10月5日

時代を切り拓いた!80年代ニッポンの女性ロックボーカリスト10選

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自身の言葉で歌を歌えるようになったのは小坂明子のおかげだった?


1973年に発売された小坂明子の「あなた」はポプコンのグランプリと世界歌謡祭でグランプリを受賞し、200万枚に迫る大ヒットになった曲ですが、以前小坂さんにインタビューをさせていただいた時に、衝撃を受けたエピソードがありました。

小坂さんがポプコンに応募をした1973年当時は、女性がピアノの弾き語りで自分の言葉で歌を歌うということがどこか許されていなかった時代で、コンテストに応募をすることじたい清水の舞台から飛び降りるような感覚だったのだそうです。この「あなた」は女性作曲家として初のミリオンセラーを記録した曲であり、この曲のヒットにより多くの女性たちが自身の言葉で歌を歌えるようになったと言っても過言ではありません。清水の舞台から飛び降りてくれた小坂明子さんのおかげかもしれないですね。

70年代中盤には、ようやくフォーク・ニューミュージック系女性アーティストが自分の言葉で表現できる時代になりましたが、ロックはまだまだ男性アーティストのジャンルでした。1985年に男女雇用機会均等法が改正される時代になると、ようやく女性たちもロックで自身を表現することができるようになりましたが、そうとうの覚悟がなければ渡り歩いていけなかったと推測します。

というわけで、今回は僕がリアルタイムで青春時代を過ごした80年代に聴いてきた女性ロックボーカリストを10人ご紹介したいと思います。「えーこれってロックかよ!」と言われるかもしれませんが、あくまでも個人のセレクトですのであらかじめご了承ください。

アン・ルイス / 六本木心中


80年代の女性ロックボーカリストと言えば、この人を忘れてはいけません。そうです! アン・ルイスです。僕が彼女の存在を認識したのは1978年に発売されたシングル「女はそれを我慢できない」でした。めちゃくちゃカッコいい曲だなと思っていたのですが、いかんせん小学生だった自分には、何を “我慢できない” のかはさっぱり理解できませんでした(笑)。

そしてアンが本格的にロックシンガーとして認知されたのは、1982年に発売された「ラ・セゾン」の存在でしょう。作詞は前年に引退した三浦(山口)百恵、作曲を沢田研二が手がけ、オリコンの最高位3位を記録しました。自身でデザインをしたコスチュームも話題になり、“歌謡ロック” という新たなジャンルを切り拓いたアン。

1984年に発売された「六本木心中」は有線やカラオケを中心に話題となり、さらに1989年に発売された「WOMAN」は、90年代初頭にかけてロングセラーを記録しカラオケでもかなり歌われる曲になりました。

山下久美子 / 赤道小町ドキッ


僕の女性ロックボーカリストの最初の原体験は山下久美子です。山下久美子は1980年にシングル「バスルームから愛をこめて」でデビュー。1982年に発売された「赤道小町ドキッ」が化粧品キャンペーンイメージソングに起用され大ヒットに! この曲でブレイクした彼女は “総立ちの久美子” と呼ばれ、大学生を中心に熱狂的な人気を誇ったアーティストです。僕は、彼女のパフォーマンスにめちゃくちゃロック魂を感じました。1986年からは布袋寅泰のプロデュースにより作品を発表するようになりますが、2人のコラボレーションはその後、約10年間に渡り継続することになります。

白井貴子 / Chance!


最初に熱狂した女性ロックボーカリストは白井貴子でした。白井貴子は1981年シングル「内気なマイ・ボーイ」でデビュー。翌年に発売されたシングル「Someday」で彼女を知りました。この曲はご存じ佐野元春のカヴァー曲ですが、自分は白井貴子バージョンで「Someday」を知ったような記憶があります。1983年10月~1986年9月までオールナイトニッポンの2部のパーソナリティをつとめていた彼女でしたが、番組のジングルのきめ台詞 “今夜は今夜しかないのさ” は「今夜はIt’s Allright」の歌詞からの引用でした。 1985年には、CMソングに起用されたシングル「Chance!」をヒットさせ、女性ロックボーカリストとしての確固たる地位を確立していきました。収録アルバム『Flower Power』もオリコンのTOP5入りし、日本武道館、西武球場のコンサートも大成功させています。

中村あゆみ / 翼の折れたエンジェル


80年代の女性ロックボーカリストで、僕がもっとも熱狂したアーティストは中村あゆみでした。当時、尾崎豊ファンだったこともあり、あゆみの存在を “女・尾崎” 的に崇めていたのです。あゆみは、白井貴子同様オールナイトニッポンの2部をつとめていたので、毎週ラジオを聴いていましたが、1回だけ送ったハガキを読まれたことがあり、とても嬉しかったのを憶えています。「翼の折れたエンジェル」が大ヒットした時は嬉しかったですし、ちょっと遠い場所へ行ってしまったような気持ちになり寂しくもありました(ファン心理って微妙ですね…)。オールナイトニッポンのエンディングテーマだった「悲しみのセンセイション」を聴くと、だんだん空が白み始めてきた午前5時の空気感を思い出します。

1985年8月31日に日比谷野外音楽堂でレベッカとジョイントコンサートを開催したことがきっかけとなり、約10年間にわたり、毎年8月31日にコンサートが開催されるようになりました。ファンの間では8月31日を「あゆみの日(AYUMI DAY)」と呼ぶようになり、1990年には横浜アリーナで「AYUMI DAY」が開催されました(もちろん僕も参加しました)。1989年にはCMソングに起用された「ともだち」を大ヒットさせています。

渡辺美里 / 追いかけてRAINBOW




80年代に自分が熱狂したアーティストに渡辺美里がいます。渡辺美里は当時白井貴子と同じ事務所だったため、白井貴子のオールナイトニッポンに出演していました。当時、まだ高校生だったこともあり内緒で出演していたのだと思いますが、そのあたりの緩さも含めて80年代なんですよね(笑)。

1986年に1位を獲得した「My Revolution」がヒットする前にすでにアルバムを聴いていましたが、これも白井貴子の影響だったと思います。ファーストアルバム『eyes』に収録されている「追いかけてRAINBOW」は白井貴子の提供曲だったんですよね。

その後の美里の活躍はご承知の通りですが、1986年のセカンドアルバム『Lovin' you』から1993年の『BIG WAVE』まで7作連続オリジナルアルバムが1位を獲得し、1986年に始まった西武球場のライブも連続20年間継続するという大記録を打ち立てています。僕自身も西武球場のコンサートへは何度も足を運びましたが、西武球場でコンサートをやるアーティスト=ロックボーカリストという図式があったんですよね。

レベッカ / フレンズ




レベッカはボーカルのNOKKO率いるバンドですが、1985年に発売された4枚目のシングル「フレンズ」がドラマの主題歌に起用され大ヒットになります。4枚目のアルバム『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』から解散直前にリリースされた『BLOND SAURUS』まで4作連続でオリコンの1位を獲得していて、80年代後半の彼らの活躍ぶりには目を見張るものがありました。

当時忙しすぎてレコーディング中に歌詞を書いているような状況の中、スタジオの下にはマスターテープを工場に運ぶための車が止まっていたそうで、スターになるということは目に見えない大きなプレッシャーと闘いながら活動することなんだな… 感慨深い気持ちになったのを憶えています。今年2022年もレベッカのコンサートが行われるそうなのでファンの方は楽しみでしょうね。

小比類巻かほる / Hold On Me


この方をロックと呼ぶのは賛否ありそうですが、僕とっての “Kohhy” はロックボーカリストなのです。Kohhyは1985年にシングル「Never Say Good-Bye」でデビュー。1987年に発売されたシングル「Hold On Me」がドラマの主題歌に起用され大ヒットを記録し、紅白歌合戦に出場するという快挙も成し遂げています。意外なことに80年代に活躍したロックボーカリストって、あまり紅白に出場していないんですよね。

「Hold On Me」を収録した3枚目のオリジナルアルバム『I'm Here』はオリコンのCDチャートで1位を獲得する大ヒットになりました。アルバムのタイトル曲である「I'm Here」はマーチンこと鈴木雅之が作曲した名バラードですが、朝帰りをした時に思わず口ずさんだ、勇気が湧いてくる名バラードです。その後レコード会社を移籍し、1989年に発売されたオリジナルアルバム『TIME THE MOTION』に収録された「MIND BELLS」「BLISS」はプリンスのプロデュースで、当時非常に話題になりました。

プリンセス プリンセス / Diamonds




プリンセス プリンセスは1986年にミニアルバム『Kissで犯罪』でデビューした、ボーカルの奥居香率いる5人組ガールズバンドです。デビュー当時はなかなかヒットが出せずに苦戦した彼女たちでしたが、1988年に発売されたシングル「GO AWAY BOY」が化粧品のCMソングに、「GET CRAZY!」は月9ドラマの主題歌に起用され、バンドの存在が広く知られるようになりました。

1989年にはガールズバンドとして初になる日本武道館の公演を成功させ、7枚目のシングル「Diamonds」はミリオンセラーを記録する大ヒットに。その後、1996年に解散するまで多くのヒット曲を世に送り出し、ガールズバンドブームの先駆けとなったアーティストとして、音楽界の歴史に深く刻まれたバンドになったのでした。

浜田麻里 / Heart and Soul


80年代を代表する女性ロックボーカリストに浜田麻里がいます。歌謡曲やニューミュージックしか聴いてこなかった自分にとって “ヘビーメタル” は未知のジャンルでした。1983年に、「麻里ちゃんは、ヘビーメタル。」というキャッチコピーで、アルバム『Lunatic Doll〜暗殺警告』でメジャーデビューした浜田麻里ですが、僕が最初に聴いたのは1985年に発売された3枚目のアルバム『MISTY LADY』でした。タイトルナンバーの「MISTY LADY」は思いのほかポップで、最初に聴いた時には何故か安心したのを憶えています(笑)。

1988年に発売されたシングル「Heart and Soul」はNHK「1988年ソウルオリンピック」イメージソングに起用され初のTOP10入りを果たすヒットになり、浜田麻里の名前が広く知られるようになったのでした。

SHOW-YA / 限界LOVERS




日本の女性ロックシーンの中で、カリスマ的な存在として知られているのがSHOW-YAです。SHOW-YAはボーカルの寺田恵子率いるガールズバンドですが、1985年にシングル「素敵にダンシング(Coke Is It)」でデビュー。デビュー当時はアイドルバンド的な売り出し方をされていましたが、1989年にハードロック路線によるシングル「限界LOVERS」がCMソングに起用され大ヒットに。同年にリリースされた「私は嵐」もヒットさせています。

SHOW-YAといえば1987年から開催されたコンサート『NAONのYAON』を忘れてはいけません。ボーカルの寺田恵子が「女性だけでコンサートをやりたい」という発言がきっかけとなり開催されたイベントです。このイベントは1991年まで毎年日比谷外音楽堂で継続して開催されましたが、その後も不定期で開催されている “女の祭典” です。

―― ということで、時代を切り拓いたニッポンの80年代女性ロックボーカリスト10組をご紹介して参りましたが、いかがだったでしょうか。今回紹介したアーティストは現在でも活躍しているそうそうたるメンツです。女性ロックというジャンルが確立されたのは、言うまでもなく彼女たちが道なき道を切り拓いてくれたおかげです。是非これを機会に彼女たちの音楽に再び注目してみて下さい。

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2022.06.09
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カタリベ
1967年生まれ
長井英治
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