工藤静香にとって切っても切れない重要な存在、中島みゆき
4月の天気予報では連日、黄砂の飛散に関する情報が流れてくる。となると音楽好きとしては “黄砂” の2文字を目にするたびに、工藤静香の「黄砂に吹かれて」が頭の中で自動再生されるというもの。
ただ、今日取り上げるのはこの曲ではなく、数ある工藤のヒット曲でもとりわけ有名な「MUGO・ん… 色っぽい」の方である。
通算5枚目のソロシングルである本曲は、前作「FU-JI-TSU」に続いて中島みゆきが作詞を担当。元々工藤が中島の大ファンであったこと、同じレコード会社(ポニーキャニオン)に所属していたことなど、幾つかの縁に恵まれてコラボレーションが実現した。その後、今日に至るまで作詞曲の提供は23曲に及ぶ。工藤のソロワークを語るにおいて、中島は切っても切れない重要な存在である。
工藤静香を頭ひとつ抜けた存在へと引き上げた「MUGO・ん… 色っぽい」
1980年代といえば “ツッパリ” といわれるヤンキー文化の全盛期だ。当時、ツッパリ達から絶大な支持を得ていたアイドルといえば “みぽりん” こと中山美穂が筆頭に挙がる。『ビー・バップ・ハイスクール』、『セーラー服反逆同盟』という不良を題材にしたドラマ2作品でヒロインを熱演。ツッパリ達のマドンナと呼ばれたのも自然の成り行きだった。
一方の工藤も、自身をめぐって暴走族同士がケンカをおっ始めたという武勇伝を持つほど、その界隈から熱い支持を得ていたことで知られている。
ここに南野陽子、浅香唯を含めて “アイドル四天王” と呼ばれていたわけだが、この2人も『スケバン刑事』経験者。どうも当時のアイドル人気には不良要素が欠かせなかったようだ。
四天王と呼ばれるくらいなので当初は横並びの人気だったが、アーティストとしてひと足早く大ブレイクを果たしたのが工藤だった。
おニャン子時代から抜群の人気を誇り、ソロデビュー後も堅調な売り上げを記録していたが、当代きってのヒットメーカー・中島みゆきと組んだ「FU-JI-TSU」「MUGO・ん… 色っぽい」が工藤を頭ひとつ抜けた存在へと引き上げていった。
カネボウ化粧品CMソングにして工藤静香の出世作
『’88 カネボウ 秋のキャンペーン』CMソングとして書き下ろされた本曲は、「眉とシャドウ。ん、色っぽい」という商品コピーに合わせて創作された。ちなみにこの年の春のキャンペーンソングは、以前
『南野陽子「吐息でネット。」昭和最後の春に咲いた桜のようなアイドルポップ』でも紹介した南野陽子「吐息でネット。」である。
ピンクが基調の「吐息で~」に対して、「MUGO・ん~」のイメージカラーはパープル。もちろんCMには本人が出演した。弱冠18歳ながら「色っぽい」がテーマの化粧品のイメージキャラに抜擢されるのも凄いが、当の工藤は「化粧品のCMに出ることは女の子の憧れだから、すごく嬉しいし光栄に思いました」と無邪気に答えている。
銀座のシグナスホールで行われたマスコミ向けの発表会では、「いい曲で気に入っています。1位とか考えないでできるだけ頑張ります」と謙虚に語ったが、蓋を開けてみれば売れに売れまくり、「オリコン」「ザ・ベストテン」共に1位を獲得したばかりか、オリコンチャート年間6位という自身最高レベルの大ヒットを記録。まさしく工藤の出世作となった。
女優としても活躍、当代屈指の人気者としてエンタメ界を席巻
ここから工藤は全盛期に突入した。「恋一夜」「嵐の素顔」「黄砂に吹かれて」「くちびるから媚薬」まで5作連続で年間トップテンに食い込み、女優としても『君の瞳をタイホする!』『君が嘘をついた』『世界で一番君が好き!』と視聴率20%超のフジテレビ月9ドラマに相次いで出演。当代屈指の人気者としてエンタメ業界を席巻した。
それにしても、当時ポニーキャニオンのディレクターだった渡辺有三氏の「松任谷由実と竹内まりやと中島みゆきの3人で誰が一番好き?」という質問に対し、もし「中島みゆき」と即答していなかったら、工藤のキャリアはどう変化していたのだろうか。
少なくとも「MUGO・ん… 色っぽい」という楽曲は生まれなかったわけで、それはそれでそっちの世界線も見てみたかったなあ、と思わずにはいられないのである。
コメント引用:
「中日スポーツ」(1988年7月14日付)※2021年4月14日に掲載された記事をアップデート
2021.06.20