2016年10月から11月にかけて全国5か所(大阪、名古屋、福岡、広島、東京)で8公演行われたリンゴ・スター アンド・ヒズ・オール・スター・バンドの3年半振り4回めの日本公演は大成功の内に幕を閉じた。
前回からメンバーも1人しか変わらず、演奏曲もリンゴが13曲中3曲を変えた他には、オール・スター4人の持ち歌計12曲中、変わったのは1曲だけ。しかもリンゴ日本公演史上最短のスパンでの再来日だったのだが、そんなことをものともしなかったのは、決してビートルズ日本公演50周年だけが理由ではなかった。
ほぼ空白だった80年代を何とか乗り越え、1989年に第1期オール・スター・バンドでソロ初来日を果たした当時49歳のリンゴは、76歳になった今年、金字塔を打ち立てたのだ。
3年前も来日した第12期オール・スター・バンドのメンバーは、TOTOのスティーヴ・ルカサー(g)、トッド・ラングレン(g)、元Mr.ミスターのリチャード・ペイジ(b)、元サンタナのグレッグ・ローリー(key)、そしてグレッグ・ビゾネット(ds)、唯一の新メンバー、ウォーレン・ハム(sax)。2012年から翌2013年の日本公演を挟み、今日まで足かけ5年続いている第12期はリンゴのオール・スター・バンド史上断トツの最長 “不動” 記録を更新中。
よって3年前からメンバーは更に親密さを深めていた。ルカサーとローリーは体を密着させ互いの楽器を弾き、ラングレンとペイジは背を合わせ交互に寄りかかりながら演奏。以上の組み合わせに限らずバンドメンバーの交わる場面が多くなった。それに伴いメンバーの笑顔がぐっと増えた。いきおい観客の笑顔も増える。リンゴの日本公演がここまで笑顔に溢れたことはこれまで無かったのではないか。
ステージは至ってシンプルであった。最近は当たり前になっている映像の投影もメンバーの抜きも全く無し。全てはバンドの演奏と言っても過言ではなかった。そのバンドは5年の年月を経て熟し切っている。大成功は始めから約束されていた。
バンドの演奏だけでの勝負は50年前のビートルズをも彷彿とさせたと言っては言い過ぎだろうか。昨年2015年の日本武道館公演で、やはりほぼバンドの演奏だけで我々を圧倒したポールのこともふと想い起こされた。
1989年の第1期と1995年の第3期の日本公演では、観客はなかなか総立ちにならなかった。特に第1期、リンゴとビリー・プレストンというレコーディング時のメンバー2人が揃った「ゲット・バック」でも皆なかなか立ち上がらず、しびれを切らして僕が率先して立ち上がった程であった。
それが、前回2013年はそもそもオールスタンディングだったが、椅子のあった今回も、ルカサーに煽られたこともありオープニングから1階席が総立ちとなった。そして前回日本の洋楽ファンの成熟と驚いた「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」でのリンゴへの呼びかけの大合唱(Do you need anybody ? ~ 他)は一層高らかに場内を包んだ。これも80年代には小さな歌声だった。
メンバーもこの熱さには心動かされた様で、リンゴ、ルカサーを始めとしてMCのみならずSNSでも謝辞を連投。今回リンゴが観客のボードをこれまでに無くいじっていたのも、ゴキゲンだったことと決して無関係ではなかろう。
1989年の第1期では4曲、’95年の3期では1曲、そして前回の2013年は2曲、ドラムを叩きながら歌ったリンゴは今回、ビートルズナンバーの「ボーイズ」、50年前にも歌った「彼氏になりたい」、そしてソロの「バック・オフ・ブーガルー」の後半と計3曲でドラムを叩き歌った。76歳にして尚たゆまず。日本公演史上最長の4日連続公演も難なくこなした。
今回が最後かと思ったが、本人もまた来ると言っていたし、まだ次がありそうだ。
2016.11.14