昨年に何度か入院をした。すると一人前にも年齢が気になりだした。職場では自分より年齢の下の人間がイニシアティブを取るようになった。思えば生え際も後退した気がする。汗っかきだからしょうがない、と居直っても薬局ではつい抜け毛防止を謳ったシャンプーを買ってしまう。
年齢を重ねるということはどうもこういうことなんだなと、わけも分からず自分を納得させても、とかく年齢というのは厄介なものだ。12ヶ月早く生まれるか遅く生まれるかで「くらい」が違うなどということがあっていいはずはない。1年に10年分の歳のとり方をする人もいるだろうし、逆もまた然り。数字の上で人生の経験を計られても困る。
「俺も日本酒の良さがわかるようになった!」と見舞いに来たお酒好きの友人が喜んでいた。なんだお前また太るだけだぞと感謝と苦い笑いを心に浮かべつつ、その言葉を聞いて「何か僕にわかるようになった音楽」というものはあるのだろうか、と考えてみた。
エルヴィス・コステロのアルバムが何枚か iPhone に入っていた。これは全くの偶然でニック・ロウの来日を記念して、彼に関係するアーティストをいつでも聴けるようにしていたためである。コステロといえば、ニック・ロウをプロデューサーに迎えて何枚もアルバムを出した男。なんとなく入れていても、なんとなく聞き流していた。
しかし、「なんとなく~」が突然「ああ! これだよ!」に変化するスイッチというものがあるらしい。全くの偶然で私はコステロ・マニアになってしまった。これには多分理由がある。「ものを知ったから」、これに尽きる。
今までコステロの奏でるメロディアスなメロディーの「出どころ」がわからなかった。一体、この音楽をどうカテゴライズすればいいのか。パワーポップといっても曖昧である。「怒れる若者」といわれてもそれ程怒っているようには思えない。トラックの荷台に乗り学生服を着て銀座の路上でライブをした、ということは知っているが、その時の聴衆と同じく僕も「ポカン」と彼の音楽を聴いていた。「なんだかわからない」ものを素直に受け止めるのに僕は若すぎたのだろう。
でも、今ならわかる! コステロがコンピューター技師として糊口をしのぎながら地道に活動し、吸収した音楽たち。アイリッシュ・ブルーグラスから発展したカントリー。それはジャズの故郷・「南米の極北」ニューオリンズからビッグ・リバーを遡上しテネシー州メンフィスでロカビリーへと進化する。ここで登場するのがエルヴィス・プレスリーだ。もちろんメンフィス産のスタックス・レーベルが生んだソウルミュージックも忘れてはいけない。
たとえば言い尽くされた彼のバディ・ホリー・スタイル。そして同じくエルヴィスを生み出したメンフィス、サン・レコードにいたロイ・オービソン。コステロはロイに美しい一曲、「コメディアン」を提供したり、彼の『ブラック&ホワイト・ナイト』で共に演奏している。ジャズからブルース、カントリー…、アメリカ音楽の全てを特盛にしたのがコステロ・サウンドなのだ。彼はジャズボーカル、そしてヒップホップをも消化し、見事に昇華させた。
極めつけは何と言ってもビートルズ、特にポール・マッカートニー。快心作『フラワーズ・イン・ザ・ダート』でポールをスランプからシーンに返り咲かせたのは、他でもないポール・ファンのコステロだった。「ヴェロニカ」など一人でジョンとポールのコーラスを真似たかのよう。徹底してファンであることが、創造のエネルギーになった最上の瞬間と思える。そしてポールのルーツには、コステロと同じものがあるわけである。
そこには、すべてがあった。年齢を重ねれば、音楽も聴く幅が広がるのでこうした「やる気スイッチ」ならぬ「これだよ! スイッチ」が増えるのだろう。昨年も素晴らしいアルバムをリリースしたコステロをみて、歳をとることは実にいいことだ、と心から思う。
… いやしかし、生え際だけは、気になるのであった… 。
2019.04.18
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