10月13日

‎チャンバって何だ?【キャプテン翼】が誕生してアニメ化されるまでの運命的ストーリー

56
0
 
 この日何の日? 
テレビ東京系アニメ「キャプテン翼」放送開始日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1983年のコラム 
第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン、スパンダー・バレエにも注目!

曲とビデオの相乗効果、新生イエスの「ロンリー・ハート」

新生イエスの「ロンリー・ハート」一世を風靡したオーケストラル・ヒット!

モブキャラたちの翼クン賛歌!? キャプテン翼の『燃えてヒーロー』

80年代洋楽にビジネスを学ぶ:シンディ・ローパーのアトラクション&リテンション #1

大映ドラマの傑作「スチュワーデス物語」麻倉未稀が歌う主題歌にみる本当の主役とは?

もっとみる≫




キャプテン翼 “キャラクター人気投票” 1位は主人公・大空翼… ではない!?


人は主役より、ちょっと脇で光る人物の方に惹かれる。

例えば―― ブレイク前夜のSMAPのキムタク(木村拓哉)がそうだった。ドラマ『あすなろ白書』(フジテレビ系)で主役の掛居(筒井道隆)ではなく、その友人で脇役の取手を演じ、かの有名な―― なるみ(石田ひかり)を後ろから抱きしめて「俺じゃダメか?」と告白する “あすなろ抱き” で一躍ブレイク。それは、世間に木村拓哉が見つかった瞬間だった。

かつて、AKB48の絶対的センター・前田敦子を「第2回選抜総選挙」で破り、初めてセンターに就いた2期生・大島優子もそうだった。思えば、その瞬間が同グループの人気の頂点だった。そんな “新センター” が歌った『ヘビーローテーション』が今もって同グループの代表曲であるのは、そういう理由である。

かの乃木坂46が本格的にブレイクしたのも―― 初期のセンター・生駒里奈に代わり、デビュー曲では3列目ながら、そこから徐々に序列を上げ、握手会人気ナンバーワンの実績で8枚目のシングル『気づいたら片想い』のセンターに抜擢された西野七瀬からだった気がする。その後、彼女はグループ最多となる7回ものセンターを経験する。

そう、人は主役より、ちょっと脇で光る人物の方に惹かれる。

それは、あの国民的サッカー漫画―― 1980年代に週刊少年ジャンプで連載され、アニメ化されて絶大な人気を博した『キャプテン翼』(作:高橋陽一)も同様だった。主人公・大空翼と “ゴールデンコンビ” を組んだチームメイトの岬太郎、その人である。時に、ジャンプ誌上で行われた同作品の「第3回キャラクター人気投票」において、彼は2連覇中の翼に代わり、見事1位に輝いたのだ。

“キャプ翼” 女性ファンの8割は岬太郎ファン!


岬太郎―― テクニックは超一流。顔もいい。他人を思いやる優しい性格で、チームメイトからの信頼も厚い。何より、主人公・翼を立てることを忘れない。全キャラクター中、アシスト数トップがそれを物語る。それゆえ、華々しく描かれる機会は少ない。基本、控えめ。だが、ファンにはそこがたまらない。都会的な雰囲気を持ちながら、父親の職業が放浪画家という意外性もいい。

極論を言えば―― キャプ翼(キャプつば)が国民的人気を得たのは、岬クンのおかげと言っても過言じゃない。何せ、同作品の女性ファンの8割は岬ファンなのだ(本当)。主人公より、脇で光るキャラに女性ファンがついて、作品自体の人気を押し上げたケースに、かの『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブルの例もある。

そして―― ここが大事なところだけど、そんな風に岬クンが女性ファンに “見つかった” キッカケが、同作品のアニメ化だった。時に、今から40年前の1983年10月13日―― テレビ東京系の木曜19時半の30分枠で放映スタート。最高視聴率21.2%(85年2月14日)は、実に同局の歴代視聴率17位である。アニメ化されたことで、少年ジャンプを買わない女性たちも、同作品に触れることができたのだ。アニメ化されるとは、そういうことである。



小野伸二、稲本潤一、遠藤保仁、小笠原満男、中田浩二、高原直泰… サッカーA代表「黄金世代」はキャプ翼ファン


また、同アニメ化により、まだ少年ジャンプを知らない小学生以下の子供たちもサッカーと出会い、日本のサッカー人口の裾野を広げたのは容易に推測できる。子どもたちにとって、スポーツとの出会いは早ければ早いほどいい。それが、小野伸二をはじめ、稲本潤一、遠藤保仁、小笠原満男、中田浩二、高原直泰ら1979年生まれの―― 後の「黄金世代」である。彼らは一様に「キャプ翼ファン」を自認する。

もっと言えば―― キャプ翼のアニメが80年代、世界各国(欧州・南米・中東など)へ輸出されたことで、海外でも同アニメの影響でサッカーを始めたとされる子どもたちの話を聞く。それが―― フランスのジダンやアンリ、イタリアのデル・ピエロやトッティ、スペインのイニエスタ、ポルトガルのロナウド、アルゼンチンのメッシ、コロンビアのロドリゲス、ブラジルのカカやロナウジーニョ、ネイマールなのだ。キャプ翼が世界のスーパープレイを育んだと言っても過言じゃない。

そんな日本や世界のサッカーシーンに影響を与えた『キャプテン翼』とは、なんだったのか。いかにして漫画が生まれ、アニメ化に至ったのか。アニメ主題歌「燃えてヒーロー」と共に、振り返りたいと思う。

原作者・高橋陽一と週刊少年ジャンプ編集者・鈴木清彦との出合い


『キャプテン翼』の作者は、高橋陽一先生である。1960年、東京は葛飾区生まれ。子どものころから野球少年で鳴らし、都立南葛飾高校時代の3年間は軟式野球部で活躍したという。ちなみに、その母校の略称「南葛」が、後にキャプ翼において、主人公・大空翼が通う小学校の校名になる。

先生とサッカーの出会いは意外と遅く、高校3年の6月、アルゼンチンW杯をテレビで見たのがキッカケだったそう。地元アルゼンチンが優勝し、ブラジルのジーコやドイツのルンメニゲ、イタリアのロッシ、フランスのプラティニらが若手ホープとして脚光を浴びた大会である。

時に、高3の高橋陽一青年は進路を決めるにあたり、小学生時代から描いてきた趣味の漫画を生かし、漫画家の道を志す。早速、集英社が主催する新人漫画家の登竜門「手塚賞」に応募するべく、SF短編(!)を描き上げる。ここで、応募の前にプロに見てもらおうと、週刊少年ジャンプ編集部に電話したのが運命の扉を開ける。この時、たまたま電話を取ったのが、ジャンプ編集部に配属されたばかりの新入社員―― 後に7年にも渡り、担当編集者としてキャプ翼を手掛ける鈴木清彦サンだった。

鈴木サンは持ち込まれたSF作品にはピンとこなかったものの、年の近い2人(5歳差)は、野球やサッカーのスポーツ談義で盛り上がる。この時、高橋青年の喜々として語る姿に何かを感じた鈴木サンは「スポーツ漫画を描いては?」と提案する。そして青年はサッカー漫画と野球漫画を交互に描いて、鈴木サンの助言通りに集英社の月例新人賞へ応募する。その5作目が晴れて入選し、1980年5月、週刊少年ジャンプに読切作品として掲載される。高橋陽一先生のデビュー作『キャプテン翼』である。

初期設定は南葛中学サッカー部。主人公の名は翼太郎


とはいえ、そのキャプ翼は今日の僕らが知るものとは少々違った。主人公の名は翼太郎で、南葛中学サッカー部のキャプテン。決勝戦の相手は、天才ゴールキーパー若林源三率いる修哲中学。翼と若林は幼馴染みで、南葛のサッカー部マネージャーのアキを巡って三角関係にある。おまけに作風はスポ根だった。作品のタッチとしては少々古臭く感じられた。

「このままでは連載は難しい」―― そう感じた編集者の鈴木サンは、先生と協議を重ねる。そこで出てきたアイデアが、あの「ボールは友だち」なるキャプ翼のコンセプトであり、設定を小学生に変えることで、画風はスポ根を脱して柔らかなタッチとなった。主人公・翼太郎は、大空翼と岬太郎という2人のキャラクターに分離された。かくして、読切1年後の1981年4月―― 新星『キャプテン翼』の連載が始まる。それは、70年代のスポ根とは違う、新しいスポーツ漫画を予感させた。週刊少年サンデーであだち充の『タッチ』の連載が始まる4ヶ月前の話である。

キャプ翼は連載開始3ヶ月ほど、読者アンケートの順位が下位に低迷する。しかし、同年7月、南葛小と修哲小の対抗試合(驚くことに、小学生の試合で実況アナウンスがある!)が延長線となり、ケガで出場できなくなった石崎了(坊主頭で、顔面ブロックのアイツです)に代わり、転校生・岬太郎が登場するあたりから人気が上向く。一人のスーパーヒーローがチームをけん引する70年代のスポ根とは違う、チームプレイで勝利を掴むキャプ翼の真価がいよいよ発揮される。



80年代初期の日本のサッカー環境


さて、ここからはキャプ翼のアニメ化に至る話である。いわゆる “もう一人の主人公” 岬太郎の登場で、人気が軌道に乗った『キャプテン翼』――。とはいえ、肝心の日本サッカー界は暗黒の80年代の真っ只中。オリンピックは銅メダルを獲得したメキシコ大会を最後に、ミュンヘン以降、アジア予選で敗退を重ね、ワールドカップに至っては、1954年の初参戦以来、まるで歯が立たない状況だった。

その一方、1977年に国立競技場でペレの「引退試合」を開催して7万人を動員したり、79年にはFIFAワールドユース選手権を日本に招致して、アルゼンチン代表のマラドーナが6ゴールを決めて日本にマラドーナブームが到来したり、81年からは、欧州と南米のクラブチームによる世界一決定戦「トヨタカップ」が中立国・日本で毎年開催されるようになったりと、世界レベルのサッカー熱は高まりつつあった。要は―― 世界と日本のサッカーの壁を壊すキッカケを、誰もが探していた。

そこへ目を付けたのが、テレビ東京だった。

テレビ東京と日本サッカー界の深い絆


意外と知られていないが、テレビ東京と日本サッカー界には深い絆がある。1968年から88年までの20年間、いわば日本のサッカー暗黒時代に『三菱ダイヤモンド・サッカー』なる国内唯一のサッカー番組を毎週放送し続けたのが、テレ東だった。欧州の国内リーグやW杯の予選、日本代表の国際親善試合などを編集して放送。サッカーファンにとって、世界のサッカーを視聴できる唯一の番組だった。

そんなテレ東が、サッカー暗黒時代とはいえ、キャプ翼のアニメ化に動くのは、もはや必然だった。思えば、テレ東の旧社名は東京12チャンネル。サッカーにとって「12」は特別な意味を持つ。それは―― 12番目の選手、つまりサポーター。日本サッカー界にとって、テレ東がサポーター的役割を担うのは、ある意味、開局以来の運命だったのかもしれない。

1982年12月、それまでテレ東内で『演歌の花道』や『年忘れにっぽんの歌』など、長年、同局の歌謡番組に携わってきた名物局員の “ネコさん” こと金子明雄サンが、局内のすべての番組を俯瞰する立場の編成部長に就任する。ある日、彼は知人宅を訪ねた際、小学3年生になる知人の息子に何の気なしに「どんなアニメを見たい?」と尋ねたところ、即座に「キャプテン翼」と答えが返ってきて、啓示を受ける――。

ネコさん、早速単行本を買って読むと、シンプルなストーリーながら、小学生が主役で、キャラクターも多彩で面白い。何よりサッカーが題材である。サッカーと言えば、局内のもう一人の “ネコさん” こと金子勝彦アナウンサーが担当する『三菱ダイヤモンド・サッカー』がある。テレ東にとってサッカーは他人事ではない。「これは、ウチでアニメ化しないと」――。

翼クンにとってボールが友だちであるように、テレ東にとってサッカーは長年の友人


早速、集英社を訪ねると、まだキャプ翼のアニメ化に手を挙げたテレビ局はないという。やはり、世間的にはサッカーは暗黒時代なのだ。そこでネコさん、「他局に渡さないでほしい」と約束を取り付け、持ち帰って編成部内で提案すると、ある問題が持ち上がる。正式決定ではないものの、翌年(83年)4月からスタートすべく、既に別のアニメ作品の準備が進んでいた。少年チャンピオンで連載中のギャグ漫画『らんぽう』である。これを今から差し替えるとなると、オオゴトになる。

加えて、「今どきスポコンものは流行らない」と、編成部内の大勢はキャプ翼のアニメ化に反対だった。しかし、ここでネコさんの一世一代の勘が働く。「今、これをアニメ化しないと、子どもたちのニーズを取り逃すことになる。それに、翼クンにとってボールが友だちであるように、テレ東にとってサッカーは長年の友人である。やろう。失敗すれば、私が全責任をとる」――。

彼の並々ならぬ思いを察したのか、間もなく編成部内もキャプ翼のアニメ化で固まる。ある意味、新編成部長就任へのご祝儀の意味もあったのかもしれない。何はともあれ、アニメ『キャプテン翼』はテレ東で放映されることになった。制作は、『らんぽう』の準備を進めていた土田プロダクションがスライドして担当。1983年10月13日、木曜19時半―― 同アニメはキックオフの笛を告げたのである。

主題歌「燃えてヒーロー」、歌うは沖田浩之


 ちょっとあれ見な エースが通る
 すぐれものゾと 街中騒ぐ
 蝶々サンバ(蝶々サンバ)
 ジグザグサンバ(ジグザグサンバ)
 アイツの噂で チャンバも走る



主題歌「燃えてヒーロー」は、作詞:吉岡治、作曲:内木弘。歌うは、沖田浩之である。沖田サンの起用は、タイトルの「ヒーロー」と彼の愛称「HIRO」をかける意味もあったのかもしれない。

ここで注目すべきは、作詞家である。吉岡治先生と言えば、美空ひばりの「真赤な太陽」をはじめ、五木ひろしの「細雪」、大川栄策の「さざんかの宿」、瀬川瑛子の「命くれない」、石川さゆりの「天城越え」など数々の演歌の名曲を手掛けた作詞家界の大御所先生。彼を起用できたのは、長年歌謡番組を手掛けたネコさんの人脈の賜物である。

とはいえ、そんな演歌の作詞家の大先生と、小学生が主人公のフレッシュなサッカーアニメの組み合わせは、様々な波紋を呼ぶ。「すぐれものゾと」「蝶々サンバ」「ジグザグサンバ」「チャンバも走る」「俺たちゃなんなの」「キリキリ舞さ」―― なんだろう、この謎の時代感(笑)。極めつけは「いつかキメるぜ 稲妻シュート」―― 断っておくが、原作のどこにも、そんなシュートは出てこない。

有名な話だが、長年、同詞の中で謎とされてきたワードに「チャンバ」がある。やれ「ポルトガル語で記者を意味するスラング」とか「岬クンの正体がポルトガル三世で、そのミドルネーム」とか様々な説が唱えられるも、2009年4月に発売された雑誌『Sportiva』の「キャプテン翼特集」で、当の吉岡先生に電話インタビューをして、長年の謎が氷解した。

「バーチャンを業界用語風に言うと、チャンバ。つまり、噂を聞いたらバーチャンも元気になって走ってしまう、そういうことですね(笑)」

恐るべし、吉岡治先生。ともあれ、そんな主題歌効果もあってか、同アニメは周囲の心配を見事に裏切り、視聴率は常時10%台後半と大ヒット。先にも記した通り、1985年2月には最高視聴率21.2%を記録する。そればかりか、長年暗黒時代にあった日本サッカーに光を照らし、やがて来る90年代のJリーグを始めとするサッカーブームへと繋がるのである。

1986年3月27日―― アニメ『キャプテン翼』は中学生編の決勝戦、南葛対東邦の両校同時優勝をもって有終の美を飾る。テレビ東京が、いわゆる「ドーハの悲劇」で同局最高視聴率48.1%を記録するのは、その7年7ヶ月後である。

80年代アニメソング大集合

▶ 漫画・アニメのコラム一覧はこちら!



2023.09.20
56
  Songlink
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1967年生まれ
指南役
コラムリスト≫
20
1
9
8
4
インパクト抜群「よろしくメカドック」の主題歌によろしくチューニング!
カタリベ / バーグマン田形
59
1
9
8
1
沖田浩之の功罪? 父母会の議題は風紀の乱れ、ABCDE気持!
カタリベ / 親王塚 リカ
66
1
9
8
1
みんな彼女に恋をした。金八先生のマドンナ、伊藤つかさはリアル少女人形
カタリベ / 指南役
84
1
9
8
1
【80年代アニソンの魅力】少年ジャンプのアニメ主題歌で再評価されるべき5人の偉業!
カタリベ / ミゾロギ・ ダイスケ
15
1
9
8
1
もし、沖田浩之の声でなければ「E気持」は問題作になってなかったかもしれない
カタリベ / 彩
15
1
9
8
3
モブキャラたちの翼クン賛歌!? キャプテン翼の『燃えてヒーロー』
カタリベ / バーグマン田形