【エンタメの横顔 — 80年代の音楽シーンを大きく変えた「CD」の登場 ⑤ からの続き】欠陥がなければコピーガード(CCCD)は正しかったのか?
ナップスターのようなファイル交換やレンタルCDからのリッピングにより、音楽がデジタルコピーにより “盗まれている” と考えたレコード会社は、コピーガードを施したCCCDという対抗策を繰り出しましたが、それが相当にお粗末な商品となってしまったため、ユーザーはおろかアーティストにまでそっぽを向かれるという事態を招き、結果的には、戦後日本音楽史上最悪の黒歴史を作ってしまいました。
結局CDは元通り “ノーガード” に戻って今に至るわけですが、尚かつたいていの音楽業界の人たちが信じているのは、「CCCDは欠陥商品だったからダメだったけど、コピーガードをしようとしたのは正しい」ということ。
そうなんでしょうか?
音楽文化に貢献していたコピー行為
商品として見た音楽のその商品性の主役は、言うまでもなく音楽そのものですから、それをユーザーが勝手にコピーするのは、たしかに生産者の権利を侵しているようにも思えます。ですからガードすることは間違っているとは言えません。だけど反面、音楽にとってコピーという行為は、ずっと身近なものでしたし、音楽を広める、つまりは売上を伸ばすことにも役に立ってきました。アナログレコード時代、レコードを買って、それをカーステやウォークマンで聴くためにはカセットテープにコピーする必要がありました。また、自分で選曲した “ベストテープ” を作って楽しんだり、それを友人にあげたり、ということをしたことがない人はいないでしょう。
昔のレコードジャケットの裏面には「レコードから無断でテープその他に録音することは法律で禁じられております」という記載がありましたが、ほんとに禁じていたら、楽しさ半減だったろうし、マスメディアで紹介されない音楽は人から人へと広がらず、市場はずっと寂しいものだったろうと思います。ですから、歴史的に、音楽をコピーするという行為は、悪いことではなく音楽文化の一部だったとも言えるのです。
デジタル時代の到来で状況は一変
それがデジタル時代になって事情が変わった。アナログコピーは、音質が落ちて “ニセモノ” しか作れなかったし、作るのに曲長分の時間がかかり、必然的に個人で楽しむ範囲を越えることが難しかったのですが、デジタルコピーなら、音質がほぼ変わらないものが瞬時にできる。同時に、デジタル技術はインターネットというものを出現させ、コピーした音源をサーバーに置けば、不特定多数の人がアクセスしてそれを “手に入れる” というようなことが、個人でもごく簡単にできるようになってしまったワケです。
ここに来て、生産者や権利者は困ってしまったのですが、これには音楽というものの特殊性も関係していますね。他のエンタテインメント、たとえば映画やドラマはコンテンツとしてのデータ量が大きくて、なかなか個人では手軽に扱えませんでしたし、書籍はデジタル化してしまえばテキストですから扱いは容易ですが、デジタル化自体が面倒だったということで、デジタルコピーがさほど大問題にならず、また対処の手も打てたのですが、音楽はデジタルコピーとの相性がこの上なくよかった。
だけど、前述のように音楽文化の一部にもなっていたコピーへの意識が、すぐに変わることはありません。そもそもコピーは「盗み」とは違います。お店からCDを万引したらそれはもう明らかに犯罪ですが、コピーして同じものを作っても、増やしただけであって、元は元通りそこにある。それを販売したり、不特性多数の人に公開したりするのは犯罪ですが、「ファイル交換」というものは、発想としてはレコードの貸し借りの延長であって、そこに罪の意識はなかったと思います。ナップスターの主催者も、あれで儲けていたワケじゃないのだし、「レコード会社から刺されるかな」という不安はあったとしても、悪意はなかったと思います。単純に音楽好きだったんでしょう。「たくさんの音楽をタダで聴ける、画期的な仕組みを思いついた」とワクワクしていたんじゃないですか。
最上のお客さんを排除してしまった本末転倒の対応
「そんなことをされたら売れなくなる」と、生産者や権利者は猛反発しました。その気持ちも理解できます。しかし相手は音楽好き、おそらく平均以上の愛好者であって、本来は最上のお客さんなのです。アメリカのレコード業界はすぐに訴訟に持ち込み、ナップスターを潰してしまい、日本のレコード会社は CCCD を作ったのですが、最上のお客さんたちに対して、それがしかるべき対応だったのでしょうか?
コピーによる犯罪の中で悪質なのは、海賊版を作って売り捌くことでしょう。でもそういう人たちは、たとえ完璧なコピーガードが掛かっていても、アナログでコピーして海賊版を作ります。それを防ぐことはできません。デジタルコピーガードで不便な思いをするのは、それ以外の善良なる一般ユーザーなのです。
「貸レ問題」(※1)のところでも書きましたが、ユーザーが強く支持するもの・ことには、価格が安いだけじゃない何らかの理由があると思います。欲しくないものはタダでも要らないのです。まずは冷静に分析して、その理由すなわちユーザーを惹きつける魅力をなるべくそこなわずに、ビジネスに繋げる道はないか、考え抜くべきじゃないでしょうか?
個人個人のパソコン間で、音源をやり取りできるようなことが可能になり、それを人々が歓迎しているなら、そこから少額でいいから料金をいただこうという発想は何故出てこなかったんでしょうか。ナップスターを開発した人たちに(まず認めてあげた上で)そう要請したら、彼らは必死になってそういうことができる仕組みを考えたんじゃないですか?
理想に近いサービス、サブスクリプション型音楽配信の登場
ナップスターから10年経って、かなり理想的と言える音楽ビジネスモデルが登場し、今やそれが主流になりました。「サブスクリプション型音楽配信」です。
ホントに好きな音楽ならちゃんとお金も出すけど、音楽は玉石混交なので、聴いてみるだけならなるべく出費したくない、というのがユーザーの本音だと思います。月1,000円弱、あるいは広告つきの無料で、多数の楽曲が聴き放題というサービスは、そんなユーザーの要望に叶っています。一方、生産者&権利者にとっても、利用者の手元に残らないから転売などの恐れがないし、単価は低いけれども収益を得つつ、「試聴」でもあるから気に入ってもらえればCDやアナログレコードの購入につながる。双方にとってよいことづくめではないですか。
なのに、たとえばサブスクリプション型音楽配信サービスの先駆者であり、代表的な事業者である「Spotify」は2008年にスタートし、2012年には日本の各レコード会社とも交渉を始めたのに、各社音源を出し渋り、実際日本でサービスインしたのは2016年11月と、4年もかかる始末です。
しかも現時点でも、配信されていない音源がけっこうあります。人気アーティストであるほどその傾向が強く、ユーザーはだからある程度以上、なかなか増えない。レコード会社にとっての収益はレベニューシェアですから、ユーザーは多いほどいいのです。ユーザーを増やすには、どんな音源でもそこにあるという状況を作ることしかありません。目先の利益ばかり考えているレコード会社あるいはマネージメント会社が出し惜しみしているのでしょうが、それによって損をしているのは自分たちなのです。
せっかくの理想に近いサービスをより理想的にするためにも、もうそろそろ音楽業界は、90年代の栄華への未練をきっぱり絶って、現実を見つめ、行く末を考え、今やるべきことをしっかりやるしかないと、私は強く思います。
了
編集部より:
文中にありました「貸レ問題」については、以下のアーカイブ記事に詳しく考察されていますので、ぜひこちらもご覧ください。
歴史の if を考える ― 音楽業界が自ら「貸レコード」に取り組んでいたら? ①
歴史の if を考える ― 音楽業界が自ら「貸レコード」に取り組んでいたら? ②
歴史の if を考える ― 音楽業界が自ら「貸レコード」に取り組んでいたら? ③
2020.03.21