2022年 5月28日

TRF・DJ KOO インタビュー ③ ディスコを操る必殺技、キラーチューンからチークタイムまで

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第3回
キラーチューンからチークタイムまで。80年代ディスコミュージックの楽しみ方


アゲる時にはJ-POP!


― J-POPが盛り上がるにも選曲するDJのセンスによる部分も多いと思います。

KOO:当時のディスコのワンパートの流れって、チークタイムがあったので、チークタイムの後の一発目が、お客さんをわーっと集める曲で、どんどんキープしながらピークを作るという選曲をしていました。で、ピークを作って、さらにアゲる時にはJ-POPでした。

― そこで最高潮にいくんですよね。

KOO:ドゥービー・ブラザーズの「ロング・トレイン・ランニン」やボーイズ・タウン・ギャングの「君の瞳に恋してる」でガーッと上がって、さらに上げるために、禁じ手を使う感じでJ-POPをバーンとぶち込むとめちゃめちゃ盛り上がりましたね。
途中であけるというよりも、「もう何でも踊るぜ!」っていうタイミングでかけるのがJ-POPのヒット曲ですね。

― フロアのお客さんの気持ちを掴むということですね。先ほども言われていたように、ご自身が主役ではなく、お客さんが主役。その人たちをどうやって楽しませるかということですよね。
先ほどのブラックコンテンポラリーとかハイエナジー以外にもアメリカのヒットチャートを賑わした曲もかけていましたよね。ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」やブロンディとか。そういう曲を混ぜつつもDJそれぞれの個性があったと思うんですが、KOOさんのスタンスはどのようなものでしたか?

KOO:サーファーディスコだったんで、やはり、お洒落にカッコよく踊れるということですね。たとえば、ダリル・ホール&ジョン・オーツだったら「プライベート・アイズ」とか、曲に合わせて手拍子ができる「マンイーター」、あとスティービー・ワンダーの早いテンポの「パートタイム・ラヴァ― 」であるとか、ドゥービー(ブラザース)はもちろんですが、ブラックコンテンポラリーのアースやクインシー・ジョーンズのあとにお洒落でエネルギーのあるロックで盛り上げていくという選曲をしてましたね。
ずっとブラックコンテンポラリーが続くと踊りも決まってきてしまうので、それ以上のお客さんをまとめるには最大公約数が多きいいJ.ガイルズ・バンドの「堕ちた天使」やロッド・スチュワートの「ベイビー・ジェーン」とかかけてましたね。

チークタイムには「オリビアを聴きながら」そして「SWEET MEMRIES」


― 僕が初めてディスコに足を踏み入れた時、やはりディスコのヒット曲は分からないんですよね。だけど、ヴァン・ヘイレンがかかったり、ケニー・ロギンスの「フットルース」がかかったりということで、スッと入れたんです。

KOO:そうですね。踊りが決まってなくても、ただ騒いでいれば楽しい曲もかかるんですよね。それもディスコの魅力だと思います。ジャーニーの「セパレート・ウェイズ」だとかもみんなで乗れたし。そういう曲も使ってましたね。この曲は盛り上がりましたね。

― チークタイムとかも邦楽がかかったりというのもありましたよね。

KOO:杏里さんの「オリビアを聴きながら」とかもかけたりしましたし、チークタイムのバラードは映画のサントラの中の曲が流行りました。ベルリンの「愛は吐息のように」やジョー・コッカー の「アップ・ウェア・ウイ・ビロング」、愛と青春の旅立ちのテーマですよね。そこに松田聖子さんの「SWEET MEMRIES」なんかを使うと余計に盛り上がったりもしました。

― そうなんですよね…。DJが邦楽をセレクトしてくれるから当時の思い出が特別なものになっている人が多いと思います。共有感もあると思いますし。
チークタイムの話なんですけど、あの時間になると、みんなナンパして、リクエストカードに電話番号を書いて渡す… なんてことをやってましたよね。

KOO:やってましたね(笑)。

― 当時僕は、ナンパして、フリーフードだったから、そこでお腹いっぱい食べて…。

KOO:トロピカルドリンクを飲んでですね(笑)。

― ディスコのお酒って、飲んでも酔わないんですよね(笑)。

KOO:薄いからじゃないですかね(笑)。

― 未成年がいっぱいいるってことを意識してたのでしょうか?

KOO:いや、大量に出す分、薄くしてるだけじゃないですか(笑)。味にはこだわってないです。見た目ですからね(笑)。
当時マイタイのようなトロピカルドリンクはディスコから流行ったと思います。カクテルブームのディスコからですね。ソルティドックとかもディスコからですよね。

― 渋谷だったら、ラ・スカラとかキャンキャン(キャンディ・キャンディ)のようなスタイルのカフェバーも増えてきましたもんね。

曲も踊り方も明らかに違う六本木のディスコ


KOO:今でこそ、クラブは渋谷が主流ですけど、僕らの頃は数で言えば新宿が一番多くて、次が六本木、渋谷の場合はディスコプラスカフェバーのような飲めるスタイルだったり。
今はダメですけど、渋谷とかも高校生たくさん入れてましたからね。そういうような区分けをしてましたね。僕もDJをやっていて六本木のDJが来てるという情報が入ると、わざと選曲を変えて重いファンキーな曲をカッコよく繋いでいましたね。

― 六本木のディスコと新宿のディスコは明らかに文化が違ったわけですね。

KOO:はい。そこは全然違っていました。でも僕のB&Bという店は結構ファンキーなブラックコンテンポラリーをかけていました。六本木のDJから「新宿のDJは繋ぎもできないくせに」なんて言われて、そのぐらいお互いに対抗心があって。
でもB&Bは六本木でやっていたことプラス、サーファーディスコとしてロックをかけるという盛り上げ方をやっていたので、交友関係はありましたね。ただ、六本木のディスコに選曲を聴きにいったら、「やっぱり繋ぎが上手いな!」とは思いましたね。

― そこで触発されたりとか。六本木はセレクトする楽曲が洗練されている部分もあったんですか?

KOO:ありましたね。全然しゃべらず、ブラックコンテンポラリー… 当時ファンキーって言ってたんですが、その中でも僕らが使っていないアルバムの中の曲も使っていてたんで。当時の六本木のディスコだとスタジオ・ワンとかジェスパとか、僕の先輩がキューにいたんですよ。だから、そこに行って、この曲はみんなこうやって踊るんだとか、そういう刺激も受けましたね。

― 曲の使い方からお客さんのノリまで違うんですね。

KOO:素直にカッコいいなって思いましたね。ただ騒いでるだけじゃなくて六本木のスタイルがあって。

― 僕らの頃も新宿を卒業したら六本木に行くみたいな感覚がありました。それで六本木は敷居が高いという感じもありました。
新宿のディスコは10代のお客さんがメインでしたよね。あんまり年上っていなかった記憶があります。そのティーンエイジャーに合わせたスタイルをKOOさんもやられていたということですか。

KOO:そうですね。

― その中でもB&Bはかなり正統派のサーファーディスコですよね。

KOO:なので六本木で遊んでるお客さんもB&Bには来るって感じでしたね。やはりVIPルームがあったんで、そこに入るというステイタスもありましたね。

東亜会館のディスコ、それぞれの個性


― 東亜会館の中でもB&Bは個性が全然違っていたと思うのですがKOOさん自身の中で東亜会館の他のディスコにはどのような印象をお持ちでしたか。

KOO:たとえばGBラビッツの場合、最初はすごく子供相手の選曲だったんで、その辺は同じ東亜会館の中でもちょっと違うなってイメージがありましたね。でもそのうちに絶対王者だったB&BがGBラビッツに抜かれるんですよ。それはパラパラでしたね。当時のハイエナジー、「S.O.S」(ディー・D・ジャクソン)とか、「リヴィング・オン・ビデオ」(トランス・X)が出てきた時に全部持っていかれんですよね。だから、逆に「ウチはそういうのかけずにやっているんだよ」っていうのをウリにしていました。それが如実に出ていたのが大晦日でした。大晦日にGBラビッツはパンパンなんだけど、なかなか埋まっていかない。それで仕方なくGBで盛り上がっていた曲をかけたっていうことがありましたね。

― 確かにB&Bは敷居が高いという感覚がありました。

KOO:だから、そういうことから敷居をなくしていかなくては… というのもありましたね。

― 同じ東亜会館でもグリースはロック色が強かったですよね。ローラー出身のDJがいたりして。

KOO:そうでしたね。ヘドバンするような踊りもありましたし。「テレホン・オペレーター」(ピート・シェリー)とかも人気でしたし。

― その中でKOOさんも結局お客さんを集めなきゃいけないということでDJとして試行錯誤していたんですね。
渋谷のディスコと新宿のディスコの違いはどこにあったんですか。

KOO:まずディスコの入門は渋谷から… という感じで、そこから新宿に行くという感じでした。渋谷は変化が激しいのでGBラビッツが流行った時に同じような選曲になっていったんで、そこにお客さんが凄く集まりましたよね。
ラ・スカラやキャンキャンが「何でもかけていくよ」っていうスタイルだったんで。新宿のものも六本木のものもかかっていましたね。しゃべりもやっていたしという。
老舗のスターウッズもサーファーディスコに変わっていったりしましたが、途中からGBタイプのラ・スカラが人気でしたね。

― 先ほどからお話を聞いてKOOさんは音楽に対するこだわりをしっかり持ちながらDJをやられていたので、GBラビッツのような選曲にしなければならいとか、そういう部分でのとまどいもありましたか。

KOO:ありましたね。どうしてもブラックコンテンポラリーのカッコよさを追求してきて、いかにビートの重いもの、重いファンキーサウンドでカッコよく踊るというのが自分のスタイルだと思っていたのが、四つ打ちのテンポの速いものをかけていかなきゃならないというところで、シルベスターの「ドゥ・ユー・ワナ・ファンク」や「ソー・メニー・メン」(ミケール・ブラウン)はいいけど「S.O.S」だとみんなが振りをつけちゃうから、ちょっとこれはウチっぽくないなと。店としてはパラパラをさせたくなかったんですよね。そうなるとお洒落にカッコよく遊びに来た人たちは「パラパラはやらないから」ってなるんです。だからそういう見極めはしてましたね。

― そういう部分からもプロとしての意識が大切ということですね。
80年代の終わりからはDJの意識も変わって、いかに上手く繋いで誰も知らない曲をかけるような、お客さんではなくDJが主体のクラブカルチャーになっていくと思いますが、その波にKOOさん自身も乗れたということですか。

ディスコの衰退、クラブカルチャーの台頭


KOO:新宿ではいろいろと事件があったりした中、ディスコが朝まで営業できなくなって、どうしたかというと、今度は午前中から開いたりしていて。そうすると学校をサボって来るような人も多くなって。それも悪影響だと。だから営業時間が短くなってしまう。DJもどんどん切られていって、そういう経緯からディスコ文化が衰退していった頃に、大ハコではなく中ハコ、小ハコでジャンルに特化したお店が続々とオープンしましたよね。
それがニュー・ジャック・スウィングが流行った頃で。どちらかというとブラックコンテンポラリーよりもヒップホップカルチャー寄りのものが主流になった時代ですよね。

― 確かにKOOさんがおっしゃるようにヒップホップの店があったりR&Bの店があったりとか、レゲエ、ロックに特化した店があったり…。

KOO:そうですね。ハウスの店があったり。ずっとそればかりかかっている。だから中ハコでちょうどよかったんでしょうね。店内もキラキラしたミラーボールだとか、床が光るとかではなく、コンクリートが打ちっぱなしの暗い感じでスポットがあたる店内で淡々とした音楽でずっと踊っているというか。
ハコは小さくなりましたが、音楽に特化しているんでハウスならハウスにこだわった西麻布のイエローみたいに音響にしっかりこだわった店や海外のクラブの意識したスタイルが入ってきましたよね。

― 細分化されて特定のお客さんを集める文化に変わっていったということですよね。
先ほどもお聞きしましたが、そういった流れの根本にはディスコの衰退があって、昼の2時からのオープンになってディスコが12時オープンになって、それが午前中のオープンになっていった。あの頃、東亜会館って、オープン前に外の階段にお客さんが並んですごかったですよね。
それでも高校の中間、期末、定期テスト前はお客が減るんですよね。

KOO:そうでした。いかに客層に高校生が多かったということですよね。

― それで、みんな不良ではなかったと。

KOO:単純に楽しみたいだけですよね。

― それでも、オープン時間を早めることが衰退に繋がったということですか。

KOO:やはり、ディスコは夜の文化だと思うんですよ。夜から朝にかけての文化だと。そういうシーンを作っていく。それが営業時間を変えていくことで方向性が変わってしまったというのがありましたね。

― ディスコの存在自体が変わっていったからクラブは夜の文化の本質に戻っていったということですね。

KOO:クラブ自体がさらに音楽を追求して、その遊びのスタイルをしっかり牽引してくれたんだと思います。

DJ HONDAなど人気DJが集結したThe JG’s


― その頃にKOOさんはThe JG’sですよね。

KOO:JG’sは新宿の頃からやり始めてまけしたし、僕が六本木に移ってから活動の場が多くなりましたね。

― 結成のいきさつっていうのは?

KOO:DJをやりながらアナログで「このサビが倍あればもっと盛り上がるのに…」とか、「イントロが繋ぎにくいから繋ぎやすかったらもっとDJは使うだろう…」という発想でカセットテープでそういうバージョンを作っていたんです。そしたらレコード会社のディスコプロモーションの人たちが「だったらこういうのをサンプル盤で作りましょう」という話になったんです。そういうことを始めているDJが他にもいたので、DJ HONDAとか渋谷キャンディ・キャンディのDJとかが集まって。そこから始まりました。

― サービス精神も含めてということなんですね。

KOO:実際に曲を使っているのはDJなので、お客さんもリアルタイムで見ているので、そうすると「サビは盛り上がるけど、ここで終わるのはもったいないな」という現場の感覚ですよね。

― そのスタンスが最近KOOさんがリリースされているミキシングのCDにも生きているということですね。

KOO:その時代ごとにDJのスタイルはあると思うんです。最近だとショートカットで一番のサビで次に繋いでいったりする。そういう部分でまとめていくこともあります。
 大事なのはショートカットで繋げても次の曲でテンションをキープさせたり、あがっていったりとか、そういう繋ぎ方の中で楽曲の良さを活かすというのは昔から変わらないですね。

― 美味しい部分をしっかり掴ませてテンションをそのままに次にもっていくというところですね。

KOO:ただショートで繋いでいるとCMみたいになっちゃうんで、それじゃ踊れないですから。そのタイミングとか繋いでいく場所はしっかり考えていかないとダメですよね。

レイヴを再現。小室哲哉主導で結成されたTRF




― その先、TRFの結成についてお聞きしたいのですが、DJがいて、ダンサーがいて、シンガーがいる。そこでディスコを再現するというコンセプトがあったのでしょうか。

KOO:TRFは小室さん主導なんですけど、TMNからソロの活動をするということで、ロンドンで盛り上がっていたダンスミュージック、レイヴを日本に持っていきたい… ということがありました。レイヴって当時は音楽ジャンルというよりもイベントを指したものだったんですよね。そのレイヴを日本で開催するということで、ベイサイド・クラブでやりたい。そのためには自分の曲を作って、そこでプレイすると。そこにはダンサーが必要だし、ヴォーカルも必要だし。もちろんDJも必要。それで集められたのがTRFなんですよね。
だからグループというよりも小室さんのレイヴのイベントの参加要員でした。

― 小室さんが頭の中で再現したかったことを具体化するためにということですね。その中でメロディが良かったり、歌が良かったりということでミリオンセラーを生み出していったと思うんですが、その辺りをKOOさんは想定されていましたか。

KOO:全然想定していなかったです。僕はTRFというよりも小室さんの押しかけ弟子みたいな形で小室さんと接する音楽活動を送っていたのでTRFというよりも小室さんの弟子という立場でいろんなプロジェクトやセッションに参加していましたし。だからTRFのこの先がどうなるかは全然考えてなかったです。

― KOOさんからしてみると自分の出来ることを淡々とやっていたと。

KOO:それで小室さんのお手伝いが少しでも出来るようにというポジションでやってました。

― それがレイヴというカルチャーを超えたところで国民的なヒットになっていきますよね。その時期はどのようなことを考えていましたか

「寒い夜だから」YU-KIは歌えて幸せだろうな


― スタジオで小室さんが実際に楽曲を作っている時は「寒い夜だから」で方向性が凄く変わっていきました。それまでのダンスミュージックと違ったメロディアスなヴォーカル中心のものになりました。小室さんもこの作品を作ったことでメンバーたちはどう思うか気にされていました。でもそれによってTRFが幅広い層に知ってもらうきっかけになりました。
僕は小室さんのそばにいて「寒い夜だから」の楽曲作成過程からレコーディングまで立ち会ったんですが、これはDJがやる曲ではないなと思いました。それ以上に、こんないい曲をYU-KIは歌えて幸せだろうなと思いましたね。そのいい曲TRFで出せるというのもすごいことだなと思いました。

(インタビュー・構成 / 本田隆)

***

新宿のディスコと六本木のディスコの違い、ディスコからクラブへ。夜のカルチャーの移り変わり。そしてTRFとしての活動の本質まで。KOOさんならではの視点をお楽しみいただけたと思います。次回最終回では、DJ KOOの集大成である「昭和ジェネレーションパラダイス」お話もたっぷりお聞きします。

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2022.04.13
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