日本の文学史上最もカッコいいタイトル「青が散る」
俗に、小説の出来の半分はタイトルで決まると言う。私見で申し訳ないが、僕は日本の文学史上最もカッコいいタイトルは、宮本輝の『青が散る』だと思う。
そう、青が散る――。
「青」が青春を意味しているのは何となく分かる。そこに助詞の「が」が付いて、意外にも動詞の「散る」で終わる。“青が散る”。なんと簡素でカッコいい。このタイトルだけでごはん3杯はイケそうだ。聞けば、宮本輝は作家になる前はコピーライターだったというから、さもありなん。
小説が出版されたのは1982年である。僕は中学3年で、書店でタイトルと装丁に惹かれ、思わず”ジャケ買い”したのを覚えている。当時、既に宮本輝は芥川賞作家の売れっ子で、『蛍川』や『錦繍』といったヒット作があったが、僕自身は宮本作品を読むのは初めてだった。
物語は、大阪の郊外にある新設大学のテニス部を舞台にした青春小説である。群像劇の面白さと、恋の儚さ、テニスシーンの瑞々しさが印象的で、純文学にありがちな堅苦しさはなく、まるでドラマを観ているように、映像を思い浮かべながらスイスイと読み進めることができた。
金曜8時、「3年B組 金八先生」の名門枠でドラマ化
それから1年――。
時に1983年秋。なんと、その『青が散る』が本当にドラマになった。TBS の金曜8時。あの『3年B組 金八先生』でお馴染みの名門枠である。
主演は、プロテニスプレイヤー石黒修を父に持つ新人の石黒賢。ヒロインに俳優の二谷英明と白川由美のお嬢さんで、こちらも新人の二谷友里恵。いや、二世タレントは彼らに止まらない。共演陣も名優・三國連太郎を父に持つ佐藤浩市に、脚本家・小山内美江子のご子息の利重剛、そして日本テニス界の伝説的プレイヤー清水善造の孫にあたる清水善三――。
話題作りとはいえ、数字(視聴率)を持ってる人気俳優をやたら揃えたがる現在の連ドラでは考えられない暴挙である。
1話の冒頭は、駅で主役の2人―― 燎平(石黒賢)と夏子(二谷友里恵)が初めて出会うシーンだ。ほら、青春ドラマにありがちな「遅刻、遅刻……」じゃないが、互いに急ぐ男女2人が不意に “ぶつかる” 描写である。結局、間一髪で燎平は電車に飛び乗り、一方の夏子は目の前でドアが閉まる。電車のドアを挟んで、車内とホームで向かい合う2人――。
ここでオープニングが流れる。
光と影の中で
腕を組んでいる
一度破いてテープで貼った
蒼いフォトグラフ
主題歌は「蒼いフォトグラフ」、松田聖子の見事なキャンディボイス
―― そう、ドラマの主題歌は、松田聖子の「蒼いフォトグラフ」である。短い前奏から、いきなりのサビで僕らの胸は一瞬で掴まれる。少しかすれた甘い歌声は卓越した歌唱力と相まって、見事な “キャンディボイス” を奏でる。喉の酷使から1981年夏にかすれ始めた歌声が、ユーミンの助言から声を張らない歌唱法へと移行し、2年越しに円熟を見た時期であった。
少々前置きが長くなったが、今日10月21日は、今から40年前の1983年に、ドラマ『青が散る』が始まった日にあたる。そして、主題歌がB面に入ったシングル「瞳はダイアモンド」がリリースされるのは、その一週間後である。作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂―― 気が付けば、ドラマの放映中、それは “両A面” に変わっていた。
クラスの男子の9割は祐子派、見事に垢抜け、輝いていた川上麻衣子
話をドラマに戻す。
同ドラマは原作と異なり、その舞台が大阪から東京の郊外へと変更された。東京育ちの新人ばかりのキャスト陣に、大阪弁はツラいと判断されたのだろう。とはいえ、言葉以外で若い彼らへの不満は感じなかった。まぁ、演技はつたなかったけど、それはそれで、恋や人生に悩み、不器用に生きるリアルな若者像と重なって見えたからだ。結果オーライである。
中でも、僕を夢中にさせた一人の女優がいた。ヒロイン夏子の友人・祐子を演じた川上麻衣子サンである。大学のテニス部に所属するメインキャストの1人。当時、リアルでは高校3年の17歳だった彼女は、『金八先生』(第2シリーズ)の迫田八重子から2年半が経過し、かつての優等生は見事に垢抜け、輝いていた。
「オレ、夏子より祐子の方がいいわ」
実際、当時『青が散る』を観ていたクラスの男子の9割は祐子派だった。飛びぬけた美人ではないが、全体から漂う “可愛い” オーラと、主人公・燎平に思いを募らせるも、燎平からは友人としか見てもらえない(この辺りの主人公の鈍感さも青春ドラマのお約束である)切ない役回りも彼女の人気に拍車をかけた。
今一瞬あなたが好きよ
明日になればわからないわ
港の引き込み線を
渡る時 そうつぶやいた
ドラマの見どころは、群像劇ゆえの恋愛模様
物語は、1年生ばかりの新設大学で、佐藤浩市演ずる慎一が燎平をテニス部に誘うところから始まる。慎一は初代キャプテンとなり、2人はコート作りから始め、仲間を募り、やがてテニス部を舞台に青春群像劇が展開される。
ヒロイン夏子は老舗の洋菓子店の社長令嬢で、学園のマドンナだ。他に、高校時代はテニス界のヒーローだったが、白血病に侵されテニスをやめた安斉(清水善三)に、めちゃくちゃなテニスをする貝谷(演じるのはエンケンこと若き日の遠藤憲一である!)、ミュージシャンを目指すガリバー(大塚ガリバー)、自主映画作りを志す和泉(利重剛)、彼と同棲するアナウンサー志望の耀子(浜尾朱美)―― と、魅力的な若者たちが数多く登場した。
僕ら高校生は、毎週ドラマを観ては、彼らのキャンパスライフに憧れた。ちょうど、70年代後半から、世は雑誌『POPEYE(ポパイ)』が火を点けたテニスブーム真っ盛り。俗に “ドラマは時代の鏡” と言うが、そんなトレンディな要素も同ドラマの人気に拍車をかけた。とはいえ、劇中に描かれるテニス部は、当時流行りのシースポ(シーズンスポーツ)などのチャラいサークルではなく、体育会系運動部。そんな硬派なところも、逆にお茶の間の高い好感度につながった。
ドラマの見どころは、群像劇ゆえの、互いに矢印が一方通行ばかりの切ない恋愛模様である。燎平は夏子への思いを募らせるも、身の丈を案じて踏み出せず、一方の夏子は奔放に振る舞いつつも、実は恋に奥手で、やがて婚約者のいる年上のテニスコーチの吉岡と駆け落ちする。ドラマの終盤、ホテルへ迎えに来た燎平に「私、吉岡さんに抱かれたわ。裸にされて、何度も何度も…」と夏子が告げるシーンは、燎平以上に観ている僕ら高校生がショックだった。
みんな重い見えない荷物
肩の上に抱えてたわ
それでも何故か明るい
顔して歩いてたっけ
―― そして、白血病に思い悩む安斉もまた、やがて自ら命を絶つ。彼も夏子への思いを募らせていた。燎平に贈った絵画の裏面には、安斉自身と夏子を切り抜いた写真が貼られていたのである。
一方、祐子は慎一や貝谷から好意を寄せられるも、彼女自身は燎平のことが好きで―― しかし気づいてもらえず、結局、見合い相手の医学部卒のインターンと結婚する。
そんな思い通りに行かない彼らの人間模様を象徴するのが、劇中でガリバーが歌う挿入歌の「人間の駱駝(ひとのらくだ)」である。原作にある宮本輝の詞に、秋元康が補作をして、長渕剛が曲を付けた。
大都会という名の砂漠に
人間の駱駝が生きている
汗も脂も乾ききって
背中の瘤は夢ばかり
かけがえのない一瞬の「時間」を切り取った物語―― それが青春
―― これがよかった。ドラマ全体を覆う、思い通りにいかない若者たちの青春の地団駄を象徴しているようだが、さりとて暗くなり過ぎず、ある種の”達観”があった。儚く、切ないからこそ青春なんだと、不思議な高揚感すらあった。
物語は、その後、夏子の駆け落ち相手の吉岡が非情にも婚約者を選び、夏子は捨てられる。ラストで、再び燎平の前に現れる彼女――。
「傷ものになった私は嫌い?」
だが、燎平はその問いに返すことができない。そして、2人はそれぞれの道へと歩み出す。
ドラマはここで終わる。
アン・ハッピーエンド? いや、果たしてそうだろうか。1つだけ確かなことがある。それは、同じ季節を過ごした彼らの思い出は、永遠であること。かけがえのない時間の中の”一瞬”を切り取った物語―― それ即ち青春である。
写真はセピア色に
褪せる日が来ても
輝いた季節 忘れないでね
蒼いフォトグラフ
ドラマ『青が散る』と、その主題歌「蒼いフォトグラフ」は、まるで表裏一体の関係にある。どちらが欠けても、このドラマは成立しない。もとい、この場合は表裏一体というより、両A面と表記したほうがいいかもしれない。
※2018年10月28日に掲載された記事をアップデート
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2023.10.21