江戸アケミ31回法要? プレミア配信されたJAGATARAライブ
つい先日、Youtubeで『Jagatara2020「虹色のファンファーレ」』(プレミア配信)を観ました。
JAGATARAを聴くのもだいぶ久しぶり。ショックでした。そんな感想を書いてみようと思いたち、いざパソコンに向かうと、先日の放送開始直後にシェアしたFBはリンク切れで確認できません。題名だけは残っていて、「江戸アケミ31回法要2020年1月27日渋谷Club」と、ここで切れてます。今の人にはちょっと謎解きが必要でしょう。
JAGATARAについては…… もういいですよね。80年代に活動した知る人ゾ知る、ずばりカルトバンドです。2020は… つまり先日、2021年4月10日に配信されたライブが実際に行われた年で、どうやら、このライブが映像作品として発売されるそうなので、その宣伝を兼ねての “プレミア配信” だったらしい。
江戸アケミはJAGATARAのヴォーカルで、今から遡ること31年前に亡くなりました。それでライブの翌年にあたる今年2021年が31回目の法要の年にあたります。命日が1990年1月27日ですから、ライブの日がちょうど30年目。場所は「渋谷Club」で切れていますが、言わずもがなのQUATTROです。
「江戸アケミ31回法要2020年1月27日渋谷Club」。世には一定数のJAGATARAオタクがいて、この圧縮された文字情報だけで難なく理解できてしまうのです。
それにしてもこの貴重な配信、どれほどの人に届いたのでしょうか。案の定3時間半の長丁場で視聴者数は450人前後。僕なんて心の中で手を合わせてを拝見したというのに、ほんとうにもったいない話です。
それでも僕がJAGATARAを聴き始めたのは江戸さんの死後だから、
「聴きにこなかったやつになんか聴かせたくなかった」
…… と、かつて言い放ったギターのOTOさんからすれば、僕なんてきっと聴かせたくない方に分類されてしまうでしょう。ですが、告白しておきます。そんな遅れてきたファンの僕でも、今や聴くたびに胸が詰まり涙が込み上げどうしていいかわからなくなるのです。さぁ、どうしたもんですか。
誰が歌ってもやっぱりJAGATARA!錚々たるゲストが集ったライブ
ライブには錚々たるゲスト陣が出演していました。
ビデオ『History of JAGATARA』(全3巻)中の「みちくさ」という曲で「どしても・しらふじゃ・生きてけねぇ」と連呼していた近田春夫さん(ビブラストーン、他)。この日はどことなく元気がないような気がしました。
JAGATARAの盟友The Foolsの伊藤耕さんはすでに鬼籍に入られていますが、Deepcountで活動されているNobuさんが名前を発した瞬間、まるでステージ上で一緒にいるような感覚にとらわれました。ついでながらやはりThe Foolsの川田良さんも。
そういえば、途中映像で篠田昌已さん、渡辺正己さんの名が聞こえてこなかったのは気のせいでしょうか。お二人とも江戸さんの跡を追うように、次々と亡くなられたJAGATARAのメンバーです。篠田さんが在籍したコンポステラの曲は今でも歌い継がれています。
当初僕は、発売記念とか追悼とか法要とかノスタルジーとか、そんな同窓会的な企画だったら嫌だなと身構えていましたが、演奏がはじまってしまえば、やっぱりJAGATARAでした。誰が歌ってもJAGATARAの曲なのです。七尾旅人さん折坂悠太さん不破大輔さん(渋さ知らズ)が歌ってもやっぱりJAGATARAが聴こえてきます。
ぜんぶJAGATARAだから、「大槻ケンジさん(筋肉少女帯)が歌うとこんなバージョンになるのか!」とか、「田口トモロヲさん(ばちかぶり)や、いとうせいこうさんが歌うとやはりこうなるか!」とか、そんなことはあまり気になりません。以前にも書きましたが、JAGATARAは「Tango」という曲を何度も繰り返し演奏し録音していました。それで僕も一曲選ぶなら迷いなく『君と踊り明かそう日の出を見るまで』所収の「Tango」をお勧めしますが、この日ばかりは「もうがまんできない」の不思議さに心を奪われてしまいました。これは、作詞・作曲江戸アケミで、JAGATARAのアルバムとしては2枚目にあたる『裸の王様』(1987年発売)に収録されていた、シングルでも何でもない曲です。
とはいえ、このアルバムに収められる遥か以前からずっと歌われていた、バンド最初期の一曲です。JAGATARAの結成が1979年3月で、その後まもなく行われたライブで演奏されています。その証拠に、2010年に日の出(もとい、日の目)を見た1979年9月18日の上馬ガソリンアレイでのライブ記録『エド&じゃがたらお春 LIVE 1979』にも収録されています。
つい最近、追悼ライブにも出演していたこだま和文さん(元MUTE BEAT)が参加するKODAMA AND THE DUB STATION BANDがこの曲をカバーしました。こだまさん自ら歌っています。去年から延期に延期を重ね、この6月にKURASHI LABELから無事発売されました。
―― 河内さん、無事届きましたよ。
心奪われた「もうがまんできない」、忍耐を説く “我慢ソング” だが…
というわけで、これは40年以上前に作られた歌で、こんな歌詞です。
ちよっとのひずみなら
何とかやれる
ちよっとのひずみなら
がまん次第で何とかやれる
日々の暮らしには辛抱が大切だから
心のもちようさ
何か “いびつ” なことがあったり、それが気になっても「心のもちよう」で「がまん」すれば「何とか」やりすごせる。続く2番は「ちょっとの裏切り」は水に流そう、3番は「ちょっとの甘い罠」にははまってやろう、4番は「ちょっとの搾取」なら誰だって「がまんできる」となります。
「ちょっと」のことなら大目に見ましょう、とひたすら忍耐を説く “我慢ソング” ですが、4番の最後ではちょっとアクセントがつきます。
「それがちょっとの搾取ならば」
どうですか? 最近の話題に引きつけるなら、エネルギー維持のためなら、海洋への処理水放出くらい、ほんのちょっとしたひずみです。
「ぜんぶ悪いのはコロナだから」なんて政治家の無責任ぶりだって、ほんのちょっとの裏切りです。
オリンピックだって、誰かが儲けるためならほんのちょっとの甘い罠でしょう。
でもなにか変で、どこか変。何が、どこが変?
それで思ったのです。今、「ちょっと」(が)多すぎません? 「それがちょっと」なら、ストレス溜め込みヤケ食いし、逆ギレ、誹謗中傷にネット不信、DVにヘイトにリベンジポルノ…… くらいでがまんしましょう。だいぶイヤですが。
でももしかして「ちょっと」でなくなったとしたら……?
でも心配御無用。だって、実際にこの詩を歌ってみてください。この歌には一箇所だけ声に出して歌われない部分があるんです…… そうです。題名です。いくら「ちょっと」を積み重ねていっても、また元に戻ってしまう。永遠に爆発しない爆弾のようです。
だから「もうがまんできない」なんて、ならないのです。ちょっとどうかという時期だって、オリンピックも開催されるんです。でも御無用ったってやっぱり心配するでしょ? でも江戸さんならそんなことはどこ吹く風で「ナンのこっちゃい」。金じゃなくて銅でもいいんじゃないですか?
江戸さん、もともとレゲエの曲でしたが、こだまさんたちがレゲエとスカを組み合わせた贅沢な一曲に仕上げました。誰が歌ってもやっぱりJAGATARAなのですが、それでもしっかりKodama and the Dub Stationの音になっています。僕らがいるうちは、がまんにがまんを重ねながら語り継ぎますよ。
2021.07.01