花の82年組デビュー前の時点で知名度トップはパンジーだった
今でこそ「アイドル豊作の年」として認識されている1982年だが、“花の82年組” としてくくられるアイドルたちもデビューからすぐにブレイクしたわけではない。シブがき隊と中森明菜、そして前年末にデビューした松本伊代以外は、翌年1983年春頃にブレイクしていった。
田原俊彦、松田聖子、河合奈保子、柏原よしえ、岩崎良美、三原順子などがデビューして80年代アイドルの時代の幕が開いた1980年に比べると、1981年は近藤真彦の一人勝ち状態であり、女性アイドルの座は空席があると見られていた。
そのため、大手から新進の事務所までが一斉に女性アイドルをデビューさせたのが1982年の春から初夏にかけてだ。
小泉今日子、堀ちえみ、早見優、石川秀美、三田寛子、つちやかおり、新井薫子、伊藤さやか、水野きみこ… 続々とデビューが告知されるものの誰が売れるのか分からない混沌とした状況であった。
そんななか、デビュー前の時点で知名度が飛び抜けていたのは、北原佐和子・真鍋ちえみ・三井比佐子からなるユニット “パンジー” だった。
オスカープロモーションが初めて手掛けたアイドルユニット
今や売れっ子俳優を多数抱える大きな芸能事務所であるオスカープロモーションだが、当時はモデル事務所であり、“パンジー” が初めて手がけるアイドルだ。
初めてのアイドルなので、当時の売れるパターンを考えて戦略を練ったことはよく分かる。
同じ事務所だがレコード会社は別々のソロアイドルをユニットで売り出すのは「たのきんトリオ」方式。そして、歌手デビューの半年前から日本テレビの2クールのドラマに本名で出演して知名度を上げるという “松田聖子方式” も採用。
松田聖子はドラマ『おだいじに』に松田聖子という役名で登場したように、パンジーは榊原郁恵主演のドラマ『先生は一年生』に毎回居酒屋でたむろっている女子大生3人組役で、芸名を役名として出演していた。
当時の売れる方程式を踏襲して、知名度も抜群だったパンジーに目をつけたのが映画会社の松竹だ。
ソロデビューした北原佐和子、真鍋ちえみ、三井比佐子
1970年代は新御三家や桜田淳子(のちに東宝に移る)が主演するアイドル映画を作っていた松竹だが、80年代になるとアイドル不在の状態となっていた。
東宝は “たのきんトリオ” を抱え、東映は松田聖子(1983年以降は東宝に移る)シブがき隊、そして角川映画を配給することで薬師丸ひろ子の主演映画も抱えていた。
70年代の新御三家、そして東宝の “たのきんトリオ” のような存在にするべく、パンジー主演映画『夏の秘密』の制作、そして秋に公開することを春の時点で大々的に発表した。
原案には、松竹の助監督から脚本部、そしてプロデューサーも務めた人気ミステリー作家の小林久三氏を起用。監督は、助監督出身の新人・川上裕通氏。爽やかな青春ミステリー映画になると、この時点では思われていた。
ところが、3月19日に「マイ・ボーイフレンド」でデビューした北原佐和子はそこそこヒットしたがブレイクにはほど遠く、5月1日に「ねらわれた少女」でデビューした真鍋ちえみは他の多くの女性アイドルの中で埋没。6月1日に「月曜日はシックシック」でデビューした三井比佐子は、浅田美代子や大場久美子を凌駕するような破壊的歌唱が一部の好事家の間で話題になるも、知名度はまったく上がらず。
映画撮影も決して順調ではないようで、漏れ伝わってくる話は伊豆諸島で撮影する予定だったのが小田原に変更になったなど、爽やか青春ミステリー映画なイメージが薄れる情報ばかり。
そんななか9月18日に映画公開が決定し、その直前に原案だったはずの小林久三氏による小説『夏の秘密』(KADOKAWAノベルズ)が発売された。赤川次郎を彷彿とさせる、アイドル映画原作らしい爽やか青春ミステリー小説となっており、この物語なら映画『夏の秘密』も期待できそうだ、と筆者は安堵した。
パンジー主演映画「夏の秘密」公開
映画『夏の秘密』は、MIE初主演映画『コールガール』と二本立てで公開された。アダルトお色気路線の『コールガール』と、爽やか青春ミステリーはちょっと食い合わせが悪いかなと、一抹の不安を抱きながら映画館に向かった。
その一抹の不安が見事に的中。原作小説とは似ても似つかない、陰々滅々としたトーンの映画には「爽やか」「青春」要素は非常に希薄。物語の中心はパンジーではなく、熟年女優の松尾嘉代だった。
映画の物語は、戦後の復興期に風俗嬢だった松尾嘉代が暴力的なヒモ男に妊娠させられ、出産した娘を孤児院に預け欧州へ逃げる。そこで知り合った外交官と結婚し、上流階級の奥様として日本に戻るも、息子が入学した高校には彼女の過去を知る教師がおり、そこに孤児の北原佐和子が転校してくる。
必死で築き上げた人生が崩れることを恐れた松尾嘉代が、教師と彼の交際相手の女性を連続殺害、そして最後は刃を実の娘である北原佐和子に向ける、という内容。
脱ぐは喚くは脅すは殺すは夜叉になるは出刃包丁引っ提げて実の娘を追いかけるはと、全編松尾嘉代が大活躍! そして事件を探る元刑事役の若富三郎が渋い演技を見せる。
1982年当時にしても古めかしい作りの映画は、アイドル映画というよりも『土曜ワイド劇場』で放送する方がしっくりくるテイストとなっていた。
「夏の秘密」ラストシーンで実感した監督の力量と誠実さとパンジーへの愛情
日本でも数少ないパンジーのファンであった筆者は、当時高校三年生。あまりといえばあまりの映画の出来にショックを受けて、その不満を直接監督にぶつけなければ気が済まないと、正直な思いを吐露した手紙を書き、松竹に送った。すると時をおかずに監督からの返信が届いた。その手紙にはこう書かれていた。
「君の言うことはもっともです。パンジーには責任はなく、すべては僕の力が足りなかったのです。もしまた映画を撮る機会があったら、パンジーを再び仕事がしたいです」
田舎のクソガキが送った批判を受け入れて、きちんと答えてくれるその誠実さには正直、驚いた。その翌月、原案原作の小林久三氏が雑誌『キネマ旬報』で連載していたエッセイ「雨の日の動物園」で、『夏の秘密』の制作の顛末を語った。そこには、
「松竹が期待するようにパンジーがブレイクしなかったことで、新人監督の作品に口を出してくる人が増えてきて、監督の思う方向の作品が作れなくなってしまった。その状況を見て、少しでも助けになればと思い急遽原作小説を執筆することにした。完成した小説を読んだ監督は『もうちょっと早くこの原作があればよかったです』と悲しそうに笑った」
… と記されていた。それを読んで、田舎のガキだった筆者は新人監督に対してなんと残酷なことをしてしまったのだろうと、深く反省したことを覚えている。
昨年、CS放送で久しぶりに『夏の秘密』を鑑賞した。たしかにアイドル映画としては暗すぎるし、パンジーが目立たなさすぎるのだが、思い通りにはいかない環境でも物語を破綻させることなく一本の作品としてまとめあげた監督の力量と、作品を投げ出さなかった誠実さを感じた。
映画のラストは、小田原の黒砂の海岸に寝転ぶ水着のパンジーの姿を映しながら、真鍋ちえみのセカンドシングルである主題歌「ナイトトレイン美少女」を、パンジー3人で歌うバージョンが流れる。
これは1975年の東宝映画『花の高2トリオ 初恋時代』へのオマージュだと気づいた。
中三から高三までトリオとして活躍した、森昌子・桜田淳子・山口百恵の唯一の映画主演作であり、その主題歌「初恋時代」は桜田淳子ソロバージョンが桜田のオリジナルアルバムに収録されているが、映画では3人で歌うバージョンが流れた。
アイドル映画として成立したとは言い難い作品だが、しかしパンジーへの愛情をしっかり感じるラストに、なんとも苦い感傷が込み上げてきた。
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2022.05.01