「ミュージシャンズ・ミュージシャン」という言葉が誰よりも似合う孤高のギタリストだった。
4月16日、70歳で亡くなったアラン・ホールズワースの訃報に際し、ジョー・サトリアーニを始め、日本でも渡辺香津美や、X JAPAN、LUNA SEA の SUGIZO など、本当に数多くの一流ギタリストが追悼のコメントを発表。ジャンルを問わず、アランが世界中のギタリストにいかに多大な影響を与えていたかが証明された。
僕がアランを知ったのは、79年頃のギター雑誌でエディ・ヴァン・ヘイレンのインタビューを読んだ時だ。
エディはフェイバリットギタリストとしてアランを挙げていた。あのエディが世界一と言うアランとはどれほど凄いのか、全く想像出来なかった。
インターネットなどない時代、ロック初心者である地方のイチ少年には、これ以上彼を知る方法などなかった。僕の中でアランは「ギターの怪物」として想像が膨らんでいった。
時は過ぎ、僕がようやくアランのギタープレイに触れたのは、83年にワーナーから日本盤が発売された『ロード・ゲームス』だった。
この6曲入りミニアルバムは、知る人ぞ知る存在だったアランを表舞台に連れ出す形で、そのエディがバックアップし、制作が実現した作品だ。
初めて聴くアランのギター。僕はとても緊張していたのを覚えている。
流れてきた音は想像よりもクリーンなトーンが主体で、ディストーションで歪んだスタイルとは全く異なっていた。要所に挿入される世界最速と称された速弾きは実にスリリングだったが、正直告白すると音楽的に高度過ぎてとても理解できないままだった。
それから僕も様々な音楽やギタープレイを見聴きしていく中で、彼独自のコードヴォイシングの美しさや、スケールアウトとレガートを駆使したソロワークの妙など、誰とも比較できない独自性、超人的な技巧の真髄を少しずつ理解できるようになっていった。
UK、テンペストなど彼が渡り歩いたバンドも後追いで聴き、ソロワークも追いかける中で、彼のギターの魅力にハマっていった。
今回、元ドリーム・シアターのドラマー、マイク・ポートノイが「no Allan Holdsworth = no Eddie Van Halen」とコメントしたが、これは実に的を得ている。
そう、「アランがいなければ、あのエディ・ヴァン・ヘイレンは存在しなかった」。
エディのライトハンド奏法(タッピング)は、常人では不可能なアランのフィンガリングを真似るために、エディが苦肉の策で考えた奏法という説がある。
真偽は定かでないが、アランがエディの革新的なギタープレイに多大な影響を与えたことは疑いないだろう。
タッピング奏法が肝の「ジャンプ」や「ビート・イット」といった有名曲での名演が生まれていない可能性があるとすれば、間接的でもアランがリマインダー世代に与えた影響力を感じずにはいられない。
エディが憧れた真のギターレジェンドであるアランにとっても、80年代は最も輝いていた時代だったのだ。
R.I.P. アラン・ホールズワース
2017.05.16
YouTube / Эльдар М. Эльдаров
YouTube / gtand5150
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