10月21日

多様化するロックンロールシーン、1980年にデビューした先駆者たちのアプローチ

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1980年にデビューした個性豊かなアーティストたち


懐古ではなく、温故。そしてその先に知新。リマインダーが考察していく80’sの起点が1980年であるとするなら、この年の元日に沢田研二が「TOKIO」をぶっ放し、新しい時代の幕開けを示唆。山口百恵が引退し、松田聖子がデビュー。まさに終わりと始まりが交差するなど、音楽シーンを俯瞰してみても、エポックメイキングな年であったことは間違いない。

これは、歌謡界に限った話ではなく、ロックアーティストもまた然り。この年のデビュー組を見渡してみても、なんとも個性豊かで、後の多様化する80年代の礎を作った年といっても過言ではない。

この年、つまり1980年にデビューし、今年活動40周年を迎えるアーティストをいくつか列挙してみると… 佐野元春、シャネルズ、横浜銀蝿、子供ばんど、ザ・ロッカーズ、ザ・ルースターズ、アナーキー、ジューシィ・フルーツ、ハウンド・ドッグ… といったところだろうか。

ちなみに、RCサクセションが、「雨上がりの夜空」をリリースし、それまでのスタイルを脱却、ローリング・ストーンズやモット・ザ・フープルのスタイルを垣間見せながら、日本のライブバンドとしての雛形を作ったもこの年である。

十人十色、音楽のスタイルは様々だが、彼らの共通点は、自分たちのベースにある確固とした音楽エッセンスを崩さずに、そのスタイルに昇華させた点にある。

新しい価値観を提示した佐野元春、そしてシャネルズ、横浜銀蝿の爆発!


佐野元春の叫ぶロックンロールは、それまでキャロル、クールスが体現していたような暴力的な匂いを一切見せずに、ティーンエージャーたちの “燻った自分との対峙” ともいえる内的衝動であった。

外に発散するフラストレーションが70年代まで、ロックンロールの一つの側面であったとしたら、佐野元春のロックンロールは、その壁を一気に乗り越え、聴くものに新しい価値観を見出してくれた。

一方、1980年はドメスティックなロックンロールが内面的にも、外面的にも一気の細分化された年でもあったのだ。それを顕著に表しているのが、シャネルズと横浜銀蝿でもあった。彼らの共通点は、どちらも自分たちのバックボーンに矢沢永吉率いるキャロルがあったということ。

ビートルズを通じた古き良きアメリカのロックンロールを革ジャンのベールに包んだキャロルの音楽をより深堀りし、ドゥーワップにたどり着いたシャネルズ。そして同じくキャロル信奉者であった横浜銀蝿は、同時期に人気を博していた宇崎竜童率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンドなども踏襲し、ドメスティックなロックンロールを時代に即し、煌びやかにブロウアップ(爆発)させていく。

めんたいロックと称された、ザ・ロッカーズ、ザ・ルースターズ


また、同じくロックンロールというワードから、当時 “めんたいロック” と称された博多のビートグループが目立って東京進出した。これも1980年だ。

イギリス経由のブルース、ブリティッシュビート、パブロック、パンクロックなどを踏襲し、メジャーシーンに登場したザ・ロッカーズ、そしてザ・ルースターズだ。博多のバンドといえば、偉大なる先人サンハウスのギタリストとして活躍した鮎川誠率いるシーナ&ザ・ロケッツがすでにデビューを飾っていた。

YMOとタッグを組み、極めてポップで都会的なアプローチを施していたシーナ&ザ・ロケッツ。これに対しロッカーズは、ラモーンズのスピードとニューヨーク・ドールズのような艶めかしさを全面に打ち出しつつも、湿り気のあるブリティッシュ・ビートを隠し味にしていた。片やザ・ルースターズはブルースの黒っぽさをむき出しにするなど、両者決して媚びることなく自分たちのフェイバリットをさらけ出す。

その姿は東京発のバンドとは一線を画す凄みがあった。つまり、これらのバンドは、内面に潜んだ趣向性が極めて細分化されている。これは、80年代後半に勃興するバンドブームの礎になっている。

子供ばんどの功績、まさにジャパメタブームの起点!


そして、後のジャパメタブームの起点となるハードロックにポピュラリティを持たせた先駆者、子供ばんどの功績を外すわけにはいかない。

70年代までのハードロックといえば、ローリング・ストーンズへの加入が噂された成毛滋率いるジプシー・アイズや、「ロンリー・ハート」のヒットでおなじみのクリエイションの前身ブルース・クリエイションなど、洋楽志向で超越したテクニックが重視された玄人肌のバンドを想起しがちだ。そんなシーンのなかで、子供ばんどの登場は、アイドルグループだったレイジーが1981年、ラウドネスへと華麗な転身を遂げたときと同じぐらい大きな衝撃だった。

“子供ばんど” というユニークなネーミングもさることながら、当時、和製AC/DCと言われた彼らのステージングは圧巻だった。とくに、ギター / ヴォーカルのうじきつよしは、頭にミニアンプを乗せ、アンガス・ヤングさながらにヤマハ・SGをかき鳴らす。その高いパフォーマンスとコミカルな姿が、それまでマニアック志向だったハードロックの敷居を良い意味でグッと下げた。この流儀こそがシーンの開拓に大きな影響を及ぼしたのだ。

ロックンロールという言葉で括ればそれまでだが、このように、今回紹介したロックバンド、アーティストたちの方向性はすべて異なっている。そしてこれらはすべて1980年に起こった出来事なのだ。ロックが市民権を得たのが80年代半ばとすれば、彼ら先駆者たちの音楽性とアプローチが、後のロックシーンの礎になっていることは間違いない。



2020.10.20
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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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