1980年代のある時期において、デイヴ・リー・ロスは無敵だった。アメリカンハードロックの王者=ヴァン・ヘイレンのヴォーカリストであり、その自由奔放で派手好きな性格から「ダイアモンド・デイヴ」とも呼ばれていた。ロックミュージシャンにしておくには惜しいほどの高い身体能力を誇り、ヤンキー気質丸出しのあっけらかんとした不良っぷりは、他をどうさがしても見つからないデイヴ・リー・ロスだけの個性だった。
1984年のクリスマスが近づいていた冬のある日、ラジオから美しいイントロが流れてきた。まばゆい太陽の光を浴びながら波間を漂っているかのような夢のサウンド。僕は一瞬にして心を奪われた。曲はすぐに軽快なリズムを刻み始めた。そこに突然あの声が飛び込んできたものだから、僕は驚いて持っていた本を床に落としてしまった。
「デイヴか?」
間違いなかった。デイヴはいつも通り陽気で不良っぽくてかっこよかった。とはいえ、歌っている曲がハードロックでないことは明らかだった。それは本当に美しく、最高に楽しい曲だった。ラジオのDJが曲名を告げた。「デイヴ・リー・ロスで “カリフォルニア・ガールズ” でした」。
年が明けると、デイヴ初のソロレコードとなる『クレイジー・フロム・ザ・ヒート』が発売された。4曲入りのミニアルバムで、「カリフォルニア・ガールズ」も収録されていた。この曲のオリジナルがザ・ビーチ・ボーイズだということを初めて知った。
他の曲もすべてカヴァーで、かつノン・ハードロック。つまり、ポップ・ソングだった。中には古いジャズもあった。そして、どれも素晴らしい曲ばかりだった。デイヴの破天荒なヴォーカルが、昔のヒット曲に新たな息吹を与えていた。僕はこれらのオリジナルヴァージョンを、どうしても聴いてみたくなった。それは今もつづく音楽の旅の始まりでもあった。
「イージー・ストリート」はエドガー・ウィンター・グループ、「ココナッツ・グローヴ」はラヴィン・スプーンフル、「ジャスト・ア・ジゴロ〜ノーバディ」は古いジャズのスタンダードだった。謎がひとつ解けるたび、胸がどきどきした。
僕はカセットテープのA面に『クレイジー・フロム・ザ・ヒート』を、B面には同じくカヴァーばかりを集めたハニー・ドリッパーズのミニアルバム『ヴォリューム・ワン』を録音し、何度も繰り返し聴いた。だから、この2枚は今でも僕にとってはセットなのだ。
デイヴは愛嬌たっぷりに自分のルーツを自分のやり方で僕らに提示してみせた。その方法はいささか乱暴で無軌道ではあったけれど、音楽への愛情に溢れていた。デイヴは僕らを徹底的に楽しませることで、ポップミュージックがどれほど魅力的なものなのかを世に知らしめたのだ。
そのことは秀逸なミュージックビデオを観れば、より一層わかるだろう。
「カリフォルニア・ガールズ」のビデオでは、デイヴはツアーのガイド役で、世界各国のいかれた乗客を引き連れている。その設定は、どことなくビートルズの短編映画『マジカル・ミステリー・ツアー』へのオマージュにも思える。水着の女の子がたくさん出てきて、デイヴが大騒ぎしながら歌い歩くという、パーティー好きのデイヴにはもってこいのよく出来た内容だった。
そして、これを上回る仕上がりを見せたのが、セカンドシングル「ジャスト・ア・ジゴロ〜ノーバディ」のビデオだ。冒頭には「カリフォルニア・ガールズ」のエンディング映像が使われている。つまり、これはその続編という設定だ。
デイヴの役は『デイヴTV』という音楽番組のパーソナリティーで、これがMTVのパロディーなのは間違いない。デイヴが理想のミュージックビデオを夢想するところから曲が始まるのだが、これがもうメチャクチャで、何度観ても笑わずにはいられない。マイケル・ジャクソン、ビリー・アイドル、シンディ・ローパー、ウィリー・ネルソン、カルチャー・クラブ等のパロディーが登場し、彼らの撮影現場にデイヴが突然現れては、ことごとく邪魔をするというもの。ここまでやりたい放題されると、かえって気持ちがいいという好例だろう。
『クレイジー・フロム・ザ・ヒート』が僕に残してくれたものは大きい。今もたまに引っぱり出しては聴くけれど、そのたびに思う。これは古き良きアメリカンミュージックの良質なオマージュで、僕にそうした音楽への水先案内人としての役割と果たしてくれたのだと。そして、ポップ・ミュージックとは、こんなにも楽しいものなのだと。
2017.03.06
YouTube / That '80s Show
YouTube / jldacz
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