11月30日

原宿の「ビリー・ジーン」とマイケル・ジャクソンが「スリラー」でやりたかったこと

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photo:Michael Jackson  

アルバム「スリラー」のような理想郷、原宿ビリー・ジーン


十代の終わり、原宿にあった「ビリー・ジーン」というファーストフード店でアルバイトをしていたことがあった。店名の由来は、おそらく、マイケルの同名楽曲からだろう。ビリー・ジーンは竹下通りを抜け、明治通りの信号を渡った場所にあったので、日曜日ともなれば目が回るような忙しさだった。

ここで同時期に遠藤君もバイトしていた。

遠藤君とは、1989年にメジャーデビューし、大成功を収めるSOFT BALLET(ソフトバレエ)の遠藤遼一氏だ。遠藤君は僕よりひとつ年上で、いろんな音楽の話をした。バイトが着替える更衣室には、交換ノートのようなものがあり、そこに、「みなさん、聴いてみてください」の書き置きと共にデビュー前のSOFT BALLETのデモテープが置かれいることもあった。そして、みんなでその感想を書き合ったりしていた。

ビリー・ジーンのバイトには、様々なタイプの人がいた。原宿という場所柄、今でいうギャル系の女子高生もいたし、近隣した福祉系の大学に通っている女子大生は休憩時間に必死に手話を覚えていた。夜間大学に通う苦学生もいた。

僕は相変わらずロックンロールにうつつを抜かしていたが、別に浮いた存在ではなく、居心地のよいバイト先だった。それぞれの個性はぶつかることも、いがみ合うこともなく共存していた。それは、若い僕らの “理想郷” だった。そう。マイケル・ジャクソンの傑作アルバム『スリラー』のように。

マイケル・ジャクソンが見据えた “すべての人種が共存する新たな世界観”


『スリラー』を聴くと、いつも、このビリー・ジーンでバイトしていた十代の終わりを思い出す。マイケルがやりたかったことは、黒人、白人の音楽の壁を取っ払うこと。そして理想郷を作り上げること。そんな壮大な思いでこのアルバムを制作したのではないだろうか。

ポール・マッカートニーとの共演。珠玉のポップナンバーというべき「ガール・イズ・マイン」は、ゆったりとチルアウトした恋人たちのメロウな夜によく似合う。

エディ・ヴァン・ヘイレンのギターがフィーチャーされている「今夜はビート・イット」はザクザクと小気味よいハードロック志向のギターがブラックミュージックと融合した奇跡のダンスミュージックだ。

ちなみに「Beat It!」とは、逃げろ! のスラング。非暴力を提唱し、また、ディスコミュージック全盛期から先行していたマッチョ思想からの脱却を図り、新たな時代の幕開けを示唆する革新的なナンバーだ。

このように、ジャンルの壁を越えた様々なアーティストの個性がマッシュアップされて、この史上最も売れたアルバムは完成したのだ。

つまり、黒人R&Bの名門タムラ・モータウンで成功を収めたマイケルが、そこにとどまらず見据えたものは、すべての人種が共存する新たな世界観だった。

あらゆる国のあらゆる世代へ、マイケルが可能にした平和思想のアプローチ


60年代、黒人のような語り口調でR&Bを流しアメリカ全土にリスナーをもったDJ、ウルフマン・ジャック。世界初の黒人・白人混合バンドとしてデビューし、画期的なファンクミュージックを世に残したスライ&ザ・ファミリー・ストーン。

イギリスに目をやると、70年代末、白人・黒人、人種の壁を取り払いスカとパンクを融合させた2トーンレーベルなど、マイケルの同志ともいうべき主張を持ったアーティストや音楽的なムーブメントは、それまでにも存在していた。

しかし、この平和思想をより多くの人に伝えるために、より明確にサウンド、ヴィジュアルを打ち出したアーティストはいない。『スリラー』というアルバムタイトルからも分かる通り、そこにファンタジー性を加味したことにより、あらゆる国のあらゆる世代にアプローチが可能となったのだ。

ムーンウォークしかり、マイケルが狼男に変身するMVしかり。そこには、生まれた国や地域など全く問題としないエンタテインメント性があった。街中で、マイケルの「スリラー」を耳にし、ワクワクした気持ちで喧噪の中に消えていく。80年代を生きたすべての人が経験した得難い瞬間だ。

ジャンルによる棲み分けなど全く無意味


マイケル・ジャクソンの音楽を黒人音楽と捉える人が、今いるだろうか。マイケル・ジャクソンはマイケル・ジャクソン。ジャンルによる棲み分けなど全く無意味なものだと証明してくれた。

「お前ももっと自由でいいじゃん」

マイケルは、そんな言葉で今でも僕を後押ししてくれている。


※2017年12月2日、2019年8月29日に掲載された記事をアップデート

2021.06.25
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カタリベ
1968年生まれ
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