小林まことの漫画「1・2の三四郎」は青春のバイブル!
中学校の同級生Y君は、本気で「死ねるリスト」を作っていた。
あっと、これ、決して暗い話ではなく、学校内のかわいい女生徒を自分の好みで勝手にランキング化したもので、マンガ『1・2の三四郎』の名わき役・岩清水のパクリ。Y君は、のちに3位にランクインしていたKちゃんとつき合い始めたこともあり、「すごい効果だ!!」と自賛していた。ただし、なぜ3位の女子に告ったかは不明である。
あの頃、周りの男子は、みな『1・2の三四郎』を愛読していた。80年代に入って大学で新しくできた友人たちにも愛読者が多かったから、その人気は絶大だったと思う。週刊少年マガジンに連載していた漫画家・小林まこと氏の名作で、三四郎たちはバカバカしいほど賑やか。しかし、練習や試合では一切妥協しない姿勢に、妙な感動を覚えたものだ。
だからこそ、私たちの世代にとっては “青春のバイブル” と呼ぶべき作品だったのだ。最近、アスリートたちが一様に「楽しみたい」というような表現をするが、その流れは、『1・2の三四郎』が、すでに教えてくれていた。
クラスでも激論、ジャンボ鶴田と藤波辰巳はどちらが強い?
さて、三四郎たちの頭には常にプロレスがある。三四郎はラグビーの試合で思わずブレーンバスターを使ってしまうし、レスリングの達人・馬之助は、柔道の大会をレスリング技で勝ち続ける。のちに漫画家となる虎吉の得意技はランニング・ネックブリーカー・ドロップとコーラびん飛ばし(これはプロレスとは関係ない)だったし、さらに、岩清水は、柔道の試合で凶器を隠し持ち反則負けすることもあった。
そんな彼らが、「ジャンボ鶴田と藤波辰巳はどちらが強いのか」を真顔で語ったことがある。当時の全日本プロレスと新日本プロレスは交わることがなかったから、子どもであった私たちには、大きなネタの提供だった。
少年マガジン発売の翌日、Y君が「大問題」として提起、クラスの中での議論が始まった。さらには、他のクラスからも参戦する奴らが増えたことなどもあり、議論は数日間にわたった。もちろん、結論が出るわけがないが、大勢はジャンボだった。
この頃、ジャンボのサイズは確か197㎝の105㎏ぐらい。日本人離れした体格に、抜群の運動神経。パワーを誇る外国人レスラーにも負けない圧倒的な強さがあった。特に80年代に入ると、ますます充実した力を発揮。たとえば、長州力が全日本のマットに上がりシングルを戦ったとき、大いなる期待を抱いた新日ファンはショックで口を開けられなかった。
世界最強! ジャンボ鶴田のテーマは「J」
1985年のプロレス大賞「年間最高試合賞」となった試合(ジャンボ鶴田 vs 長州力)は、60分フルタイムドローという結果ではあったが、試合中に見せるジャンボの余裕は、いつもと変わらず。その牙城を長州は崩すことができなかったのだ。試合後、スタミナ切れで動けなかった長州に対し、ジャンボはさっさと飲みに出かけたといった伝説も語られている。
そんなジャンボの入場曲は、1980年代の中盤から「J」という格好いい曲だ。中継で流れることが多かったので、ファンに広く知られている。また、作曲したジャズピアニスト・鈴木宏昌氏を調べてみると、あの『海のトリトン』も手掛けていた。「♪ ゴーゴー トリトン」というサビが人気で、アニメファンには神曲。今もなお、高校野球の応援歌として演奏され続けているので、若い人でも耳にしたことがあるかもしれない。
さて後年、同窓会でY君と会った。残念ながらKちゃんとは結婚していなかったが、思い出話で大いに盛り上がった。そこでなぜかプロレスの話題となったのだが、あの頃と同じで、周囲に随分と老けた男子が集まってきて、「ジャンボ鶴田 VS 藤波辰巳」の議論となった。しかし、今度は数分で結論が出た。
「ジャンボ鶴田は日本、いや世界最強だ」と。
※2019年3月25日に掲載された記事をアップデート
2020.05.13