1985年6月1日土曜日18時40分。日本武道館のステージにジュリアン・レノンは姿を現した。湧き上がる女性の叫び声は19年前を彷彿とさせる。そう、亡き父ジョンが1966年6~7月にザ・ビートルズの一員として立ち、本来ならば4年前にも立っていたはずの武道館のステージにジュリアンが立ったのだ。
前年の鮮烈的なデビューとアイドル張りのルックスで、女性ファンを中心に武道館は満員になっていた。僕の様なビートルズファンにとっては、ジョンが亡くなりポールはライブを止め、ジョージとリンゴはライブを離れて久しい中、“ビートルズ関連” の本格的なライブはこれが初めてだったのである。
デビューアルバム『ヴァロッテ』の全10曲、シングルのカップリング1曲の後、本編最後でジュリアンが歌ったのが、父ジョンのカヴァーでもお馴染みの「スタンド・バイ・ミー」だった。ハンドマイクでの歌唱で、父ジョンほどの絶唱ではなかったものの、場内はほぼ総立ちになった。ファンの求めているものはあまりに明白だった。
そしてアンコールでジュリアンがやはりハンドマイクで歌ったのがザ・ビートルズの「デイ・トリッパー」だった。デヴィッド・ボウイと’80年代ツアーを共にしたカーマイン・ロハス(b)がバンマスの、ギター2人、ドラムス、キーボード、サックスの6人に、何故か元ドゥービー・ブラザーズのジェフ・バクスター(g)も加わった演奏は、ビートルズよりも少しアップテンポで、音も装飾的でリフレインが延々続くあたりも実に’80年代らしかった。
しかしこれは、ジュリアンが父ジョンと同じステージで同じ曲を19年後に歌うという正に記念すべき瞬間だったのである。当然ながら観客は総立ちのまま熱い声援を送った。これは警備の厳しかった19年前のビートルズ日本公演とは大違いだった。
そしてやはり父ジョンがカヴァーした「スリッピン・アンド・スライディン」で1時間20分という短い、とはいえビートルズ日本公演の倍以上の長さのコンサートは終わった。最後の3曲は全て父ジョンゆかりの曲であったが、ジョンが作った曲は「デイ・トリッパー」だけであった。
しかしジュリアンは翌1986年でジョンが作った曲を歌うことを止めてしまう。
昨年2015年4月28日、49年振りに武道館のステージに立ったポール・マッカートニーは、それまでドーム4公演で歌っていた「デイ・トリッパー」を何故か歌わなかった。これにより、ジュリアンが武道館で「デイ・トリッパー」を歌ったという事実が依然輝きを保っていることに、この原稿を書くにあたり改めて気が付いた。
2016.08.20
YouTube / Dato1955
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