青春時代を振り返れば、ふぅ… たいしたことはない。正直、何もなかった。そんなヤツだっている。若さゆえの熱情、心の底から湧き上がってくる衝動、ロックンロール、甘く切ない恋、そんな上等なものは一切持ってなかった。空っぽ。
周りはギラギラと輝いていたから焦りもあった。流行りの音楽だって聴いていたし恋愛もした。モテようと頑張ったりもした。でも強烈に弾けるような、そんな全力疾走をしてきたか? と、問われれば、そうでもない。気が付けば何も実現できないまま80年代はあっという間に過ぎ去ってしまった。
このまま変わらぬ生き方をしていたら、何も起こらない。そんな気がして、外の世界に出るにあたって人とはちょっと違うことがしてみたくなった。それが、自分にとって初めてのロックンロール、就職だった。
―― そして、僕はテレビディレクターになった。
人生で初めて腹の底から大きな声を絞り出したのは、ワイドショー取材で聖子ちゃんを追いかけていた時だった。
場所は後楽園ホールの駐車場、入りか出待ちで対象に突撃する、そういう状況だったから現場は騒然としていた。他局のカメラマンが位置取りで強靭な体を押し付けてくる。ライヴ会場でのモッシュなんて子供の遊びだ。皆、おまんま食うために殺気立ってる。そんな中でようやく感情に火が付いた。
「てめーら、ふざけんな! どけ! オラッ。」
痩せぎすで、弱っちぃ自分を無理やり奮い立たせて虚勢を張る。前進する自局のカメラマンの行く手をふさぐ奴らを押し返す。今日は聖子ちゃんをバッチリ撮ってやろうじゃないか!『今夜復活、紅白歌のベストテン』(※)に出演する彼女がやってくるその間隙を縫って、突撃するリポーターを守りながら前進した。
―― 僕が聖子ちゃんを初めて意識したのは、中学生のときだった。
場所は渋谷・東急文化会館5階の三省堂書店に隣接する雑貨売り場。クラスメイトから聖子ちゃんのブロマイドを買いに行くから付き合ってくれと頼まれ、「なんで一人で行かないんだよ。」と言ったら、「俺、女の子の写真とか買ったことないしさ。恥ずかしい。」なんて言っている。
あれは、たぶんマルベル堂の写真だったと思う。聖子ちゃんの写真は驚くほど美しかった。「青い珊瑚礁」が大ヒットしていた頃で、柔らかそうな白いブラウスを着て笑顔をみせていた。世の中にはこんなに可愛らしい人がいるんだな、天使みたいだ。そう思い胸がときめいた。
念願のブロマイドを手に入れて友人ははしゃいでいたが、そのときの僕はちょっとばかり冷めていたと思う。人生で聖子ちゃんと同じ場所、同じ時間を共有する、そんなことは今後たぶん訪れないだろう。芸能界はいつも雲の上にあり、触れることのできないものとそう信じていた。当時、思春期特有の劣等感を抱えていた僕はキラキラと輝く彼女がまぶしすぎて、テレビに映った姿を直視することさへできなかった。
―― それから14年の月日を経て、僕は騒然とする後楽園ホールの駐車場にいた。そして民放キー局全社のワイドショークルーが、すっかりと大人っぽく成長した “聖子サン” にジリジリと詰め寄っていた。
「聖子サン、聖子サンッ!」
リポーターがマイクを彼女に差し向けて名前を叫んだその瞬間、「どけ!小僧ッ!」という声が聞こえた。僕はバランスを崩し足元をすくわれて、ふらふらと聖子ちゃんの前をかすめて転倒する。ライバル局のカメラマンが僕を思い切り突き飛ばしたからだ。
結果、そのときの映像は全国のお茶の間に流れてしまう。ここイチバンという場面で聖子ちゃんと丸被りしてしまい、編集でカットすることは不可能だった。
放送が終わると買ったばかりのムーバにひっきりなしに友達から電話がかかってきた。通り過ぎていく同僚たちからも声がかかる。
「オンエア、見たぜ!」
偶然が生み出した奇跡、その日は「聖子ちゃんとのツーショット記念日」となったが、僕は情けない気持ちでいっぱいだった。そしてあの日、彼女が披露した「青い珊瑚礁」はいつになくとても大人びていた。
※注:
1994年3月31日に日本テレビ系列で放送された歌謡特番。
2017.08.13
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