6月10日

沢田研二は1発OK!伊藤銀次の語る「ストリッパー」ロンドンレコーディング秘話

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photo:UNIVERSAL MUSIC  

コンセプトはネオ・ロカビリー、沢田研二「ストリッパー」


僕がアレンジャーとして抜擢された沢田研二さんの1980年のアルバム『G.S.I Love You』は、その当時世界的にトレンドだった “60sリメイク・ムーブメント” と見事に呼応して、けっこうな評判を呼ぶことになった。なかでも『ミュージック・マガジン』誌で亀渕昭信さんが絶賛してくださっていたのには大感激だったね。

日本を代表するスーパースター、ジュリーの、60年代のグループサウンドの精神を80年代ニューウェイブな手法で再生させるという大役をなんとか終えてほっとしていると、なんと次のアルバムでもまた編曲をしてほしいとのうれしい依頼が!!

次のアルバムのタイトルは意表を突く『ストリッパー』!!

そしてコンセプトはなんと “ネオ・ロカビリー”!!

しかも沢田さんが彼のバンド、エキゾティックスと共にロンドンに渡って、その頃ネオロカビリーで人気を博していたストレイ・キャッツがレコーディングしている、チジックにあるEDEN STUDIO(イーデン・スタジオ)で録音するという。しかも嬉しいことに、僕もそのレコーディングに随行させていただけるというのだ。

EDEN STUDIOといえば、ニック・ロウやデイヴ・エドモンズ率いる、僕の大好きなロックパイルのホームグラウンド。パブロックの聖地でもある。

わお!! またまたとんでもなくワクワクなプロジェクトへの参加依頼に武者震いがとまらなかったよ。

沢田研二が受けたロンドンの刺激、メンバーもアーティスト心が全開


スケジュール的には、1981年4月上旬に渡英、10日間ほどの強行軍でのレコーディング。なので日本にいるうちに、すべての楽曲の作詞作曲を終えアレンジも決定、沢田さんもメンバーも曲を体に叩き込んでおいて、現地では「せ~の!」での1発録りを目指すことになった。

できれば沢田さんもアレンジ決めのための、メンバーとのリハーサルに参加してほしかったのだが、ちょうどその期間に、天草四郎時貞役で映画『魔界転生』に出演するため京都太秦にずっと缶詰状態。そこで僕がメンバーとのリハで仮歌を歌ったものをカセットテープに録って太秦まで送り、それを沢田さんが聴いてメモリーするという非常手段を取ることになった。

そしてなんとかフライト当日、成田空港で合流。まだソ連があったときだったからロンドンへの直行便はなく(※)、アンカレッジ経由の便でロンドンに向かった。

到着初日、少し休んでからみんなでピカデリーなどの中心部へ出かけたら、おお!! そこには、いわゆるニュー・ロマンティックといわれた色とりどり個性的でカラフル・ファッションな若者たちがいっぱい。刺激されたメンバーたちはさっそく、ヘアスプレーを買いに行くというわかりやすい反応を。

そして翌日、レコーディング初日の朝、ホテルのロビーに集合したとき、なんと沢田さんはしっかりとメイクしておしゃれにキメていた。沢田さんも刺激を受け、これは負けてられないという気持ちになっていたのではないかな。みんな眠っていたアーティスト心が全開!! その “いい緊張感” のままレコーディングに突入。

おかげでどのテイクもハリのある生き生きとしたシャープなノリの “OKテイク” になったよ。

どの曲も1発OK!ジュリーは生粋のロックバンド・ヴォーカリスト


もちろん現地エンジニアのアルド・ボッカの作ってくれるサウンドのおかげもあったけれど、沢田さんも含めた全員の日本人ミュージシャンとしての意地やプライドみたいなものが、このアルバムのかっこよさにつながったのだと思う。なかでもレコーディング最終日にプレイした「ストリッパー」での柴山和彦のリードギターには鬼気迫るものがあったね。現地で参加してくれたロックパイルのビリー・ブレムナーのギタープレイに相当刺激されたからだろう。

そして、ついこの間まで映画の撮影の中にいたとは思えない沢田さんにも驚かされた。しっかりと歌詞をメモリーしてきてバンドといっしょに歌い、なんとどの曲のヴォーカルも歌い直しのない1発OK。ザ・タイガースからキャリアの始まった沢田さんは、ストーンズでのミック・ジャガーのように、やっぱり生粋のロック・バンドのヴォーカリスト!! エキゾティックスとの相性も抜群だった。

しっかりとした手応えのアルバムからのシングルカット「ストリッパー」は1981年のレコード大賞の各部門でノミネート、僕も編曲賞でノミネートされ、生まれてはじめて帝国劇場に招待されることになった。

この年は寺尾聰さんの「ルビーの指環」が大賞、作曲賞、作詞賞、編曲賞を総ナメ、残念ながら僕はノミネートだけで終わったが、会場でまじかに聴いた、ズダダ、ダダダ、ダダダ、ダダダのドラムフィルで始まった「ストリッパー」にはちょっと感動したなぁ。

これは、その後のバンドブームへもつながっていく、それまでの歌謡曲の範疇にはなかった “新しいエンタテインメント” のはじまりだったのではないだろうか?


※冷戦下だった当時、旧ソ連上空を飛行することができず、米国アラスカ州のアンカレッジを経由していた

2021.06.10
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カタリベ
1950年生まれ
伊藤銀次
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