バンドブームの裏で、マニアックな音楽性へと向かった「No.17」
1980年代後半以降、小泉今日子は歌手のみならず、女優としても確固たる地位を築き始める。陣内孝則の相手役を務めた『愛しあってるかい!』(1989年)、自身最大のヒットを記録した主題歌「あなたに会えてよかった」でもおなじみの主演作『パパとなっちゃん』(1991年)は、いずれも彼女の女優業を振り返る上で欠かせない代表作だ。
そうした2作の谷間の時期に当たる1990年にリリースされたアルバム『No.17』で、彼女はプロデューサーに藤原ヒロシや屋敷豪太、ASA-CHANGといった、国内外のクラブミュージックに精通した人物たちを起用。ダブやラヴァーズ・ロック、UKソウル(グラウンドビート)などに接近した音楽性を披露している。同年のオリコン年間チャート上位がLINDBERG「今すぐKiss Me」やプリンセス・プリンセス「OH YEAH!」といった、明快で勢いのあるポップソングで多数占められていた状況を鑑みると、『No.17』のマニアックで静的なサウンドデザインは、国内の流行の逆を突く”冒険的”なものだったと言えよう。
もっとも、前作『KOIZUMI IN THE HOUSE』(1989年)では近田春夫を招き、日本のメインストリームではほぼ最速でアルバム単位でのハウスミュージックを標榜するなど、彼女はかねてよりエッジーなサウンドの導入には意欲を見せていた。今作の音楽性も、藤原ヒロシや屋敷豪太をはじめ、様々な “新時代の才能” の登用によるところが大きい。
小泉今日子のアンテナが捉えた、藤原ヒロシ・屋敷豪太の才能とは?
藤原ヒロシは80年代中盤より、クラブDJとしての活動のみならず、高木完とのユニット “タイニー・パンクス(TINNIE PUNX / TINY PANX)” として、いとうせいこうと共に日本でいち早くヒップホップ作品を発表。1988年にはレーベル “MAJOR FORCE” を設立するなど、日本国内における “クラブミュージック”の発展に多大な貢献を果たした存在である。当時のMAJOR FORCEの先鋭性は、2018年にレッドブル・ミュージックでも特集が組まれるほど強いインパクト・影響を残すものであった。
同じくMAJOR FORCEの設立に携わった屋敷豪太は、1990年代時点ですでに世界的にその名を知られた音楽家だった。ミュート・ビート、MELONなど今なお高く評価される日本の先鋭的バンドに参加したのち、1988年に渡英。プログラミング等で参加したソウル・Ⅱ・ソウルのシングル「Back to Life」が全英1位・全米4位、全演奏・プログラミングを務めたシネイド・オコナー「愛の哀しみ (Nothing Compares 2 U:プリンスのカバー曲) 」が全英・全米1位を記録。さらに後の1991年には当時世界的なバンド / ユニットであったシンプリー・レッドのドラマーとして加入するなど、日本人としては異例の成功を納めている。
この時期の女性アイドルシーンでは、筋肉少女帯や奥田民生らを迎えてハードなアヴァン・ポップを打ち出した山瀬まみ『親指姫』(1989年)、直枝政太郎 (カーネーション) の楽曲を取り上げつつメタ・アイドル的な風情を漂わせた森高千里『非実力派宣言』(1989年)などの充実作が多数リリースされていた。その中でも、ある種1990年代の音楽・ファッションの流行を先取りした(準備し、育んだ)人物たちを呼び寄せ、自身のスタイルに取り込んだ『No.17』のエッジーさは、真打と呼ぶに相応しいものがある。
最先端のアレンジとポップミュージックへの愛情を両立
また、本作『No.17』は藤原・屋敷のみならず、東京スカパラダイスオーケストラやASA-CHANG (当時の彼女のヘアメイク担当!) など、後年にJ-POPシーンでも広く知られていく存在を非常に早い段階でフックアップしていた。この両者と藤原が手がけた楽曲が「あたしのロリポップ」である。本曲は1950年代のドゥーワップのカバーだが、編曲は1964年にミリー・スモールがUKでリバイバルヒットさせたスカテイストのヴァージョンを下敷きにしたものだろう。この曲や、アルバムの最後に配されたアン・ルイス「グッド・バイ・マイ・ラブ」のカバーが象徴するように、『No.17』は先鋭的なクリエイターとともに時代の最先端を追い求める一方で、流行歌的なポップミュージックへの愛情も忘れてはいないアルバムだ。
こうした “スター” としての輝きと音楽 / カルチャーへの深い愛情を高次元で両立させたバランス感覚は、日本のポップカルチャーにおいて、ある種の理想形となっていったようにも思える。後年、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」で、小泉は「アイドルの母」として重要な役割を演じているが、本ドラマが日本のメイン / サブ・カルチャーのクロスオーバーを代表するコンテンツであったことを思えば、この配役は彼女の築いたキャリアを象徴する出来事にも思える。『No.17』は芸能界における彼女特有のポジションを体現した作品として、次作『afropia』(1991年)と並び、今後一層評価されていくべき名盤だ。
【参考:アンビエント / ニューエイジ / バレアリックとしての小泉今日子】
小泉今日子のアンビエント / ニューエイジ / バレアリック方面の楽曲をまとめたプレイリストを、彼女の音楽的冒険を知っていただくための補足としてリマインダーのコラムページ下部に紹介。彼女がハウスミュージックをいち早く取り入れたことは広く知られているものの、こうした静的な音楽性の再評価はまだまだ足りないと感じている。ぜひ本稿と併せてチェックしてみてほしい。
40周年☆小泉今日子!
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2022.03.18