11月30日

マイケルの「スリラー」に味方した偶然のような必然 ー MTV篇

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マイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」が全米でリリースされた日
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言わずと知れたマイケル・ジャクソンのモンスターアルバム、『スリラー』が発売されて、今年(2017年)でちょうど35年になります。

80年代を象徴する、いや、ポピュラー音楽の歴史からみてもド真ん中に位置する『普遍の極み』であって、全米チャートでは80週、なんと1年7ヶ月にわたってトップ10入りしているんですよ。

アルバムに収録されている9曲中、7枚がシングルカット。その全てがチャートの上位を賑わしていますが、まずは全米での発売日と Billboard Hot 100 ― シングルチャートのデータを見ていきましょう。


■ ガール・イズ・マイン
 1982年10月18日
 1983年1月2日 ― 最高位2位

■ ビリー・ジーン
 1983年1月2日
 1983年3月5日 ― 最高位1位
 ミュージックビデオ制作

■ ビート・イット
 1983年2月14日
 1983年4月30日 ― 最高位1位
 ミュージックビデオ制作

■ スタート・サムシング
 1983年5月8日
 1983年7月16日 ― 最高位5位

■ ヒューマン・ネイチャー
 1983年7月3日
 1983年9月17日 ― 最高位7位

■ P.Y.T.
 1983年9月19日
 1983年11月26日 ― 最高位10位

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■ セイ・セイ・セイ (※1)
 1983年10月3日
 1983年12月10日 ― 最高位1位
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■ スリラー
 1984年1月23日
 1984年3月3日 ― 最高位4位
 ミュージックビデオ制作


ご覧の通り、チャートがピークを迎える絶妙なタイミングで次のシングルを切るという、実に巧みな戦術がアルバムの存在感を高めていたことが見えてきます。

しかしながら、この作品をここまで普及させたのは音楽の力だけではありません。なんといっても全世界で1億枚以上のセールスを叩き出したと云われるこのアルバム。選ばれし者だけが持つ、いくつもの偶然のような必然がない限り、こんな記録が生まれることはあり得ないのです。

それこそが、時代の力。

ひとつの時代が節目を迎え、新しい息吹がもたらされるタイミングでは、いろんなことが同時におこります。中でも大きなトピックは MTV:Music Television のローンチでしょうか。


―― この “見えるラジオ” の開局1曲目は、バグルスの「ラジオスターの悲劇 ― Video Killed the Radio Star」だったなんて洒落た話もありますが、この時のMTVはいっかいのローカルネットワーク、いわば海賊放送のようなものでしかありません(81年8月)。

実のインパクトは、ニューヨークとロサンゼルスで配信を始めた82年の9月以降。そして、全米の大都市やワールドワイドにおいても世帯数を伸ばし、急激に影響力を増していった1983年。つまり、アルバム『スリラー』のプロモーションタイミングとMTVの普及はドンピシャに被っているのです。

当然のごとく、マイケルの所属するレコード会社=CBSレコードは、この新興メディアに狙いを定めることに…

しかし、そもそもが “ロックの専門チャンネル” としてデザインされていたMTV。ターゲットは郊外に住む白人の子供たちです。その初期においては、マインド的にもマーケティング的にもアーバンなブラック・コンテンポラリーを受け入れる土壌などありませんでした。

そこで登場するのが、CBSレコードのCEO、ウォルター・イエットニコフ。彼は「マイケルのビデオ=ビリー・ジーンを流さないなら、CBSのカタログ全てをMTVから引き上げる」と切り出したようです。人種差別だと圧力をかけ、MTVが屈したなんて噂もありますが、そんな単純で乱暴な話でもないでしょう。

もう、『オフ・ザ・ウォール』のころのマイケルとは違います。ソウルミュージックの文脈を飛び越え、ロックさえも飲み込んだ、まさに『キング・オブ・ポップな作品』を創ったのですから。きっとMTVのスタッフだって戸惑っていたはずです。だって、そのクオリティを前に、マイケルの存在感や勢いに手応えを感じないメディア人なんていたらおかしいですよ。

とまあ、すったもんだはしたものの、かのMTVでオンエアされた初のブラコンが、この「ビリー・ジーン」となるわけです。(※2)
そうはいっても時すでに3月。シングルリリースから2ヶ月遅れの放送ではありましたが。

何はともあれ、MTVに風穴を開けたCBSも頑張りましたが、ルールを変え、いったん方針を決めたこの音楽チャンネルも抜け目ありません。さらなる躍進を求め、徹底してマイケルとの絆を深めていきます。

そう、次作の「ビート・イット」は間髪入れずにヘビーローテーション、そしてトドメとなる「スリラー」に至っては、エクスクルーシブ(独占放送)にするほどの共犯関係が産まれていったのです。


―― ムーンウォーク篇につづく



(※1) ポール・マッカートニー名義のアルバム『パイプス・オブ・ピース』からシングルカットされた、マイケルとのデュエット曲。「ガール・イズ・マイン」よりも先に録音されている。

(※2) 厳密にいうと、MTVで始めてオンエアされたブラックミュージックが「ビリー・ジーン」というわけではない。それ以前にも、ティナ・ターナーやエディ・グラントなど、当時のターゲットにフィットしたビデオは時間帯を選んで放送している。


2017.11.30
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  YouTube / michaeljacksonVEVO
 

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カタリベ
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太田秀樹
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