2016年 1月8日

はじめてのデヴィッド・ボウイ「レッツ・ダンス」以降の名曲10選をお届け!

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1月8日、デヴィッド・ボウイは生誕75周年を迎えた。そして2日後の10日が逝去後6年となる。6年前の11日(日本時間)、訃報に接した時の衝撃は、生涯忘れることはないであろう。

そこで今回は、自分がリアルタイムで接することが出来た1983年の「レッツ・ダンス」以降のボウイの曲から10曲を選んでみたい。正直に言って全ての曲を聴いているわけではないこともあり、順位を付けることはしない。挙げる曲もメジャーなものが多くなった。しかしそれ故に、平成生まれを始めとした若い方には何らかの手引きになるのではないかと自負している。

「モダン・ラヴ」「チャイナ・ガール」「レッツ・ダンス」(1983年 アルバム「レッツ・ダンス」)


全英1位、全米4位を記録し大ブレイクを果たしたアルバム『レッツ・ダンス』の冒頭を飾る3曲で、全てシングルカットされ大ヒットを記録した。どメジャーではあるがやはり外すわけにはいかない。敢えてアルバムでの登場順に並べてみた。

「モダン・ラヴ」は3枚めのシングルで、全英2位、全米14位のヒットとなった。畳みかけるようなビートがモダンさを演出する。1985年のライヴエイドでも歌われた。

「チャイナ・ガール」は2枚めのシングル。オリエンタルなアレンジがビートに融け込んだこの曲はボウイとイギー・ポップの共作で、元々は1977年のポップのアルバム『イディオット』に収められていた。薬物中毒になり経済的にも危機に陥っていたポップのためにボウイはこの曲をカヴァー。全英2位、全米でも10位に入り、ボウイの目的は十分に達せられたこととなった。

アルバムタイトルトラックでありファーストシングルで全英、全米共にNo.1となった大ヒット曲「レッツ・ダンス」については5年前デヴィッド・ボウイ・イズ東京展終了直前に書いた拙コラム、『ボウイとの出会い「レッツ・ダンス」は売れ線と呼ぶには余りにヘンな曲』をご一読頂きたい。この曲が東京展のテーマ曲のように使用されていたのは、今考えても少々皮肉だったかもしれない。

この3曲が全く異なる表情を見せているのが見事であり、ボウイと共同プロデューサーであったナイル・ロジャースの手腕が冴え渡っている。この3曲が強烈なあまり4曲め以降の印象が薄いのが、このアルバムの弱点ではないだろうか。

「ブルー・ジーン」(1984年アルバム「トゥナイト」)


『レッツ・ダンス』の翌年に全英2位、全米8位の大ヒットとなったこの曲はボウイの大ブレイクが一過性のものではないことを見せつけてくれて爽快だった。ポップさと同時に、カルトヒーローたるボウイのアヴァンギャルドさも有していたこの曲についても、5年前に書いた拙コラム、『デヴィッド・ボウイがグラミー受賞! ブルー・ジーン以来32年ぶり?』をお読み頂きたい。

「リトル・ワンダー」(1997年アルバム「アースリング」)




一気に13年飛ぶ。この間ボウイはティン・マシーンというバンドを結成して自らのソロ活動を封印するなど試行錯誤していた。

この曲はアレキサンダー・マックイーンデザインのユニオンジャックのダメージドコートのジャケットも印象的な、全英6位を記録したアルバム『アースリング』からのセカンドシングルで、全英14位とアルバムから最もヒットした曲になった。

7人の小人の名前が全て織り込まれているという歌詞作りも巧みだが、この曲は何と言ってもジャングル!小室哲哉にも負けじとばかり(?)ボウイがジャングルを導入、その結実振りには目を見張る。ボウイがジギー・スターダストにも扮するMVもぶっ飛んでいて出色。なんとMOMAにも収められたほど。変化こそがボウイの身上ということを正に体現した1曲だったが、オールドファンにはついて行けなかったのかも。

「ニュー・キラー・スター」(2003年 アルバム「リアリティ」)


全英3位まで上昇した2003年のアルバム『リアリティ』からのファーストシングル。独特の浮遊感が印象的な、メロディもキャッチーなミドルテンポのロックだが、詞は9.11以降のアメリカを結構シビアに捉えていて、そのためなのかイギリスでもアメリカでもチャートインを逃している。共同プロデューサーは2002年の前作『ヒーザン』で22年振りにボウイとタッグを組んだ名匠トニー・ヴィスコンティ。彼はボウイの最期まで仕事を共にすることになる。

ここまで10年余りで7枚のアルバムという驚異的なペースで新作を世に問うてきたボウイであったが、翌2004年、ツアー中に心臓疾患に見舞われ、以降10年近く沈黙を保つことになる。誰もがボウイはこのまま引退するのではと思っていた。

「ヴァレンタイン・デイ」(2013年 アルバム「ザ・ネクスト・デイ」)




2013年、何の前触れもなくボウイは『ザ・ネクスト・デイ』で復活を遂げる。あまりにも突然で、1977年の『ヒーローズ』のジャケットを大胆にアレンジした、ジョナサン・バーンブルックデザインのジャケットと併せてそのインパクトは強烈だった。そのお陰もあってか、このアルバムは全英1位、アメリカでも『レッツ・ダンス』以来実に30年振りのトップ10入り、しかも最高2位という自身ベストを記録した。

4枚めのシングルにもなったポップなメロディが光るこの曲、タイトルからもラヴソングかと思いきや、何とヴァレンタイン・デイに起こった学校での乱射事件を歌っている。左右の瞳の違いがはっきりと分かる程のボウイのアップが多用されたMVを観れば一目瞭然。冒頭と最後でのギターを掲げるポーズは、銃所有を推進するチャールトン・ヘストンが銃を掲げた姿を模しているらしい。

アルバムリリース時、全く発言をすることが無かったボウイだが、音楽においては雄弁であった。それにしても親しみやすいメロディである。

「スー(オア・イン・ア・シーズン・オブ・クライム)」(2014年 ベストアルバム「ナッシング・ハズ・チェンジド」)


前年2013年から世界を回る『デヴィッド・ボウイ・イズ』展を始めたボウイは、この年オールタイムベストをリリースした。アルバムに収められた唯一の新曲がこの曲である。

ボウイはジャズの作編曲家マリア・シュナイダーと組み、彼女のオーケストラと呼ばれるビッグバンドをバックにこの曲を歌っている。挾間美帆にも敬愛されるシュナイダーのアレンジは流麗かつ実にアグレッシヴ。正にボウイの新たな面が切り拓かれた1曲である。

普通ベストアルバムの新曲は、他の曲の邪魔にはならないよう、アーティストの従来のイメージから大きく逸脱しない曲が収められるのだが、ボウイは違った。最早前年の『ザ・ネクスト・デイ』の面影すらそこには残っていなかった。

「★」「アイ・キャント・ギヴ・エヴリシング・アウェイ」(2016年 アルバム「★」)


“★” と書いて “ブラックスター” と読む。6年前ボウイ69回めの誕生日にリリースされた。

ボウイは当初マリア・シュナイダーとアルバムを作るつもりだったがスケジュールの都合が付かず、彼女のオーケストラから2名、更に3名のジャズミュージシャンを招いてこのアルバムを作った。因みに「スー」もこのメンツによる別ヴァージョンが収められていて、聴き比べてみるのも一興である。

アルバムの1曲めで、先行公開もされた「★」でボウイはまた異なる表情を見せてきた。決してコマーシャルではないが確実に爪痕を残すマントラのようなこの曲が、自らの迫り来る死を意識し作られたことは、アルバムリリース2日後ボウイが逝去したことで初めて解ったことであった。

そしてアルバム最後の曲で3枚めのシングルともなった「アイ・キャント・ギヴ・エヴリシング・アウェイ」。タイトルを直訳すると「私は全てを与えきることはできない」。そう、これはボウイのファンへの最後のメッセージであった。アルバムではかなりポップでキャッチーな曲であるが、ここまで鮮やかにファンへの別れを告げたアーティストがこれまでにいたであろうか。ザ・ビートルズの「ジ・エンド」に匹敵する見事な幕引きであると僕は思う。


―― 以上、80年代の4曲はあまりにメジャーで、途中13年ほど空いてはいるが、90年代以降の6曲を聴いて頂ければ、デヴィッド・ボウイの七変化を十分実感して頂けると思う。

ボウイは変化の人であった。僕はボウイからケンドリック・ラマーの名前を初めて聞いた。存命だったらまたどんな新境地を見せてくれたのかと思うと、やはり残念でならない。

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