拝啓 ジョージ・マイケルさま 初めてあなたを拝見したのは83年頃、ワム! の「バッド・ボーイズ」のミュージックビデオだったと思います。 ♪ フッ、フーッ という掛け声が印象的なポップソング。しかし、当時洋楽ロックが好きな私は、ポップアイドルに興味がなく、正直気には留めていませんでした。 しかしながら、次のシングル「クラブ・トロピカーナ」はヘアカット100やモダン・ロマンスらによって UK で流行していたファンカラティーナっぽい軽快な楽曲。のちにポール・ウェラ-の奥方になるD.C.リーとシャーリー(ペプシ&シャーリー)の女性コーラス陣も出演しているミュージックビデオもいい感じで、ちょっと気になりだしました。 すでに UK ではヒットしていたあなた達ですが、次の「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ(Wake Me Up Before You Go-Go)」、「ケアレス・ウィスパー」、「フリーダム」の爆発的シングルヒット3連発によって完全に世界のアイドルになりましたね。日本でも「ケアレス・ウィスパー」を大御所がこぞってカヴァーし、一気にワム! の名前は広まりました。 そうして発売されたアルバム『メイク・イット・ビッグ』ですが、ポップアルバムとしてはあまりに完成されていました。そうしているうちにバンド・エイドの「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」に参加、印象的な歌声を聴かせて頂きました。時を同じく「ラスト・クリスマス」もリリースされ、84年はあなたの声が響きまくったクリスマスになりました。 そんな「ラスト・クリスマス」を収録したアルバムをリリースしたのち、いよいよあなたはとてつもないソロアルバムをリリースすることになります。遅ればせながら私が初めて買ったアルバム「フェイス」です。このアルバムには本当に恐れ入りました。失礼ながらこんなに幅広いジャンルの曲が書けて、またそれを完璧に歌いこなせるとは思ってませんでした。 あからさま過ぎるストレートな表現、「アイ・ウォント・ユア・セックス」や「モンキー」といったファンキーソウルで、すでにキレキレ。「フェイス」での絶妙な “溜め” をみせるロック。「キッシング・ア・フール」ではジャズヴォーカリストとしても通用する表現力。「ファザー・フィギュア」での崇高なアレンジ(のちのシニード・オコナー「愛の哀しみ(Nothing Compares 2 U)」はそっくりなアレンジでしたね)、「ワン・モア・トライ」での味わい深いバラードなど、まさしく非の打ちどころのないアルバムでした。ミュージックビデオでは「フェイス」でのリーヴァイスのジーンズに BSA のレザージャケット姿! もう本当にカッコよかった。 続く『リッスン・ウィズアウト・プレジュディス Vol.1』は前作ほどのヒットはしませんでしたが、かなり濃厚な作品。改めてあなたの才能を感じました。特にシングル「フリーダム!'90」は名曲中の名曲! その後、リリースのペースは落ち始めますが、多方面で客演などを重ねていましたね。私が印象に残っているのは、92年4月のフレディ・マーキュリー追悼コンサートでの「愛にすべてを(Somebody To Love)」の熱唱シーン。このイベントでの1、2を争う名演だったと思います。 オリジナルアルバムとしては6年ぶりの『オールダー』も流石と言わざるを得ない快作。早くも円熟の極みに達した「ジーザス・トゥ・ア・チャイルド」、曲途中でパトリース・ラッシェンの「フォーゲット・ミー・ノッツ」に切り替わる「ファストラヴ」のカッコ良さなどにはしてやられました。 そして、あの衝撃の逮捕事件がおきますが、「アウトサイド」のミュージックビデオで自らその事件をパロッてしまうなどやはりあなたはスゴイお方だ! カヴァーアルバムをはさんで結局次のオリジナルアルバムまで8年も待つことになりましたが、ポップ回帰作となった『ペイシェンス』も傑作でした。そのソングライティングの才能は全く衰えていませんでしたね。 しかし、これが最後のオリジナルアルバムとなるとは。2014年にはライヴアルバム『シンフォニカ』で健在ぶりを示してくれていたのに。 こうして駆け足でですが、あなたのことを思い出してみると、やっぱりあなたは天才だったとしか言いようがありません。私は、生であなたの声を聴く機会はありませんでしたが、ジョージ・マイケルという天才の遺産をこの先も聴き続けるでしょう。 サヨナラは言いません。これまで、そしてこれからもありがとう。※2017年1月12日に掲載された記事をアップデート
2018.12.25
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