いまの若い人にとって、糸井重里という人は、なにをしている人に見えるんだろう。「ほぼ日」のサイトで毎日何かを書いている人。年末になると手帳を売っている人。ゲーム「MOTHER」を作った人。トトロのお父さんの声の人。
僕が十代の頃は、糸井重里は、まず第一に広告界の大スターだった。いまでも道を歩く100人に「 “コピーライター” という職業の人を誰か知っていますか?」と尋ねたら、たったひとり、糸井重里の名前が挙がるのではないだろうか。僕など、大人になって広告の仕事に就いたのは糸井さんがいたからである。
その糸井重里が80年代初頭、雑誌『ビックリハウス』の投稿ページ「ヘンタイよいこ新聞」を通じてミュージシャンやアーティスト、思想家、日本の才能ある人たちを巻き込んで「面白がることを仕事に」し始めたとき、彼は僕にとって「この世界へのポータルサイト」になった。
YMOにRCサクセションにムーンライダーズ… 新しい音楽も、いったん糸井重里という案内役を通して紹介してもらえる。吉本隆明に中沢新一に横尾忠則… こむずかしく感じていた思想やアートも、いちど噛み砕いてから教えてもらえる。
そんな糸井さんが司会を務めた番組がNHK教育テレビ、いまのEテレで始まった「YOU」。土曜の夜、100人くらいの若い人をスタジオに集めて、いちおう、その日のテーマはあるけど、あくまでざっくばらんに話をする、という番組だった。
たとえば校内暴力がさかんに報道されたときは、「どうする? 校内暴力?!」なんてテーマでは話し合わない。そんなときは「僕の好きな先生」とくる。見事な「逆張り」である。いくら校内暴力がニュースになったって、日本中の高校生が暴力を振るっているわけではないだろう。
そして集まった若者たちは、相手の話を「よく聞く」のが印象的だった。相手の話を遮ることがない。これ、「朝まで生テレビ」や「2ちゃんねる」などが始まって、相手の話を食い気味に否定するいまの時代の空気とは全然違う。80年代、当たり前だが、人は人の話を聞いていたのだ。
司会の糸井さんも若者たちのいろんな意見をじっくり聞いた。そして、なにかを断じたり、なにかを批判して白黒つけて終わらせるということがなかった。「まとめはありません」「とくに結論はありません」という言葉で締めくくられたりもするのだが、だからこそテレビを観ている僕は、そこからゆっくり考えることができたのだった。
坂本龍一の手による番組のエンディングテーマは、普段はテクノポップ調にアレンジされたものが流れるのだが、とくにその夜、心にしみいるような話で終わったときは、特別に、坂本自身が弾くピアノ・バージョンが流れる。
そんな、「誰かの声に耳を傾けた」夜はとてもやわらかい気持ちになった。いまでも目を閉じると、糸井さんが最後にかならず言う「おやすみなさい」の声が聞こえてきて、僕の心は、一瞬で幸せな土曜の深夜に戻って行くことができる。
2016.11.20
YouTube / Kensirou Hokke
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