流れを一転させた。

彼らの万人にアピールするキャッチーな楽曲の数々と、ジョンやリッチー・サンボラの甘いルックスに魅了された多くの女性や若いファンが流入して、ライト層の HM/HR ファンが急増。即ちボン・ジョヴィの存在自体がそのまま HM/HR ファンの裾野を拡げることに繋がったのだ。

そういえば僕も当時、会話の中で好きな音楽は? などと質問されると、HM/HR と言わずに「ボン・ジョヴィみたいなバンド」と答えていた気がする。

ジューダス・プリーストやアイアン・メイデンを知っている人は少なくても、ボン・ジョヴィの知名度は圧倒的だった。それだけに、世間一般にありがちな、ヘビメタは恰好悪い、怖いなどという偏見を覆してくれる “免罪符” のような存在でもあったと思う。

ヘビメタから王道のアメリカンロックへ


快進撃を続けた彼らは、続く『ニュージャージー』でも大ヒットを飛ばし、さらにファン層を拡大していく。日本では SANYO などのテレビCMにまで起用されて知名度は全国区に。88年末にはカウントダウンライヴを東京ドームで行い、その模様は地上波を通じて届けられた。思えばこの一連の流れの頃が日本での “HM/HR バブル” の極みだった。その SANYO も事実上今は無いのだから時代の流れを感じずにいられない。

ボン・ジョヴィに HM/HR テイストを徐々に感じなくなったのは90年代半ば頃から。自身のルーツに立ち返るようなアーシーな雰囲気を漂わせる王道のアメリカンロックへと変化していき、もはや HM/HR の範疇に納まらなくなっていった。髪を短く切ったジョンの姿もどこか象徴的だった。

それでもその後の楽曲で、胸が高鳴る瞬間が何度もあったのは事実だ。それは、一聴すればわかるジョンのしゃがれたハスキーヴォイスと “ボン・ジョヴィ節” ともいえるキャッチーなメロディこそが、キラキラと輝いていた80年代の HM/HR の象徴であり、そこに触れた瞬間にタイムスリップさせてくれるからだろう。

ブレイク前夜の原石の如き魅力「7800°ファーレンハイト」


僕の中で一番大切なボン・ジョヴィの作品は、セカンドアルバムの『7800°ファーレンハイト』。バンドとしての一体感も高まりメロディアスな HM/HR のお手本といえる作風の中で、大ブレイク前夜の原石の如き魅力が詰まっている。

「プライス・オブ・ラヴ」「オンリー・ロンリー」といった哀愁を帯びたメロディアスハードの名曲や日本のファンに向けた「TOKYOロード」など、今聴いても HM/HR バンドとしてのボン・ジョヴィの勇姿が蘇るようだ。


※2018年3月2日に掲載された記事をアップデート

2020.03.27
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  YouTube / BonJoviVEVO 


  YouTube / Diopriest2
 

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カタリベ
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