1月27日
JAGATARA ー 江戸アケミの音楽や言葉がリアルにのしかかってくる時代
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photo:Discogs  

むき出しの寒波が押し寄せてきた。
東京近郊で暮らす僕にとって強烈な寒さを感じることなどほとんど無いのだが、ここ数日は疑いもなく寒い。いや、冷たいと言ったほうが的確か。風すらなく、ただひたすらに冷え込んでいる。

僕には、そんなヒリヒリとした空気に包まれると、必ずこみ上げてくる音楽がある。それが今日取り上げる JAGATARA の音楽だ。大好きな音楽は星の数あれど、ここまで大好きな音楽はない。

1990年1月27日、このバンドのヴォーカルであった江戸アケミは36歳の若さで死んでしまった。あれからもう30年近く… 僕がその悲しい知らせを耳にした夜も底抜けに空気が冷たかった。

インターネットなんて言葉も全く一般的でない時代、友人からの電話で訃報を受けたわけだが、そんな僕も誰かに電話せずにはいられなかった。心に空いた大きな穴を埋めるためには他者とのコミュニケーションが必要だったのだ。

それからずっと、僕の中にはアケミの遺した「何か」が根を張っている。それが何なのかを文章でうまく説明することは出来そうもない。ただ、JAGATARA の音楽や言葉がこれほどリアルにのしかかってくる時代になるとは思ってもみなかった。

振り返ってみると、80年代の終わりから90年にかけて、時代はバブル経済のど真ん中。古くてダサいものは取り壊され、お洒落でトレンディなものが新しく生まれていった。東京のウォーターフロントには倉庫を改装したクラブやカフェバーが次々とオープンし、そんな場所で行われるライヴイベントにも JAGATARA はよく出演していた。

そこには格好付けたミュージシャンも沢山いたけれど、JAGATARA は、いや、江戸アケミだけは違っていた。他のバンドとの違和感、その空間との違和感を常に覚えさせ、だからといってカリスマとか孤高とかといった雰囲気を出していた訳でもなかった。そのくせ、存在感だけは群を抜いていた。

ーー彼の発する言葉は他人にではなく、常に自分自身に対して向けられていた。恐らく、時代というものに対し凄まじい危機感を抱きながら(同時に抗うことなどできないと感じながら)、今としっかりと向き合って必死にもがいていたのだろう。

お前はお前のロックンロールをやれ!

アケミはよくこう言っていた。
今もって忘れられない。


でも・デモ・DEMO / JAGATARA
作詞:江戸アケミ
作曲:江戸アケミ
編曲:JAGATARA
下の映像はフジテレビの深夜番組に出演した際のスタジオライヴ(1987年)。ちょっと長い曲ですが、観る価値は十分あります。


2018.01.27
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カタリベ
1966年生まれ
太田秀樹
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