音楽の魅力に憑かれた80年代の中高生にとって、FMラジオのエアチェックは必修科目だった。
田舎だったので FM といえば当時は NHK しかなかったが、それでも FM情報誌に蛍光ペンで印をつけて、オンエア曲をチェック。ラジカセを一時停止状態にして DJ の喋りが途切れる瞬間に集中するあのときのドキドキ、どうしても録音したい曲を録る “死にもの狂い” を懐かしく思う。
当時もっともエアチェックに利用した番組は、毎週日曜の18時から放送されていた『リクエストコーナー』という番組。名前のとおり、リスナーのリクエストに応える番組ではあるが、月に一度の企画番組を除いて、全米チャートを上昇している曲をいち早くかけてくれるのがありがたかった。
パーソナリティの石田豊氏は確か NHK の本職アナウンサーだったと思う。声の感じから、けっこう年配の方なのだろうか… と思ったものだが、今となってはよくわからない。とにかく、当時の洋楽番組らしくない落ち着いた口調の DJ。そのおかげで喋りと曲の切れ目がわかりやすく、録音をミスることはほとんどなかった。
この番組の極私的な目当ては、最後の10分ほどで UKチャートの注目曲を2曲かけてくれることだった。全米チャートに上がるような曲は、だいたい国内盤もリリースされる。しかし UKチャートは、そうはいかない。リリースされたとしても、本国からかなり遅れての発売というのはザラだ。田舎だから輸入盤も気軽には買えない。
以前コラムに書いたが、ザ・ジャムの最後のシングル「ビート・サレンダー」は一年、ザ・スタイル・カウンシルの「ソリッド・ボンド・イン・ユア・ハート」はそれ以上、国内盤が出るまで待たねばならなかった。どちらも『リクエストコーナー』でエアチェックした曲だ。
そこで録音してベタ惚れした UKチャートのヒット曲リストに、85年早々、新たな曲が加わった。カースティ・マッコールの「ニュー・イングランド」。これがとてつもなく良い曲で、何度も何度も繰り返し聴くことになった。
カースティ・マッコールという名を意識したのはこのときが初めてだが、前年に大ヒットしたトレイシー・ウルマン「夢みるトレイシー(They Don't Know)」のオリジネイターと知り、俄然興味が湧いた。もう少し後になって、「ニュー・イングランド」が “ひとりクラッシュ” の異名を取っていたビリー・ブラッグのカバーであることを知り、さらにのめりこんだ。
―― が、この曲もまた、国内盤レコードが出なかった。このシングルだけではない。他のシングルはもちろん、81年に出たというデビューアルバムさえ日本ではリリースされていない。87年暮れにイギリスで大ヒットした、ザ・ポーグスとのコラボ曲にしてクリスマスソングの定番「ニューヨークの夢(Fairytale Of New York)」が、マッコール名義による日本初上陸の曲となった。
86年に上京した自分は、UKリリースから一年以上を経て、都内の輸入盤屋でこのレコードを手に入れた。国内盤としての「ニュー・イングランド」のリリースは結局、90年代のベスト盤を待たねばならなかった。
情報も楽曲も手軽に楽しめる今となっては笑い話だが、レコードを買うのはもちろん、たった一曲のエアチェックにしても必死の時代があった。必死だったから、30年以上を経た今でも記憶に残っている。だからこそ、カースティが2000年12月に突然、事故死したのはショックだった。
“死にもの狂い” を懐かしく思うのは、あの頃の情熱が失せたから… なんて年寄りくさいことは言わないでおこう。
2019.01.09