スラッシュメタルが凶暴化、カンニバル・コープスのデビュー
デスメタルの登場は必然だった。それまでスラッシュメタルはスピード感を重視するスタイルだった。そこからグルーヴを重視するようになり、スラッシュメタルは失速していった。それでも、世の中には速いメタルを好むファンが多かった。そんななかで、1987年あたりからメタルシーンの一部が過激化の途を進み、“もっと速く!もっと過激に!” という感じでデスメタルは産まれた。
初期のデスメタルでは、フロリダを中心にしたバンドが脚光を浴びる。だが、今回私が紹介するカンニバル・コープスはニューヨーク州バッファロー出身だ。
カンニバル・コープスは、1990年にファーストアルバム『屍鬼~イーテン・バック・トゥ・ライフ』をリリース。凶暴なスラッシュメタル色が強く、とにかくジャケットがグロかった。音もあまり良くない。インターネットがない時代、情報はレコード屋の解説のみ。まともな(?)昔ながらのメタルファンは、文字通り見て見ぬフリ。メタル専門誌も最初は無視していたし、レコ評を書いたとしても酷評、もしくはギャグ扱い…。
デスメタル初期の名盤「ブッチャード・アット・バース」
しかし、1992年にリリースされたセカンドアルバム『斬鬼~ブッチャード・アット・バース』では、ジャケットも、歌詞も、音もボーカルのうなり声(デスボイス)も… 全てがパワーアップしていることが聴いてわかるのだ。
ノイズ音から始まるこのアルバムは、強力なオーラを放っていた。しかし、先にも述べたような扱いを受けていた当時、日本の国内盤なんか出るはずもなかった。それでも輸入盤屋では売れに売れたのだ。
この時期あたりからメタル専門店ではデスメタルのコーナー(売場)が出始める。今でこそレコードショップでは普通にあるデスメタルのコーナーだが、当時は棚が作られただけでエクストリームメタルファンが売場に押し寄せた。こうして時代や世代が移り変わるにつれ、デスメタルは広く認知されるようになり、また細分化が進んでいった。
今では海外のデスメタルバンドは普通に来日をするし、国内盤がリリースされることも普通のことだ。しかし当時、デスメタルバンドの来日なんか夢のまた夢。ネット環境もなければ情報もない。しかし、だからこそ面白いムーブメントになったのかもしれない。極悪な音や地底人のようなうめき声、そして音の速さや過激な歌詞は本能的な想像力をかきたてるジャンルだったのである。
彼らカンニバル・コープスがデスメタルシーンに及ぼした影響力は大きく、その礎でもあるセカンドアルバム『斬鬼~ブッチャード・アット・バース』をぜひ聴いてみてほしい。デスメタル初期の名盤である!!
2020.07.29