5月15日

奇跡のロックバンド、マニック・ストリート・プリーチャーズの “4REAL” 事件

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マニック・ストリート・プリーチャーズのギタリスト、リッチー・エドワーズが“4REAL” 事件を起こした日
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イギリスでは珍獣扱い? リッチー・エドワーズの “4REAL” 事件


「2枚組のデビューアルバムを世界中で1位にする。そして解散する」と大口を叩いてシーンに登場したマニック・ストリート・プリーチャーズ(以下「マニックス」)。UKシーンでは、大ぼら吹きの “ハイプ(誇大広告)” であると目されていた。

そんなマニックスに対し『NME(ニュー・ミュージカル・エクスプレス)』誌の記者がこれらの発言がどこまで本気なのかと問い詰めたところ、ギタリストのリッチー・エドワーズが自分の左腕に、自ら刃物で “4REAL(俺たち4人は本気だ)” と傷をつけ、18針(17針という説もある)を縫う大怪我を負った。この一件は “4REAL” 事件と言われ、当時のUKロック好きの間ではかなりの話題となり、マニックスは一躍注目の新人バンドとなった。

そして、“4REAL” 事件後、デビューアルバム『ジェネレーション・テロリスト』を1992年2月にリリースする。初期パンクとハードロックを混ぜたようなサウンドは、特に目新しさや革新性はないのだが、ソングライティングについては非凡なセンスを感じることができる。力強く印象的なメロディーはとても覚えやすく、そしてポップだ。しかし、歌詞は政治批判から自己に対する疑問や批判を過激かつ文学的に歌っている。また、曲のイントロダクションにヒップポップグループのパブリック・エナミーをサンプリングするセンスからはバンドのラディカルな姿勢を感じることができる。

日本での評価は “90年代のリアルなロック”


そんな充実した内容のデビューアルバムは、CDでは1枚組、アナログでは2枚組というフォーマットでリリースされた。残念ながら1位を獲得できた国は1つも無く、また、解散宣言もあっさりと撤回された。

1位になれなかったこと、解散宣言を撤回したことにより、UKプレスには、突っ込みどころ満載のネタを提供してしまったマニックスだが、日本での彼らへの評価は本国イギリスとかなり違うものだった。

当時の英インディーシーンは、マッドチェスターと呼ばれるダンサブルなロック、轟音ギターの中でピュアな少年性を表現したシューゲイザーが人気を博していた。しかしマニックスは、安直にシーンに同調することなく孤軍奮闘状態であった。それでいて、過激でありながらも観念的な言動とそれをエモーショナルに伝えるための盛り上がれるメロディーを組み合わせ、90年代のリアルなロックとして日本では受け入れられていた。

大いに盛り上がった1992年の初来日公演、“4REAL” 兄ちゃん続出!


1992年5月には初来日公演が行われた。ライブでの演奏は前評判どおりの、勢いまかせで一本調子なものだったが、アンセミックな楽曲とメンバーの若さいっぱいのアクションによってオーディエンスは大いに盛り上がった。

当時20歳の血気盛んな若者だった私も初来日公演を観に行った。もちろん自分の左腕には油性マジックで “4REAL” と書いて。オールスタンディングで暴れまくるのが当然のライブであるため、汗で “4REAL” の文字が消えないように油性マジックで書いたのは我ながら名案だと思っていた。

しかし、ライブ会場のクラブチッタ川崎には 腕にマジックで書いた “4REAL” 兄ちゃんが結構いる… こうなると何かちょっと恥ずかしい。

しかも、私は黒色マジックで “4REAL” と書いちゃったよ。18針縫うほどの大怪我なのだから、おびただしい流血を伴うはず。だから、書くならせめて赤色マジックで書かなきゃマズかった… この状態、痛々しいまでに中途半端でさら恥ずかしさ倍増である。

というわけで、私はライブが始まってもTシャツの上に羽織ったネルシャツを脱がず、当然ながら自分の腕を露出することもなくマニックスの初来日ライブを大いに楽しんだのだ。そして帰宅後、お風呂に浸かって左腕を丁寧に洗ったことは今となっては良い思い出だ。

イギリスでの成功とリッチー・エドワーズの失踪


“4REAL” と自らの腕に傷を刻んだリッチー・エドワーズは、うつ病を患い、アルコールとドラッグへの依存も深刻さを増していく。

そうした中でもバンドは活動を続け、リッチーが作詞の8割を手掛けた3枚目のアルバム『ホーリー・バイブル』を1994年にリリースする。この作品では、歌詞はさらに暗さを増しダークな世界観を構築する。サウンドも大陸的なハードロック色は影を潜め、ミニマルで閉塞感と緊迫感が漂うものになり、聴き込めば聴き込むほどクセになるマニックス独自のスタイルを獲得し、イギリスでも決定的な評価を得ることができた。

しかし、バンドの精神的支柱であるリッチーが95年2月1日に失踪。その後も見つからず、13年後の2008年に死亡宣告が出される。

『ホーリー・バイブル』に続く4枚目のアルバム『エブリシング・マスト・ゴー』は96年にリリースされる。リッチー不在の中、本作では流れるようなストリングスの調べが印象的なロッカバラード「ア・デザイン・フォー・ライフ」というキャリアを代表する大名曲をものにし、アルバムはイギリスのチャートで2位まで上がる大ヒット作となる。

これ以降もマニックスは順調にアルバムを発表し、ほとんどの作品を全英チャートのトップ5に送り込み、国民的ロックバンドの地位を手中にし今日に至っている。

初期衝動の塊、“4REAL” 事件とは何だったのだろう?


私がロックを聴き始めた80年代半ば以降、自分たちの意思表示のために自傷行為にまでおよぶロックバンドなど存在しなかった。当時のマニックスは初期衝動の塊であり、まだ若かった私には、その行動の本気度からマニックスは信頼できるロックバンド第1位となっていた。

インタビューでは尖ったことを発言していても、ヒットした途端に日和ってしまうロックバンドをいくつも見てきたわけだから、本気度100%のマニックスの姿に心酔してしまうのは当然だったのだ。

現在でこそマニックスは落ち着いた音づくりではあるものの、相変わらず鋭い批評精神と文学性の高い歌を我々ファンに届けてくれる。そのアティチュードからは全く日和った印象を受けることがない。

初期衝動が表現の核となるロックンロールにおいて、約30年間にわたり鋭い批評眼をもって表現に向き合ってきたマニックスこそ奇跡のロックバンドと言えるだろう。諸先輩方々にとってローリング・ストーンズやニール・ヤングが存在するように、マニックスは常に私のそばでリアルなロックを鳴らし続けている。

91年の “4REAL” 事件を起点に、マニックスはロックバンドとしてある種の信念を手にしたのだ。それにより、現在までブレることなく走り続けており、未来に向けてもリアルなロックを鳴らしてくれるはずだ。


追記
私、岡田浩史は、クラブイベント「Fun Friday」(吉祥寺 伊千兵衛ダイニング)で DJ としても活動しています。インフォメーションは私のプロフィールページで紹介しますので、併せてご覧いただき、ぜひご参加ください。


2020.05.22
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カタリベ
1972年生まれ
岡田浩史
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