ポスト・トレンディドラマを模索したフジテレビが新たに打ち出した純愛路線
コンセプトは『美女と野獣』だったという。
このアイデアは連続ドラマを任されるようになって間もない、新進気鋭の脚本家 野島伸司がフジテレビのプロデューサー大多亮へ提示したものであった。
単なる役柄の例えではない。ディズニー作品でお馴染み、恐ろしい風貌をした野獣が人間の娘に恋をし、彼の美しい心に気付いた彼女が、その愛を受け入れていくというラブストーリーそのものを意味している。
80年代の終盤、都会に暮らす若いカップルの恋愛模様を題材とした一連のラブコメ作品は、トレンディドラマともてはやされ、若年層を中心に多くの支持を獲得していた。だがこの頃、当のけん引役だったフジテレビの内部では、このフォーマットでは多くの視聴者を惹きつけることはできない、ということが既に議論されていたという。まさにバブル崩壊が始まろうとしていた頃、少し浮かれたような登場人物たちのライフスタイルが現実と乖離し始めていたのを視聴者が感じ取っていたのかも知れない。その兆しは既に視聴率の低下という形で表れていたのだ。
そこにこの野島からの提案… 恋愛を表層面ではなく、より本質的なものとして捉えて表現していく…。その後のフジテレビドラマの新基軸を打ち出す上で、『美女と野獣』の “純愛” 路線はうってつけのテーマであった。
この物語は、死別した恋人のことをいつまでも忘れられず、新たな恋愛を受け容れることができないチェリストの矢吹薫と、両親を亡くし、弟を養うために仕事一筋で婚期を逸した中年サラリーマンの星野達郎が、ひょんなことから見合いの席で出会い、やがて恋に発展していくというもの。2人の周囲には彼らを理解し、何とか互いを結び付けようとする応援団的な人々の存在もあるが、そのやることなすことが裏目に出て、かえって足を引っ張る結果に…。ストーリー自体は、そんなラブコメ的な要素もふんだんに盛り込まれてはいたものの、主演2人のキャスティングには当初から疑問の声が寄せられたという。
“トレンディドラマの女王” と “国民的先生役” 異色の組み合わせによる化学反応とは?
ⓒフジテレビ女性の主人公、矢吹薫役には浅野温子。当時はトレンディドラマのトップに君臨する象徴ともいえる存在である。彼女の場合 “薫さん” といえば『あぶない刑事』の主要キャラクター “真山薫” を思い浮かべる視聴者も少なくなかっただろうが、その頃はまだ彼女のコメディリリーフ的な素養は全く発揮されていない。
そして相手役となる星野達郎にはあの武田鉄矢。彼にとって “金八先生” は、もはや彼自身の別人格といっても過言ではないライフワークのような存在である。トレンディというよりは荒川の土手を歩かせたら、彼の右に出るものはない。なにしろ視聴者の多くは世代的に皆、彼の教え子たちの年代だったのである。なお、“達郎” の名をつい “鉄郎” と間違えがちなのもこの世代の特徴である。
この共演を振り返って後年、武田はインタビューの中で、スタート直後は浅野との演技がかみ合わないことがあり、苦手意識があったことを吐露している。例えば武田の持ち味は、時折口角泡を飛ばすような情熱的なセリフ回しで発揮される。彼が漢字の由来に例えて生徒たちに説教する場面を思い起こしてもらえばよいだろう。
だが、それに対して浅野はその特徴的な “ワンレン” を掻きあげながらプイと横を向く、いかにもトレンディドラマらしいすかした演技をする。我々視聴者にはその対比が面白く、2人の距離を象徴しているように見えていたのだが、当初、武田はそのことに違和感を覚えていたという。
伝説の名シーン、「僕は死にません!」
ⓒフジテレビそんな応酬が幾度となく積み重ねられ、物語でもいよいよ2人の距離が縮まったというところで、ついにあの伝説の名シーンの撮影を迎える。
達郎の自己犠牲をも厭わない熱烈な求愛を受けてきた薫は、自らの本心に戸惑い涙する。
「人を好きになるのが怖い。愛する人を失うことが怖いの…」
すると達郎はその言葉を聞いて何を思ったのか、突然車道の往来に飛び出し、寸前で急停止するダンプカーの前で仁王立ちし、そのまま薫へ振り向きざまにあのセリフを言い放つ。
「僕は死にません! 僕は死にません! あなたが好きだから!」
鬼気迫る武田の演技に呼応するかのように浅野は大号泣でこれに応じた。武田自身このシーンがこのドラマの成否を分ける大きな転機になったと語っている。
なお武田は否定しているが、このセリフは「僕は死にましぇん」と、彼の博多弁のイメージのまま誤用されて浸透してしまい、この年の『流行語大賞』を獲得してしまう。それだけのインパクトを世間に与えるほど、誰もがこのラブストーリーのハッピーエンドを願っていたのである。
CHAGE and ASKA、主題歌「SAY YES」で迎えた確変期の到来
主題歌を依頼されたCHAGE and ASKA(当時:CHAGE&ASKA)も同じ頃、大きな潮目の変化を感じ取っていた。1979年のデビュー以来 “演歌フォーク” の作風を継続して推し進めたかったレコード会社と、そのことに閉塞感を感じていた彼らとの間で制作方針を巡り対立。1985年にレコード会社を移籍して再出発を図る。
そこからはアイドル歌手への楽曲提供などで露出を図りながら個々のソロ活動にも取り組み、音楽を追究していくと活躍の場は広がりシングルセールスも上昇、ツアー・チケットも完売という状況が続くようになっていった。
まさにブレイク寸前だったこの時、主題歌の楽曲提供を依頼されたASKAは、間もなくやってくる大きなうねりを予感し、少なからずプレッシャーを感じていたという。小田和正の手による同年1月クールのドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌「ラブストーリーは突然に」は270万枚という記録的な大ヒットとなっており、自分に寄せられる周囲からの期待を感じ取っていた。
また同じ時期、やはりダブルミリオンを達成していたKANの「愛は勝つ」も強く意識せざるをえない作品だったようだ。ASKAは2023年11月、幼馴染でもあったKANの逝去に寄せてブログに追悼の言葉を綴り、キャッチ―なフレーズで力強く愛を説くこの曲を聴いて、自分もこんな曲を書いてみたいという思いに駆られたことを明かしている。
主題歌「SAY YES」はそんな背景のもと、タイトル通り主人公のプロポーズが叶うという前提で書かれている。物語序盤のプロットしか目にしていないASKAには、当然その結末が予想できるはずはなかった。口ずさみやすい軽快なテンポで作られることを望む制作側からのオーダーに対し、スローバラードであったことも局の意向とは異なっていた。
しかし、楽曲を聴いたプロデューサーの大多は、歌詞に込められた優しさや展開されるストーリーに感銘を受けて翻意し、採用を決めたという。
ドラマのイントロダクションは、ヒロインである薫のウエディングドレス姿のタイトルバックから始まる。荘厳なシンセサウンドで奏でられる曲調には、もはや “演歌フォーク” の面影はなく、まさにチャゲアスの進化を感じさせる仕上がりとなっていた。そしてドラマの放映開始から約3週間後、満を持してリリースされたシングルは、瞬く間にヒットチャートを上り詰める。その後13週もの間トップの座を保ち続け、シングル売上げは282万枚にまで達した。
ドラマも主題歌も大ヒット、成功の陰にある制作側の狙いと脚本家 野島伸司の想い
ⓒフジテレビこの物語の成り行きは当初、プロポーズはかなわずに終わる方向で検討されていたという。だがドラマの中盤、達郎による例の熱烈なアタックが功を奏し、互いの想いを確認し合った2人の距離は、とんとん拍子で婚約まで漕ぎつけるという展開を迎える。そして、主題歌の爆発的なヒットとともにドラマへの反響は日増しに大きくなり、武田演じる達郎の健気さに胸を打たれた視聴者から、このカップルの成立を望む声が数多く寄せられるようになっていった。
薫のかつての恋人 “真壁” を演じた長谷川初範は、当初は彼女の回想シーンでのみ登場する予定だったと証言している。それが撮影から約1ヶ月が過ぎた頃、再び出演依頼が舞い込み、真壁の生き写しの人物という形で、2人の目の前に登場するということが告げられたという。
ハッピーエンドで終わるには、目前に立ちはだかる大きな障害があってこそ、その顛末は大いに盛り上がるというものだ。再び薫の心は揺れ動き、達郎はライバルの登場に絶句する。
今となっては、恋の成就しないストーリーがどのようなものだったか知る由もない。だが果たして執筆を担った野島伸司は、この方針転換をすんなりと受け容れることができたのだろうか…。
野島は2015年のインタビューで、かつては気になっていた視聴率について、今はあまり大きな意味を見出せなくなったと語っている。それよりも自分が届けたいと思っている人たちがちゃんと見てくれることこそが重要なのだと、それが彼の真意であるならば、視聴者を追いかけて作品を書き変えることは不本意な事案だったのかもしれない。
最終回の視聴率が36.7%! ドラマ史に残る快挙
ⓒフジテレビドラマ「101回目のプロポーズ」は最終回の視聴率が36.7%に達し、大好評のうちにフィナーレを迎えた。この記録はこの後に野島が関わることになる「ひとつ屋根の下」と「家なき子」によって塗り替えられることになるのだが、90年代を通じてのベスト3に残る数字を叩き出したことになる。
また主題歌「SAY YES」はCHAGE and ASKA(当時:CHAGE&ASKA)最大のシングルヒットであり、メガヒットが多く生まれた90年代を通じて、こちらもベスト3となるセールスを記録している。いずれもが大成功を収めるというドラマ史に残る快挙を成し遂げたのである。
こうして得られた大きな成功は、主題歌が単にドラマのオープニングを飾るアクセサリーや、シーンを盛り上げる演出ツールのような存在ではなく、時にはストーリーの行方を暗示したり、主人公のキャラクターや生き方を標榜させる重要な要素になり得ることを示し、必要不可欠なピースとして組み入れようとする動きを一層加速させていくことになった。
また音楽業界も楽曲の接触機会を増大させるだけでなく、ドラマの各シーンで印象的に使われることによるイメージアップと、飛躍的な想起率の向上が見込めることが実証され、楽曲提供の協力体制は一流アーティストをも巻き込んで、より強固なものとなっていく。
野島はこの頃を振り返って「テレビドラマがエンターテインメントの文化や流行の中心だった」と語っている。90年代、ドラマと音楽業界との蜜月の時代はこうして幕開けを迎えたともいえるだろう。
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2024.01.09