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唯一無二の日本語ラップ「近田春夫&ビブラストーン」夜になっても遊び続けろ!

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近田春夫&ビブラストーンのファーストアルバム「Vibra is Back」がリリースされた日
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2019年の近田春夫は活気づいている。昨年10月に近田春夫名義で38年ぶりのアルバム『超冗談だから』、明けて2月にはべストアルバム『近田春夫ベスト~ 世界で一番いけない男』をリリース。また、雑誌での連載開始やライブ、トークイベントなど、勢力的に活動を続けている。

何より嬉しかったのは、4月に CD が再発売された『Vibra is back』の配信開始だ。大・大・大好きでライブハウスに通った近田春夫&ビブラストーンの、メジャーデビュー前のファーストライブアルバム。私も行った渋谷クラブクアトロなどでの1989年現場を真空パックした、DAT 一発録りの一枚。日本のヒップホップ&ファンクを語る時に外せないともいわれる名盤だ。

ちょっと流れを説明すると、1985年頃、近田春夫が President BPM 名義で活動を開始。自身のレーベル BPM を率いてタイニー・パンクスらと日本語ラップを世に広め始めた。1987年には “バンド形式によるヒップホップ” というコンセプトから、近田春夫&ビブラストーンを結成する。

私がヒップホップが好きで彼らを好きになったかというとそうでもない。ヒップホップのことは未だによくわからない。ただ、ボ・ガンボスの追っかけをしてライブハウスに通い詰めていた頃、よくフライヤーをもらったのが、じゃがたらやミュート・ビート、近田春夫&ビブラストーンだった。

ボ・ガンボスはどんどん売れ出し、89年4月のメジャーデビューを前に規模が大きくなり、小さなライブハウスではライヴをやらなくなっていた。私は小バコで横ノリのサウンドに身を任せられるバンドを探していたのだ。体がグルーヴに飢えていたのだと思う。

また、メンツが結構すごかったという理由もある。じゃがたらの OTO、ジューシィ・フルーツの沖山優司、ビブラトーンズの岡田陽介と、近田春夫集大成的なメンバーが魅力だった。本当にただのミーハーだったのよ。

だって、当時の私のラップ認識なんてRUN DMC「ウォーク・ディス・ウェイ」かっこいいなあ、ビースティ・ボーイズやんちゃでいいなあ、くらいである。今もさして変わらないが。日本で いとうせいこうや高木完が台頭していたのは噂で知っていたけど、実際に聞く日本語ラップは吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」くらいだったし。

一度ライブに行って即陥落。社会に抗うような強烈メッセージを発信しながら、歌世界は確かにポップだった。近田春夫の力量なんだろう。人力で繰り出す迫力のヒップホップサウンドの要となったのは、OTO だと思う。

ヘビめのリズム、腰を直撃するビート感、脳を直撃する日本語ラップにぐいぐい飲まれ、ぎゅうぎゅう詰めの観客の中で、夢中で踊り続けた。歌詞の過激さで問題意識を突きつけながら、客を踊らすビッグバンドのグルーヴは、生まれかけのシーンを牽引するプロの手管と本気(マジ)によるものだった。

バンドは毎週集まって稽古をしていたらしい。「体に染み付くまで練習する。バンドなのに楽譜見てるとかダメじゃん」って近田春夫は言っていたそうだ。

一曲目の「Vibra is Back」がもうカッコいい。揺れ揺れのリズムギターで幕を開け、ベース&ホーンが彩っていく。

続く「Ningen Barbeque」は、ゆったりした太めのグルーヴで「♪ 政治家は名誉が大好き ボランティアはやらない」とアジる。盛り上り必須の一曲だった。

そして、営業時間を0時までと定めた1985年の風営法改定への反発アンセム「Hoo! Ei! Ho!」へ。「♪ だけどさ、そんなこと言ったってさ、無理なのはさ、わかってるでしょー!」である。しびれたね!

「Yada」は、頼んだ料理が出てこないとクダ巻いてる歌詞が笑える。後に SMAP も「シャンプー3つ」っていう歌で同じこと歌っていたのよね。

「Heavy」は「♪ いつだって一人だと思うんだ」とねちっこいベースに乗せたシリアスナンバー。

そしてガツンとくる「Wabi Sabi」では「♪ 侘しさからの逃避は 君の住んでる部屋じゃ無理だ」と金持ちへのdisりと羨望を吐きちらす。

もう、何もかもが等身大にかっこいいのだ。ギターソロがファンキーに盛り上がり、Dr.Tommy と近田春夫のラップがやんちゃに絡み合い、ぶっといドラムとホーンセクションが鳴り響く。ソウル、ファンク、アフリカンビート、レゲエを随所にちりばめ、ヴァン・ヘイレンや尾崎紀代彦のフレーズなんかも忍ばせてみたり(笑)。今聴いても決して色あせない。歌詞はむしろ今の方が胸にずっしり響くのではないだろうか。

中でも忘れられないステージは、1990年4月14日、日比谷野外音楽堂で行われた、じゃがたらの故・江戸アケミ(1990年1月27日逝去)追悼コンサート。近田春夫&ビブラストーンはアケミの遺影の前で、じゃがたらの「でも・デモ・DEMO」のカバーと「Wabi Sabi」を披露した。泣いた。最高だったよ。

その後の1991年7月、ビブラストーンと改名し、アルバム『ENTROPY PRODUCTIONS』でメジャーデビューを果たす。「ジェットコースター」等のヒットチューンを放った後、1996年に解散。

そういえば、少し前の『DOMMUNE(ドミューン)』、近田春夫がゲストだったんだけど、酔っ払いながらジャニーズ事務所関連の楽曲についてこんな発言をしていた。

「ジャニーズの歌は、ほぼ全て英語ナイズされていない、きちんとした日本語で歌われている。そこが魅力だと思う。日本語で歌う日本のダンスミュージックだよね!」

思わず膝を打ったし、それは私がビブラストーンを聞くたびに思うことでもあったような気がする。

きちんと日本語を咀嚼し、また、ヒップホップの概念を日本語に噛み砕いた日本語ラップ。今聞いても心の奥にぐいぐい言葉がねじ込まれてくる。社会・政治・マスコミに対する痛烈な批判と問題提起のリリック。ユーモアも忘れない。

ちなみにメジャーデビュー後のシングルで一番好きなのは1991年の「調子悪くてあたりまえ」だ。発売当時、駅前に大きく文字だけの広告が出たのを覚えている。自分にとっては、90年代を生き抜くためのキラータイトルだった。令和の時代となった今、全ての人に捧げたいな、なんて思う。

さて、今夜もリリース30周年を祝して『Vibra is Back』を聴くとしよう。この作品は、私が “私の踊り” を踊るために必要な方法がいっぱいに詰まったアルバムなのだ。

2019.08.30
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カタリベ
1968年生まれ
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