12月

大槻ケンヂは偉い!筋肉少女帯も偉い!デビュー盤はナゴムオムニバス「あつまり」

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どぎついピンク色のオムニバス盤、筋肉少女帯が収録された「あつまり」


「♪ラッシャー木村は偉い! グレート小鹿も偉い!」
(「オレンヂペニス」)

37年前、私が最初に聴いた筋少の曲だ。今年はメジャーデビュー35周年だそうだが、私と筋少の出逢いはインディーズ時代、ナゴムレコードに在籍していたときである。

大学に入学、上京した1986年のこと。私は、新宿・紀伊國屋書店のそばにあった貸しレコード店によく通っていた。そこはインディーズ盤も置いてあるマニアックな店で、カネはないけれど変わった音楽が聴きたい私のような学生にとっては実にありがたい店だった。

そこにはナゴムレコードのコーナーもあり、どぎついピンク色のオムニバス盤が置いてあった。ジャケットには子どもの落書きのような絵が描いてあり、タイトルは『あつまり ナゴムオムニバス』。

「なんだか面白そうだ」とジャケ買いならぬ “ジャケ借り” をした私は、さっそく帰ってレコードのA面に針を落としてみた。するといきなり、プロレスラーの名前を連呼し「偉い! 偉い!」と讃える絶叫が聞こえてきたのだ。

いったいどこから声を出してるのかわからない素っ頓狂なボーカル。しかもサビは「♪オレンヂペニス~ オレンヂペニス~ オレンヂペニス~」という、なんだかやる気のないコーラスが重なる。てか「オレンヂペニス」って、ナニ!?

クレジットを見ると「筋肉少女帯」とあり、リードボーカルは「大槻モヨコ」とあった。この名前を見てすぐに浮かんだのが、夢野久作『ドグラ・マグラ』の登場人物・呉モヨ子である。

このオムニバス盤『あつまり』には、のちに筋少のメジャーデビューシングルとなる「釈迦」も収録されており、歌詞に出てくる「アンテナ売り」という言葉も心に引っかかった。

のちに、それは江戸川乱歩作品の引用だと知ったのだが、「この大槻って人はきっと文学青年なんだろう。でも相当な変人なんだろうな」と、まあそれが大槻モヨコ(ケンヂ)の第一印象だった。まさかそれから32年後、構成作家としてオーケンのラジオ番組を担当するなんて思いもしなかったけれど(笑)。

ナゴムレコード主宰のケラと筋肉少女帯の関係性は?


実は、1984年10月にリリースされたこのオムニバス盤『あつまり』が筋肉少女帯のインディーズデビュー盤で、このときのメンバーは、大槻モヨコ(=大槻ケンヂ Vo.)、内田雄一郎(B)、本城聡章(G)、美濃介(D)という布陣だった。

内田は大槻と中学の同級生で、筋少というバンドのベースは彼と大槻が創り上げたと言っていい。最初は大槻と二人で藤子不二雄のようにマンガを描いていたそうで、パンク・ニューウェーブの波に接し「表現するなら、音楽のほうが手っ取り早いし、カッコいいぞ(=モテるぞ)」となった。まず表現ありきで、バンドという形態になったのは「たまたまそうなった」のである。ここが重要なポイントだ。

本城は日大鶴ヶ丘高校出身で、内田の高校の先輩であり、ナゴムレコード主宰のケラ(現・KERA、演劇人としてはケラリーノ・サンドロヴィッチ)の後輩でもある。ケラが率いた有頂天のメンバーでもあり、当時は掛け持ちで参加していた。何度か脱退と再加入を繰り返したが、現在は橘高文彦とツインギターでバンドを支えている。

美濃介も同じく、日大鶴ヶ丘OBで有頂天のメンバーだ。ケラが興した「劇団健康」にも参加。役者に専念するため筋少を脱退した。現在もケラ主宰の劇団「ナイロン100℃」の看板俳優・みのすけとして活躍中である。

つまり初期の筋肉少女帯は、大槻ー内田の「中学同級生ライン」と、内田ー本城ー美濃介の「日大鶴ヶ丘高ライン」の2つのラインで成り立っていたわけだ。後者が高校の先輩・ケラにつながり、ナゴムレコードにつながるのである。

「手段はなんでもいいから、とにかく自分の内面に渦巻く何かを表現したい」というところから出発している “表現者”


大槻だけ田柄高校の出身だが、ケラにいちばん可愛がられたのは大槻だろう。そもそもケラ自身が、音楽だけでは飽き足らず劇団を立ち上げたように、大槻ケンヂという人もミュージシャンである前に「手段はなんでもいいから、とにかく自分の内面に渦巻く何かを表現したい」というところから出発している“表現者”だ。エッセイや小説を書いているのも、大槻にとっては余技ではなく、音楽と等価の創作物なのである。

言い換えると大槻は、自己の内なるドロドロを作品として昇華し、吐き出し続けないと生きていけないという “業” を背負った人である。ケラはそういう人間のためにナゴムレコードを立ち上げたのであり、大槻が可愛がられたのは至極当然だった。

ところで、ケラが大槻たちの存在を知ったきっかけは何かというと、筋少結成前に大槻と内田が中学時代に結成したバンド「ドテチンズ」の「空手チョップは負けないぞ」という曲だ。これが、あるインディーズ雑誌の付録に収録され、ケラがそれをたまたま耳にしたのである。大槻が当時使っていた楽器は「健康青竹踏み」(笑)。

なおこの曲の音源は「オーケン公式ツイッター」にアップされていて、無料で聴くことができる。ライブ録音で、大槻が青竹を叩きながら、内田が演奏するエレクトーンをバックに「♪か~らてチョップはまけないぞ~!」を連呼するという、実に中坊らしい無意味な曲だ。こんなデタラメな曲を聴いて「お前らいいね。なんかやろうぜ」と声を掛けたケラも相当どうかしているが、そのおかげで筋少は世に出たのだ。

ちなみに、聴いてもらえればわかるが、この「空手チョップは負けないぞ」は、筋少の「いくぢなし」の原型となった曲で、メジャー第2弾アルバム『SISTER STRAWBERRY』の掉尾を飾る曲となった(タイトルは「いくじなし」に変更)。

長い語りが入るこの曲は、歌詞中に「アンテナ売り」が出てくる。つまり「釈迦」とは姉妹曲だ。このように、ナゴム時代の楽曲は、メジャーデビュー後の筋少にとって重要な “財産” になっていて、彼らが自分たちの原点を大切にしているバンドだということが非常によくわかる。



キーボーディストの新加入で音楽的にも大きくグレードアップした筋肉少女帯


そんなふうに、初期衝動をモチベーションに突っ走っていた大槻たちだったが、音楽性を高めていく上で大きな味方となったのが、1985年頃から新加入したキーボードの三柴理(加入時は三柴江戸造、通称エディ)である。

実は三柴は、クラシックの要素を採り入れた「新東京正義乃士」というバンドのメンバーとして、先述のオムニバス盤『あつまり』にも参加している。幼少時からクラシック畑を歩み、国立音大でも学んだ三柴は、ロックのことはまったく知らなかったそうだ。

筋少と対バンした際に、大槻の「怪鳥音のようなボーカル」を聴いて衝撃を受け、自分から「筋少に入れてくれ」と頼んだという三柴。クラシック・ジャズに精通する彼が加わったことで筋少は音楽的にも大きくグレードアップした。三柴はメジャーデビュー翌年の1989年2月に「ピアノの練習をする時間がなくなった」ことを理由に脱退したが、なんだかんだでナゴム期の音楽面のキモは、三柴が奏でるキーボードにあったような気がする。

こうして趣味嗜好の違う異才たちが自然と集っては離れ、また戻って来たりしながら発展していったところに、筋少というバンドの特異性がある。大槻が書く詞は、独特の情念がこもった物語性のある詞もあれば、コミックソングの要素もあったり、いい意味で支離滅裂だ。メンバーそれぞれの趣味もバラバラで、そのとらえどころのない多面性が、えも言われぬ不思議な色を醸し出している。

こうなったのは、フロントマンの大槻に「こういう音楽をやろうぜ」という強いこだわりがなかったからだ。彼の出発点は音楽を究めることではなく「表現すること」なのだから、音楽的には「なんでもアリ」なのだ。だから面白い。

ナゴム時代の筋少の名を一躍高めた「高木ブー伝説」


ナゴム時代の筋少の名を一躍高めたのが、1987年発売のシングル「高木ブー伝説」である。大槻が「♪オレは高木ブーだー!」と絶唱するこの曲。もちろんドリフの所属事務所・イザワオフィスには無許可で発売された。事務所関係者を名乗る人物からクレームの電話が入り、ナゴムは自主回収したが、実はイタ電だった、という話は有名だ。



ただ、この騒動が契機となってバンドの注目度は上がり、折からのバンドブームにも乗っかって、筋少は1988年6月に『仏陀L』でトイズファクトリーからメジャーデビューを果たす。

1989年12月、晴れて本人の公認を得た「元祖高木ブー伝説」が発売され、オリコン最高8位を記録。彼らの最大のヒット曲となったのだから、世の中わからんものだ。

この頃ライブを観に行ったが、大きなホールが超満員。女性ファンからの黄色い歓声が飛び交い「イロモノだった彼らが……」といろいろ感慨深かった。翌1990年2月にはメジャーデビューから2年足らずで、単独武道館公演を果たした筋少。異様なスピード出世だ。

ただ、急激な人気上昇は大槻の精神的バランスを崩すことにもつながった。バンドブームの衰退とともに筋少も活動を一時休止することになるのだが、いろんなことを乗り越えて、現在は大槻・内田・本城・橘高の4人で活動を続けているのは嬉しい限りだ。

2018年1月から3月まで、私は『大槻ケンヂのオールナイトニッポンPremium』の構成を担当した。文学をこよなく愛し、ヘンテコな武道や怪奇現象が大好きで、リスナーと一緒に日比谷公園にUFOを呼びに行く、根っこの部分は昔となんら変わらないオーケンがそこにいた。私は心の中でこう叫んだ。

「大槻ケンヂは偉い! 筋肉少女帯も偉い!」

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2023.06.16
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カタリベ
1967年生まれ
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