月曜夜のお楽しみ、フジテレビの音楽番組「夜のヒットスタジオ」
宵っ張りで、テレビっ子で、大人の世界を垣間見るのが大好きだった私。家族みんなで見られる番組が並ぶ夜7時台8時台よりも、10時台の番組を熱心に見ている子どもだった。
月曜は『夜のヒットスタジオ』、火曜は『プロポーズ大作戦』
(プロポーズ大作戦 ー 横山やすしはラッキーチャンスを逃がしてしまったのか を参照)、水~金曜はドラマか映画、土曜は『テレビ三面記事 ウィークエンダー』
(土曜の夜は「ウィークエンダー」エロい再現フィルムに凍りつく茶の間 を参照)、日曜は『アイ・アイゲーム』からの『パンチDEデート』。1970年代後半から80年代前半は、こんな夜10時台の視聴スケジュールを毎週繰り返していた。
特に楽しみだったのが、芸能界と都会のきらめきをギュッと凝縮したような、フジテレビの音楽番組『夜のヒットスタジオ』(以下、夜ヒット)だ。月曜は、登校前に新聞のテレビ欄で夜ヒットの出演者を必ずチェック。好きな歌手の名前があると、それだけで気分は上がり、月曜の憂鬱は吹き飛んだ。
司会は芳村真理と井上順、やり手のママと口が達者なボーイ?
この時期の夜ヒットで思い出すのは、なんといっても司会の芳村真理と井上順だろう。ゲストよりも派手なファッションで登場した芳村を、井上が茶化すのが番組のお約束。何を言われても、「もぉ~順ちゃんたらぁ」と笑いながらあしらう芳村に、大人の女性の余裕を感じた気がする。
日本橋で生まれ、ファッションモデル、女優を経て、当時めずらしかった女性司会者になり、実業家夫人でもあった芳村真理。渋谷で生まれ育ち、六本木野獣会の遊び人からザ・スパイダースの一員となり、歌手、役者、コメディアンとして幅広く活躍する井上順。
まぶしすぎる経歴を持つ2人による、“やり手のママ&口が達者なボーイ” 的コンビネーションは、赤坂や銀座の高級クラブを連想させた。華やかで洗練された番組のムードは、この2人の圧倒的な都会っぽさと軽妙なやり取りによるものが大きかったと思う。
ラテン風味でゴージャス、演奏はダン池田とニューブリード
他の歌手の持ち歌をワンフレーズ歌って、さらに紹介までする、番組冒頭のリレー式メドレー。スロットマシーンで出た数字の金額を、視聴者に贈るラッキーテレフォンプレゼント(必ず万の位で9を出した、郷ひろみと西城秀樹はすごかった!)。こうしたコーナーも印象深いが、やはり一番の魅力は、生放送・生演奏での豪華出演者の歌そのものだろう。当時の人気歌手は、夜ヒットで新曲を初披露するのが通例。プロといえども、“初めて” の緊張感が半端ないことは、画面越しに伝わってきた。
ダン池田とニューブリードの演奏も忘れられない。ダン池田はラテンバンド出身らしいが、そのせいか、夜ヒットの演奏は他の音楽番組やレコードより、ゴージャスかつリズミカル。ホーンセクションが際立ち、生放送の番組内におさめるためか、テンポが速かったように思う。
ダン池田のノリノリな指揮スタイルも、いかにもラテン風味。パンチパーマとちょびヒゲのあやしいルックスながら、まさにラテンのバンマスといった風情が夜ヒットにぴったりだった。
暴露本にパワハラ? 伝説の音楽番組の光と影
それだけに、ダン池田が『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』という暴露本を、夜ヒット降板後の1985年に出したときはショックだった。番組の裏側を赤裸々に明かし、芳村と井上のこともけなしまくり。笑顔でタクトを振りながら、あんなことを思っていたとは。
この本のせいなのか、ダン池田はそのまま表舞台から消え、2007年に亡くなったときも、芸能界から追悼の声はほとんど聞こえてこなかったように思う。華やかな舞台から消える覚悟を持ってまで、あの暴露本を出したかったのか、今も疑問は残る。
ゴージャスで芸能界の夢が詰まっているような夜ヒットだが、裏側は過酷。リハーサルでも本番でもスタッフや出演者への罵声や鉄拳が飛び交う、今でいうパワハラが横行していたことも、後で知った。新曲初披露の歌手の緊張も、そのせいで増していたのかもしれない。
そんな裏側を微塵も感じさせず、涼しい顔で軽妙かつスマートに番組を進行していた芳村真理と井上順。つくづく只者じゃない。
井上順が司会を降板してから35年が経ったが、今も当時の映像を見ると、その “THE 芸能界” な世界感に私の胸はときめく。裏側に何があったとしても、まぎれもない伝説の音楽番組だ。
2020.08.10