8月21日

クラッシュギャルズの音楽を考察!80年代女子プロレスといえば長与千種とライオネス飛鳥

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ガラパゴス的な発展を遂げる日本の女子プロレス


70年代から80年代中頃にかけて、日本の女子プロレス市場は「全日本女子プロレス(以下:全女)」という団体のほぼ独占状態だった。また今日のように男女のプロレスが交わることはなく、完全に別物として存在していた。そうした背景から、日本の女子プロレスはガラパゴス的な発展を遂げることになる。

そのなかのひとつにレスラーの歌手活動があった。1975年にもともと歌手志望だった大型新人レスラー・マッハ文朱を “歌うレスラー” として売り出して以降の全女は、人気レスラーにリング上でオリジナル曲を歌わせ、会場内の特設売店でそのレコードを販売するビジネスモデルを確立するのだ。

また、前後して始まったフジテレビ系でのテレビ中継(当初は不定期放送)を通じて女子プロレスの存在を知り、心を掴まれる若い女性が増加していく。レスラーの歌手活動はこの新しいファン層ともマッチし、テレビのコンテンツとしても効果を発揮した。

とくにジャッキー佐藤とマキ上田によるタッグチーム、ビューティ・ペアの人気は凄まじかった。1976年2月にWWWA世界タッグ王者となった2人は、同年11月にデビュー曲「かけめぐる青春」をリリース。それからしばらくして空前の女子プロレスブームを巻き起こしたのだ。このブームにより、全女の中継はゴールデンタイムでレギュラー放送が実現し、東映系でビューティ・ペア主演映画も公開された。

女子プロレス人気に再び火を付けたクラッシュギャルズ


1984年にライオネス飛鳥と長与千種により結成されたクラッシュ・ギャルズ(クラッシュギャルズの表記もあり)は、ビューティ・ペア解散後に下火になった女子プロレス人気に再び火を付けたスターである。2人は、キックや関節技を主体とするUWFスタイルや、長州力のサソリ固めなど当時の男子プロレスのトレンドを取り入れ、全女のリングに新しい風景を描くことに成功。さらにレコードデビューを果たすことで、短期間で若年女性を中心に爆発的な人気を獲得していった。

だが、クラッシュ・ギャルズの音楽活動は、後の世で音楽ファンに再評価される機会になかなか恵まれていない。一方で、その曲作りには当時の最先端をいくソングライターたちが参加していた事実がある。本稿ではその点に着目し、約2年間にリリースされた6枚のシングルを考察したい。

デビュー曲はジャニーズ系楽曲の作家陣が集結


「炎の聖書(バイブル)」(作詞:森雪之丞、作曲:後藤次利、編曲:松下誠)1984年8月21日発売
デビューシングルのA面は、イントロを聴いた時点で「売れる曲を作ろう」という制作側の熱意が強く感じられる曲だ。

作家陣にはひとつの共通点がある。森雪之丞は70年代から実績を残し、当時は「NAI・NAI 16」「ZOKKON 命」などシブがき隊のシングル曲で名を売っていた作詞家である。また、1983年には風見慎吾の「僕笑っちゃいます」をヒットさせている。

作曲を担当した後藤次利はアレンジャーとして知られる存在だったが、前年あたりから作曲活動も本格的に始めていた。おニャン子クラブ、とんねるずの楽曲を手掛ける以前だが、すでに近藤真彦、シブがき隊らのシングルをヒットさせていたのだ。

そして編曲の松下誠は、前年に近藤真彦の「ためいきロ・カ・ビ・リー」「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」といったシングル曲をアレンジしていたミュージシャンだ。

このように、「炎の聖書」には、当時の男性トップアイドルの楽曲を作っていた面々がキャスティングされている。ちなみに、歌詞の一人称は「私」でも「僕」でもない。「俺」である。クラッシュ・ギャルズのファンは若年層の女性が圧倒的であり、そこにリーチさせた曲作りがなされているのだ。

一方、松井五郎の作詞、馬飼野康二の作曲によるB面曲「熱風撫子」は、SHŌGUNのメンバーだった大谷和夫がシティポップ風のアレンジを施している。曲のイメージを何かにたとえるなら、 杉山清貴&オメガトライブ系といったところだろうか?

A面でシブがき隊、B面では少女隊を感じる組み合わせに


「嵐の伝説(レジェンド)」(作詞:森雪之丞、作曲:中崎英也、編曲:大谷和夫)1985年1月21日発売
セカンドシングルも一人称は「俺」。曲はシブがき隊の風味である。この曲は本人たちもレギュラー出演したテレビドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)の挿入歌として起用された。

AB両面を作曲した中崎英也は直後に「素直になってダーリン」「渚のダンスパーティー」など少女隊のシングル曲も担当するミュージシャンである。 明るい曲調のB面の「つま先までI Love You」からは少女隊の匂いを感じることができる。



おニャン子以前の後藤次利が確実な売れ線曲を用意


「夢色戦士」(作詞:森雪之丞、作曲:後藤次利、編曲:後藤次利)1985年4月25日発売
「夢色戦士」は、“「炎の聖書」的なもの” を求めていたファンの欲求を満たすような曲だ。この直後におニャン子クラブに関わっていく後藤次利による、確実に売れそうな曲を提供するソングライティング力の高さを実感できる。

B面の「傷心(ダウン)ボーイ」もA面と同じ作家陣だが、こちらは「嵐の伝説」以上にシブがき隊の曲にしか聴こえない作品に仕上がっている。シブがき隊の楽曲をよく知る人なら、脳内での各パートを薬丸裕英、本木雅弘、布川敏和の声に振り分けて変換することもできるかもしれない。



オリコン最高位を記録したシングルはジャポネスク路線


「東京爆発娘!」(作詞:森雪之丞、作曲:後藤次利、編曲:後藤次利)1985年8月21日発売
4枚目のシングルA面も前作と同メンバーによる曲で、またもシブがき隊風だ。当時のシブがき隊は「サムライ・ニッポン」「喝!」「アッパレ! フジヤマ」「べらんめぇ! 伊達男」「男意ッ気」といったジャポネスク路線のシングルを連発しており、そこには森雪之丞や後藤次利の作品も含まれていた。

「東京爆発娘!」もその延長線上にあるもので、歌詞には「みこしワッショイ ワッショイ かつげよ」「ドッコイ ドッコイ 勝負さ」「太鼓叩いて走れ」といったジャポネスクなフレーズが散りばめられている。また、一部にシンセサイザーを用いた三味線風の音色も聴こえる。

なお、クラッシュ・ギャルズはこのシングルで、オリコンの週間チャートでの最高順位(15位)を記録した。



A面はまたもジャポネスク路線。B面は吉川晃司をイメージか?


「日本美人」(作詞:売野雅勇、作曲:林哲司、編曲:鷺巣詩郎)1986年2月21日発売
長与千種は前年8月にダンプ松本との敗者髪切りマッチに敗れ、リング上で坊主頭にされたことでファンをパニックに陥れていた。その影響もあり、ジャケ写では彼女の髪の毛が短い。

「日本美人」は、前年に河合奈保子の「デビュー(Fly Me To Love)」で実現した、売野雅勇&林哲司&鷺巣詩郎という組み合わせの楽曲だ。5枚目にして、A面が初めてメジャーコードの曲となった。

近年、林哲司楽曲は片っ端から “シティポップ” としての再評価される動きがあるが、だとすればこれもそうなのか!? シンセサイザーを多用した派手なアレンジはこの時代らしい。売野雅勇はシブがき隊のジャポネスク路線のメイン作詞家であるが、「日本美人」も同様の傾向がある。

B面の「ガラスのファニーボイス」も注目に値する。沙哩南という作詞家による歌詞、伊藤銀次が手掛けた作曲、アレンジともにあきらかに80年代中期の吉川晃司風なのである。これは、男性アイドルシーンの変化を反映した現象なのだろう。ライオネス飛鳥がそれ以前に吉川晃司風のヘアスタイルをしていたことも影響しているかもしれない。



事実上ラストシングルには海外ミュージシャンが参加


「イッキにRock'n Roll」(作詞:森浩美、作曲:吉実明宏、編曲:G.Rottger)(1986年7月21日発売)
シングルとしてリリースされた最後の作品だ(他にミニアルバムと称した3曲入りCDは存在する)。クラッシュ・ギャルズの歌手活動がストップしたのはライオネス飛鳥のモチベーション低下が理由だとされているが、この作品のジャケット写真は2人が別々に撮影したように見え、ビジュアルにも勢いが感じられない。

「Dance Beatは夜明けまで」の森浩美が作詞、「六本木純情派」(同年10月発売)の吉実明宏が作曲と、同じビクターに所属だった荻野目洋子の楽曲で知られる2人が初参加。これまでのA面曲になかった疾走感のある曲調だ。

興味深いのは、海外のミュージシャンが参加していることである。AB面ともにゲイリー・ロッター(アメリカ)がアレンジを、B面「Run!」はディーター・ボーレン(西ドイツ*当時)が作曲を担当している。ジャケットはパワー低下気味だが、楽曲制作には手が込んでいたのだ。



40周年を前にクラッシュ・ギャルズが復活!


このように、クラッシュ・ギャルズの楽曲群は80年代の音楽シーンが色濃く反映された、手抜きなしの本格的なものだった。今、“昭和ポップス” または “シティポップ” といったキーワードで過去のポピュラー音楽の発掘作業を楽しんでいる人たちには、穴場的発掘スポットになるかもしれない。どうだろうか?

最後に、2023年10月1日(日)に横浜武道館で開催される「CRUSH GALS 40th Anniversary スペシャルライブ-THE TOP-」なるイベントにてクラッシュ・ギャルズの復活がアナウンスされていることも付け加えておきたい。詳細は未発表ながら2人の試合はないという。ということは、歌うのだろう。

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2023.07.28
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