9月27日

RUN DMC「ウォーク・ディス・ウェイ」エアロスミス原曲を凌駕したインパクト!

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RUN DMCのシングル「ウォーク・ディス・ウェイ」がビルボードHOT100で最高位(4位)を記録した日
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ヒップホップが全米4位の大ヒット「ウォーク・ディス・ウェイ」


70年代の雄、エアロスミスに接したのはこの曲が初めてであった。MVで観たヴォーカリストとギタリストは、申し訳ないけれど少し安っぽく見えてしまった。

It was 35 years ago today
35年前の今日、1986年9月27日付で、3人組ヒップホップ・グループ、RUN DMCのシングル「ウォーク・ディス・ウェイ」が、アメリカBillboardのシングルチャートで最高4位を記録した。

イギリスでも8位にランクインしたこの曲は、メインストリームでヒップホップの曲が大ヒットした記念すべき歴史的な1曲となったのだが、原曲を歌い共演も果たしたエアロスミスにとっても、正に起死回生の1曲となったのである。

エアロスミスにRUN DMCからレコーディング共演のオファー


80年代前半、エアロスミスは忘れられた存在になっていた。

70年代半ばに絶頂期を迎え、日本でも武道館公演を行うほどだったのだが、1979年に、ヴォーカルのスティーヴン・タイラーと共にソングライティングでメインの役割を果たしていたギタリストのジョー・ペリーが脱退。1981年にはもう一人のギタリスト、ブラッド・ウィットフォードも脱退してしまう。

同じく70年代後半に武道館公演を行うほどの人気を誇り、やはりベーシストが脱退してしまったチープ・トリックが、1982年に「永遠のラヴ・ソング(If You Want My Love)」で多少日本のラジオを賑わせたのとは対照的に、同年『美獣乱舞(ROCK IN A HARD PLACE)』というアルバムを出したエアロスミスは、その名を聞くことも全くと言っていいほど無かった。

1984年に二人のギタリストはエアロスミスに復帰した。しかしその翌年リリースされた『ダン・ウィズ・ミラーズ』も話題には上らなかった。

RUN DMCから共演のオファーが入ったのはこの頃のことである。

ラップに生まれ変わった「ウォーク・ディス・ウェイ」


「ウォーク・ディス・ウェイ」は、元々1975年にリリースされたエアロスミスのアルバム『闇夜のヘヴィ・ロック(TOYS IN THE ATTIC)』に収められていた曲で、シングルカットされBillboard最高10位を記録した。

サビまでは起伏の乏しい平坦なメロディに語数の多い歌詞が載せられていて、まるで速射砲の如く言葉が発せられていた。当時の邦題は何と「お説教」だったのだが、確かに言い得て妙だったかもしれない。

RUN DMCにこの曲のカヴァーを薦めたのはプロデューサーのリック・ルービンであった。この翌年ビースティー・ボーイズも世に放ち、デフ・ジャムレコードも創設した、正にヒップホップを一気にシーンの表舞台に踊り出させた立役者である。

メンバー3人の内、カヴァーに賛成したのは2002年に早逝したDJ、ジャム・マスター・ジェイだけであった。レコーディングにはスティーヴン・タイラーとジョー・ペリーが招かれ、サビまでの部分はMCの2人RunとD.M.C.が主に担当し、サビはタイラーが歌った。オリジナルでのサビまでのラップに通じるものがあったパートが、スクラッチやブレイクといったヒップホップの要素も加えられ、正真正銘のラップに生まれ変わってしまったのである。この着眼点は流石としか言いようがない。

MVでもエアロと共演、YouTube公式映像の再生回数は9500万越え!


そして忘れてはならないのが、エアロスミスの二人も出演したMVだ。前半は二人とRUN DMCが隣の部屋同士でいがみ合いながらそれぞれ歌っている。そしてサビ前、遂にタイラーが壁を突き破り、RUN DMC側の部屋に顔を出してサビを高らかに歌う。ペリーもそっとギターを突き出す。場面が変わって後半ではステージ上で両者が共演する。

タイラーが壁の穴から顔を出すベタな瞬間は、MV史上に輝く “名場面” ではないだろうか。エアロスミスの二人は当初難色を示し、撮影現場でもなかなか打ち解けなかったらしい。確かにペリーはいつにも増して控えめだし、タイラーもペリーもどこか自信無さげなのは、まだまだバンドが低迷期にあったからではないだろうか。とても正直に言ってしまうと、二人とも売れているバンドのメンバーの顔になっていない。

ともあれこのMVも大ヒットの要因の一つとなったのは間違いあるまい。今回この原稿を書くにあたりYouTubeを観たら9500万再生を数えていた。最早スタンダードの域ではないか。

オリジナルを凌駕した「ウォーク・ディス・ウェイ」が残したもの


もちろん巧みな曲作りが大ヒットの一番の理由だ。オリジナルが全米10位なのに対しこちらは4位。率直に言ってしまうとこの曲は、RUN DMCとのヴァージョンの方が、起伏に富んで煽情的で僕は好きだし、上記の最高位も正に曲としてのインパクトを反映しているとは言えないだろうか。

この曲がヒップホップの新たな扉を開いたその功績は語るまでもあるまい。正に革命的な1曲といっても過言ではない。35年前ながら、そのインパクトは未だ忘れ難い。

そしてこの曲に力を借りて羽ばたいたのがエアロスミスだった。この翌年彼らはシーンの最前線に返り咲き、未だその位置を保ち続けている。ダッサいMVに出たのはやはり正解だったのではないだろうか。

エアロスミス自身も、RUN DMCとのヴァージョンではないが、必ずコンサート最終盤にこの曲を歌っている。2002年にリリースしたベスト盤『アルティメイト・エアロスミス・ヒッツ』にもRUN DMCとの共演ヴァージョンを収め、自分たちのヒット曲の1曲として認めている。RUN DMCとの共演でこの曲は新たな生命を獲得し、エアロスミスにとってもかけがえの無い1曲になったのだ。

惜しむらくは2012年にメンバーの死でRUN DMCが解散し、エアロスミスとの共演がもう観られないことだ。

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2021.09.27
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カタリベ
1965年生まれ
宮木宣嗣
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