1977年 4月25日

元祖日本のガールズバンド、ガールズからのジューシィ・フルーツとピンナップス

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元祖日本のガールズバンド、ガールズ


学生時代の私にとって重要なTV番組に『ぎんざNOW!』があった。

その番組に出演したランナウェイズとの遭遇は『ジョーン・ジェット、ランナウェイズの悩殺爆弾からアイ・ラヴ・ロックンロール!』で書いた。そしてそのすぐ後に、ガールズというバンドがデビューし、出演したのを観た。

彼女たちはランナウェイズに倣って、メンバー5人全員が現役の女子高生。しかもいわゆる私立のお嬢様系学校に在学中で、ステージ衣装は下着に網タイツ&ノーパンが売りだった。

今にして思うと、1977年デビューの彼女たちこそが、元祖日本のガールズバンドになる。

活動期間はわずか2年あまり…


“10代” “私立の女子高生” “ノーパン” といったキャッチフレーズで露出しまくったガールズは “ガールズパンク” として宣伝されていたが、振付は当時ピンク・レディーなどでお馴染みの土居甫氏で、鏡の前で楽器を抱えて練習したらしく、かなり芸能界的なバンドだったようだ。

パンク=不良=スケ番…… な戦略だったのか、私立女子高生がロックバンドを結成すること自体が不良扱いだったのか、少なくともボーカルの下着姿のリタ以外はジャンプスーツなどを着て、パンクというよりグラムロックな印象を私は受けた。

女がレスポールなんて重いから無理と周りの男子が口を揃えて言っていた時代だ。彼女たちがカバーした「チェリー・ボンブ」の歌詞が、

 ヒステリー教師はオールドミス!

…… と言った具合で、欲求不満な10代のアタシ感満載。しかしどう見ても不良にもヤンキーにも見えないギャップを感じた。ゆえに企画物感が増してデビュー時の、ランナウェイズ=不良、スケバン系=一人称 “あたい” だったのが、唐突にブロンディ的な歌謡ロックな流れになり、そして全員イベントコンパニオン風の衣装に変わり一気にパワーポップ化。衣装は兎も角、私は後期の方がすごく自然に感じた。

しかしガールズは、活動期間わずか2年あまりで1979年に解散。売りにしていた10代じゃなくなる前に解散したのか。それともランナウェイズみたいにメンバー同士のいざこざがあったのか。メンバーだったイリアさん曰く、イリアさんは大学を卒業したら普通に就職する気だったらしく脱退し、その後メンバーチェンジをし大学卒業後解散に至ったのだという。

ロック好きが集まる原宿の洋服屋も、ボーカル・リタのファッション推し?


当時、いわゆるロック好きが集まる洋服屋が、原宿の現・東急プラザの地下にある原宿プラザというスペースに沢山あった。中でも東倫というブティックが私はお気に入りだった。ロック系の古着も新品も扱う店で、いつも接客してくれるお姉さんが、

「これ、ガールズのリタちゃんが着てるやつ」

…… と薦められたショートパンツは、脇が空いているデザインだった。だから下着が付けられない=ノーパン…… と言われたと理解した。当然私は着る勇気も着て行く場所もなかった。エナメルのキラキラ光る脇が紐で編むショートパンツ。

「勇気がない? 勇気なんて若さがあれば十分よ。若い時じゃなきゃ着れないでしょ?じゃあ試着だけでもしてみたら?」

…… とお姉さんに言われたが、試着はしなかった。いや、正確には出来なかったのだ。ノーパンで試着したら買わなくてはならないし、羞恥心が賢明な判断をしたのだ。

イリアはジューシィ・フルーツ、リタはピンナップスで再デビュー


程なくして1980年にリードギターのイリアがジューシィ・フルーツのギターボーカルとしてデビュー。ガールズ時代はウェスタンシャツに長い髪で決して笑わずギターを弾いていた彼女が、髪を短く切りフルメイクにマニキュアでピンクに塗装したギターを持ちウィスパーボイスで唄う姿にびっくり。彼女は元ガールズのイリアとして再デビューしたのだ。

一方それから1年経たないうちに、やはりガールズのボーカルだったリタがピンナップスというバンドでデビューした。こちらも髪を切り、逆毛を立て、ガールズの後期のブロンディ的な路線を突き進めた上質なパワーポップ(ややレトロ系)になっていた。

スケバン的なアプローチや歌詞から解放され、ボーカリストとしての表現力も増して野元貴子と名乗っていた。リタとは違うアプローチだと言わんばかりに。こちらも驚いた記憶がある。

ジューシィ・フルーツもピンナップスも、プロデュースは近田春夫


いわゆる徒花バンドとして10代を “ザ・芸能界” で過ごした70年代後期からの、この2つのバンドの出現こそ、私的にはパチンと音が鳴ったように、80年代の幕開け感が今でもある。

どちらもプロデュースは近田春夫氏。そして、各バンド名の命名も近田春夫氏なのが流石である。

その当時本人達を苦しめた “女の子バンド” 的な偏見や視点を一切持たず、才能や可能性、時代の空気感を読む感覚、さらにザ・芸能界を分かったうえで歌謡曲なるジャンルに真正面から向き合って来た彼が、彼女達をプロデュースしたのは自然な成り行きに思えるくらい適任者だ。

そしてどちらもバックメンバーは男性。おそらく女同士で組むより、一旦、元ガールズという履歴に伴うイメージを変えたかったのでは…… と思う。

さて、原宿プラザにあった東倫だが、お店のオーナーに「姉弟ですぐ向かいの通りにロンドンドリーミングという路面店を出すから遊びに来て」と声をかけられ、よく通ったものだ。その後、原宿プラザ地下の猥雑な宝島感は薄れて、一階路面店は明るくメンズアイテム重視のスタイリッシュな店になっていった。

そこにはリタちゃんが着そうな露出度が高い服はもう置いていなかった。無ければ無いで試着だけでもしてみたかったな、たとえ鏡を見て落ち込んでしまったとしても…… と思ったりもした。

その頃、雨後の筍のように女性ボーカルバンドが出現する流れになり、“女の子バンド” が珍しくなくなるのに、そう時間はかからなかった。


2021.09.09
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