1972年 6月16日

1月10日はデヴィッド・ボウイの命日 ♪ 選びに選んだ70年代ベストシングル10選

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デヴィッド・ボウイのアルバム「ジギー・スターダスト」が英国でリリースされた日
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1月10日はデヴィッド・ボウイの命日


毎年、正月になると「ああ、もうすぐデヴィッド・ボウイの命日(1月10日)か」と思う方も多いだろう。2016年、69歳のバースデーに最新アルバム『ブラックスター(★)』をリリースし、そのわずか2日後に逝ったボウイ。そうか、もう7年も経つのか……。

昨年(2022年)は生誕75年&「ジギー・スターダスト」誕生から50年ということで、ボウイ自身が製作に関わったライヴ・ドキュメンタリー映画『ジギー・スターダスト』が再上映された。今年は3月に、初の公式認定ドキュメンタリー映画『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』が全国公開されるそうだ。IMAXで上映されるそうで、ぜひ爆音で観てみたい。

今回 「デヴィッド・ボウイの70年代ベストシングルを10曲選んでほしい」という依頼を受けた。これまた悩ましいお題である。ボウイの曲は幅が広すぎる上に深すぎて、しかも傑作の山。「70年代」という限定があっても非常に悩む。どう選ぼうが絶対「なんであの曲が入ってないんだ!」と言われそうだ。
というわけで、今回はあえて順位を付けず、「70年代のデヴィッド・ボウイ」を俯瞰する上で押さえておきたいシングル10曲を、同時期に出たアルバムの話も含めて、時系列で紹介していきたい(曲名後のカッコ内はシングル発売年)。

フリー・フェスティバルの思い出(1970年)


1969年、架空の宇宙飛行士を主人公にしたシングル「スペイス・オディティ」が初の全英1位に輝き、ブレイクを果たしたボウイ。勢いに乗ってリリースした同名セカンドアルバム『スペイス・オディティ』の掉尾を飾るのがこの曲だ。

米国でウッドストックが行われていた1968年8月16日に、ロンドン南東の街・ベックナムでボウイが中心となって開催したフリー・フェスティバルが題材になっている。無名時代の彼はこの街に住み、アートを愛する仲間たちとパブに集い、共に活動し、歌った。気心の通じ合った彼らと地元の野外音楽堂で開催したフェスは何より自由で、ボウイの原点となった。タイムマシンがあったらそのフェス、生で観たい!

チェンジス(1972年)


通算4枚目のアルバム『ハンキー・ドリー』(1971年)のオープニング曲。

サビの「♪チェ・チェ・チェ・チェンジィズ〜」というサビは、つい口ずさんでしまう魔力がある。ボウイがこの曲を書いたとき、アンジェラ夫人のお腹には赤ちゃんがいて、彼は父親に変わろうとしていた。そんな状況も反映されているのかも。

「変わるんだ 振り返って個性と向き合え それが変化ってやつさ 金持ちになんてなろうとするな」

この言葉どおり、生涯通じて千変万化、変化しまくったボウイ。ある意味、彼の人生のテーマとも言える名曲だ。



スターマン(1972年)


「スペイス・オディティ」で架空の宇宙飛行士を歌ったボウイは、5枚目のアルバム『ジギー・スターダスト』(1972年)で、ついに「宇宙人」に変身してしまう。5年後に地球の資源が枯渇してしまうと予言され、滅亡の危機に瀕した人類。そんなときに救世主として現れたのが、ボウイが演じる架空のロックスター、ジギー・スターダストだ。

ジギーはラジオを通じて地球の若者たちに「スターマン(=自分)が空の上で、地上に降りるときを待ってるぞ」と訴えかける。さらに「下らない音楽なんか捨てちまえ! これからはロックを聴くんだ!」と布教。いったい空の上からどういう電波を出してるんだ? 実は私も、その怪電波にヤラれた口である。

ボウイは、グラムロック期を支えた盟友のギタリスト、ミック・ロンソンと共に英BBCの番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出演。宇宙人風のカラフルなジャンプスーツ姿で、ミックの肩に手を回しながらこの曲を歌い、全英に衝撃を与えた。ミックのギターが泣きまくりで、何度聴いてもこっちまで泣けてくる。空から降って来たド傑作。

ジーン・ジニー(1973年)


前作『ジギー・スターダスト』同様、バックに「スパイダーズ・フロム・マーズ」を従えて作られた通算6枚目のアルバム『アラジン・セイン』(1973)。架空のロックスターという設定は、前作をそのまま継承した。個人的にいちばん好きなのが、先行シングルとして発売されたド直球なロケンロールのこの曲だ。…… イイ!

リフの元ネタはマディ・ウォーターズ。もうね、これもボウイとミック・ロンソンとの掛け合いが素晴らしいったらない。ライヴ映像を観ると、完全にデキてるとしか思えない阿吽の呼吸。ボウイが「俺のジェフ・ベックをついに見つけた!」と快哉を上げた気持ち、わかるわー。この曲は全英2位の大ヒットとなり、アルバムも全英1位を記録。全米でもベスト20にチャートインし、世界的ロックスターへの足掛かりを作った。



火星の生活(1973年)


こちらは「チェンジス」と同じアルバム『ハンキー・ドリー』収録曲。原題は「Life On Mars?」で、意味は「火星に生命体は存在するのか?」なんだけど、「生活」って……? ま、邦題によくある “ご愛嬌” ってコトで。

本曲は「マイ・ウェイ」のオマージュと言われていて、確かに曲調はそれっぽいけれど、ボウイの力強い歌声が曲をロックに変えている。また、歌詞にジョン・レノンが登場。ザ・ビートルズ「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」へのアンサーソングという説も。そっちにも似ているが、彼が歌えば「やっぱ、ボウイの世界だよね」になっちゃうんだよね。その説得力には脱帽。そしてボウイは後年、ジョンと一緒に曲を作ることになる(後述)。

ノック・オン・ウッド(1974年)


ライヴ盤『デヴィッド・ボウイ・ライブ』(1974年)からのシングルカットで、ソウル界の大御所、エディ・フロイドが60年代にヒットさせた代表曲をカヴァー。ボウイはホント、何歌わせてもカッコいいんだよなー。

ボウイの楽曲を聴いていると、たとえばリズムだったり、そこかしこにソウルやR&Bの匂いを感じる。本家にもヒケを取らない圧倒的なパフォーマンスを聴けば、ボウイの音楽的な根っこには黒人音楽があることがよくわかる。ぜひエディ・フロイドのオリジナルver.と聴き比べてほしい。ボウイには間違いなく黒い血が流れているのだ。

ヤング・アメリカンズ(1975年)


通算8枚目のアルバム『ヤング・アメリカンズ』(1975年)の表題曲。1973年のツアー終了をもって、ジギー・スターダストのキャラクターを封印したボウイは、あらためて自分の原点を見つめ直し、またしても「変化」を求めた。

1975年、フィラデルフィア・ソウルの聖地、シグマ・サウンド・スタジオに乗り込んで作り上げたのがこのアルバムだ。グラムからソウルへ、という激変ぶりにファンは戸惑ったが、そんなことは気にせず、我が道を行くのがボウイ流だ。トニー・ヴィスコンティのプロデュースのもと、ボウイは単にフィリー・ソウルのテイストを採り入れる、というレベルに止まらず「白人である自分が、どこまで黒人のソウルに近付けるか」にガチンコで挑戦。「アメリカがナンボのもんじゃい!」という心意気も感じたりして。なんで関西弁やねん。



フェイム(1975年)


アルバム『ヤング・アメリカンズ』でもうひとつ話題になったのが、ジョン・レノンとの共演である。それ以前にも面識はあったそうだが、一緒にセッションをすることになったのは、ボウイがビートルズ時代のジョンの曲「アクロス・ザ・ユニヴァース」をカヴァーするため、ニューヨークに住むジョンに「参加してもらえませんか」と連絡を取ったからだ。

録音はNYのスタジオで行われ、このアルバムからボウイの片腕となったギタリスト、カルロス・アルマーがリフを弾き、ボウイがリズムを取り、ジョンが歌い始めて、3人の共作「フェイム」は完成した。ジョンはバッキングボーカルとアコギで参加。ジョンの高音が聴きモノ。めちゃくちゃファンキーな仕上がりになったこの曲は、初の全米1位を獲得する記念すべき作品になった。ジョンへの敬意も払った上で、原曲を遠慮なく崩し、力業で自分流にカヴァーした「アクロス・ザ・ユニヴァース」もぜひ一緒に聴いてほしい。やるなあ。

サウンド・アンド・ヴィジョン(1977年)


ドラッグ漬けになったアメリカでの生活から脱却するため、ボウイは環境を変えようと決意。向かった新天地がベルリンだった。黒人音楽から一転、今度はジャーマン・ロックの本場へと、この変わり身が素晴らしい。ブライアン・イーノも参加して作られた通算10枚目のアルバムが「ベルリン三部作」の第1弾『ロウ』(1977年)である。

シングルカットされたこの曲は、もともとインストゥルメンタル想定だったようで、躍動感あふれるギターリフとそれに絡むシンセが最高だが、ボウイが最終的にボーカルを入れよう、と決断。コカイン中毒からなんとか脱しようとするボウイの悲壮な覚悟が伝わって来る。なお途中の女声バックコーラスは、プロデューサー、トニー・ヴィスコンティの当時の妻で「悲しき天使」を日本でもヒットさせた金髪美人歌手、メリー・ホプキン。ファンとしてはウォウ! だ。



ヒーローズ(1977年)


『ロウ』と『ロジャー(間借人)』(1979年)の間に出た「ベルリン三部作」の第2弾が、通算11枚目のアルバム『ヒーローズ』(1977)だ。かつては『英雄夢語り』という、なかなかな邦題がついていた。ジャケット撮影は鋤田正義氏。インパクトありすぎのジャケ写のポーズはよくマネしたものだ。

アルバムを代表するこの曲、当時まだ東西ドイツの間に存在した「ベルリンの壁」がきっかけになって生まれた曲である。レコーディング中、ボウイがスタジオの窓から外を眺めていたら、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティがバックボーカルの女性と抱き合っているところを偶然目にした(この女性は妻のメリー・ホプキンとは別人…… ン?)。そのときボウイは「ベルリンの壁際でキスをする恋人たち」というシチュエーションを思い付いたという。

ロバート・フリップのリードギターも素晴らしいけれど、「僕らはヒーローになれる たった1日だけなら 僕らはひとつになれる この1日だけなら」と語りかけるように、時に叫びながら歌うボウイのボーカルがとにかく心に刺さる。リリース当時はそれほどヒットしなかったが、徐々に評価が高まり、誰もが推す彼の代表作になった。ボウイは1987年にこの曲を西ベルリンで歌い、それが2年後のベルリンの壁崩壊につながったのだが、それってプロデューサーのオイタのお陰なんだよね(笑)。



―― ということで10曲ピックアップしてみたけれど、言うまでもなくデヴィッド・ボウイはシングルだけで全貌がとらえられるアーティストではない。どの曲も同時期リリースのアルバムと密接に関わっているので、アルバムも一緒に、できれば曲順のとおりに聴いていただけると幸いだ。…… なんか、実は死んでない気がするのは私だけ?

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2023.01.10
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1964年生まれ
すかいどら
すみません、ウッドストック開催年は1969年なので訂正された方が良いかと…。
2023/01/10 10:05
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カタリベ
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