ジョージ・オーウェルの小説を読まないまま1984年はやってきた。私は高校2年生。仲良しの女子グループは皆んなくだらないことが大好物で、いつも「ワム!のアンドリューの役割って何?」なんていう話で笑い転げていた。
洋楽やロックを聴くクラスメイトがあまりいない中、彼女達はカルチャー・クラブを観に行ったりホール&オーツの話ができる貴重な仲間でもあった。
そんな私達に目をつけられた男子が望月君(仮名)である。
サラサラヘアーに長い手足、なごやかな風貌に美しい笑顔♡ 彼が仲良しのF君と絡む時など、ややヤオイ系だった私達はキャーキャー言って騒いだ。望月君はバンドのベーシストだ。秋の学園祭にはライブをやるという。完璧!
ここで立ち上がったのが、望月君アイドル化計画である。これは応援しなくてはいけない。ファンクラブ結成だ。すると、クラスの女子が結構参加してきた。となると次の段階は… ファンの集い開催しかない!
そうだ、ディスコ行こう!
望月君からはノリノリでOKが出て、人数は10人以上集まった。誰かが「場所は渋谷のサーファー系ディスコ、ラ・スカラはどう?」と言い出す。
迷いなし、決定。
そうしてまだ暑さが残る初秋の夕方、私達は学校から帰った後、渋谷駅のハチ公前で待ち合わせをした。
公園通り沿いのビルの3階。初めてだったので料金を¥2500払い、サーフボード型のロゴ入りキーホルダーを貰って、中に入る。
同世代の男女で賑わう店内は、ロフト的な2階建て構成になっていた。まずはフードコーナーから皿に盛ってきたポテトやピラフを持って2階席に上がり、時にレーザー光線が飛び交い、時にスモークで視界が効かなくなるようなダンスフロアを上から様子見する。
最初は完全にウォールフラワー状態。ドギマギして臆していたけど、普段はおとなしいH君が「行ってくる!」と言ってフロアに出たのを機に皆んなで恐る恐る踊り始めた。
ローラ・ブラニガンの「セルフコントロール」やコフィー&ザ・ラブトーンズ「カウントダウン」、レイ・パーカー・ジュニア「ゴースト・バスターズ」、吉川晃司「モニカ」など、洋邦入り乱れたアゲアゲのヒットナンバーがどんどんフロアに流れ出す。
そのうち皆んな笑顔になった。振り付けらしきものを真似しながら、下手なステップを踏んでいた。楽しい! 大好きなナンバーで踊るのってこんなに楽しかったのか。
そして照明が落ち、チークタイムがやってきた。曲は「ケアレス・ウィスパー」。泣きのサックスが暗闇に溶け始めた頃、我らがアイドル望月君は、私の仲良しのRちゃんの手を取ったのだ。
ああ、神様! 心臓がきゅんとした。
手を繋いで下に降り、ぎこちなくくっ付きながらジョージ・マイケルのボーカルに身を委ねる2人を、柵の手すりにもたれてずっと見下ろしていた。
ドキドキしながら。泣きそうになりながら。
なんとはなしの失恋気分に包まれながら。
青春のバカヤロー!!
その後、魔法が解けるように望月君への熱は冷めてしまった。彼のバンドは学園祭でメタルのカバーを披露していたっけ。またディスコ行こうよ、という話が出るわけでなく、H君のカバンにぶら下がるラ・スカラのキーホルダーを見るたびに皆んなで笑う始末で、季節は受験シーズンに突入していったのである。
それから、望月君がRちゃんではないKさんと付き合いだしたと聞いたのは、もうずっと後の話。今も「ケアレス・ウィスパー」を聴くと、あの時の切なくやるせない気持ちが甦る。そして、未だに仲良しのこの女子グループで集まる時は、望月君をネタに何時間でも酒が飲めるのである。
ジョージ・オーウェルの小説は結局読んでいない。
2017.06.25
YouTube / georgemichaelVEVO
Information