1982年 ——
映画『爆裂都市』が公開される少し前。いつものようにレコード屋に入ると聴き覚えのある曲がかかり始めた。
原曲はアラン・メリル率いるアローズの「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」。カバーしたのは、なんと、元ランナウェイズのジョーン・ジェット。
その瞬間、身体中がミントの香りに包まれた。
1977年、ザ・ランナウェイズは初来日。コンサート以外にもテレビ出演、ライブレコーディング、写真集まで出すほど日本では大人気のバンドで、当時洋楽を聴き漁っていた私は彼女達に夢中になり、コンサートに行くことを決めた。シングル曲の「チェリー・ボンブ」は最初「悩殺爆弾」と言うタイトルで、まさに思春期に悩殺された私。
当時、学校から帰ったら必ず毎日見ていた『ぎんざNOW!』。その木曜日は「ポップティーンPOPS」という洋楽オンリーの日だったのだが、そこに来週ランナウェイズが出演するらしい! まさに「チェリー・ボンブ」の歌詞のようにいてもたってもいられず、木曜日の学校終わりに銀座へ行くことにした。
思えばこれが私の銀座デビュー。
『ぎんざNOW!』は銀座三越の裏側にある銀座テレサというスタジオからの生放送。母にあれこれ聞いて、国鉄(現:JR東日本)有楽町駅から歩いて向かうことに。
案の定、大人気ゆえスタジオには入れず。制服のまま外で演奏を聞いていたらケバいお姉さん達に声をかけられた。後で分かったが彼女達はいわゆるグルーピーで、毎週ここで出待ちをしている追っかけの達人だった。「もうすぐ出てくるはず」と言われ、訳も分からずお姉さん達と場所を移動する。
次の瞬間、ランナウェイズが私の目の前にドアを開けて現れた!
凄い人だかりで警備と押し合いへし合いの中、お姉さん達はしっかりシェリー・カーリーにサインを貰い写真を撮ったりし始めた。至近距離で見た彼女は睫毛も金色で雪の様に白く細い。
すると私の隣にジョーン・ジェットが!
小さなTシャツの下はノーブラ。
ガムを食べながら片手にはタバコ。
思春期の私にとって至近距離で見る西洋人は初めてで、口から心臓が飛び出す勢いだ。
ジョーンが何か言った。
勿論英語が聞き取れない。
するとお姉さんが通訳してくれた。「そのスヌーピーのバックが可愛いって」
通学に使っていたスヌーピーの布袋バッグを迷わずジョーンに渡し「アイライクスヌーピーアンドユー」と、震える声で咄嗟に言った。
真っ黒い隈取りメイクの彼女は私を見つめ「サンクス」と耳元で囁き、きつく抱き締められ…
時が止まるとはこの瞬間のことだ。
13歳の私、初キスの相手はなんと女性!
ガムのミントの匂いとタバコの残り香の柔らかい唇の感触に我を忘れ、何か言われたが口をぽかんとあけて、ただジョーンを見つめるだけしか出来なかった。
初めてのことづくしでサインも写真も撮らず、お姉さん達とシェリーやサンディーの写真撮影に混ぜて貰うのが精一杯。後になって、お姉さんがジョーンが私を抱きしめながら「ロックしようぜ」って言ってたと教えてくれた。
あの日どうやって有楽町の駅まで歩いたのか記憶が無いくらい頭も身体も痺れていた。
この初来日中、ベースのジャッキー・フォックスは突然脱退し、ツアー中に帰国。ジョーン・ジェットが代わりにベースを弾くことになりツアー後にシェリー・カーリーも脱退。程なくしてランナウェイズは解散する。
それから約2年。ジョーン・ジェットは今度は男達を従えて「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」と帰って来た。
82年からずっとロックし続けている彼女が今でもスヌーピーが好きなのか不明だが、あの日からずっと、私のロックはミントの香りに包まれたままだ。
2019.06.09
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