吉田美奈子。
日本を代表する女性シンガー。R&B を歌う草分け的存在であり、その実績は現在活躍する多くの女性ヴォーカリストたちに、今なお影響を与え続けているといっても過言ではないだろう。
独特の節回しや、艶やかで伸びのあるベルベットボイスは、彼女が歌い上げる世界観を思う存分表現する。僕が初めて吉田の存在に気がついたのは山下達郎からだった。
高校生の頃、バンドで達郎の曲を散々コピーしていたこともあり、その流れに乗ればこの曲に出会うのは必然だった。達郎が歌う「時よ」(『IT’S A POPPIN’ TIME』収録 / 78年)を聴いた僕は、一瞬で心を持っていかれてしまった。そして、「FUTARI」(『FOR YOU』収録 / 82年)というバラードにもいたく感動した。そのどちらの作品も吉田の作詞であった。
さて今回は、この二つのバラードの歌詞を比べ、そして深読みすることで、吉田美奈子が描く詩の世界を探りたいと思う。もちろん私的であり、ある意味曲解になるので読まれる方は「こんな考え方もあるのか」と、寛大に受け止めて欲しい。
■「時よ」と「FUTARI」は、どちらもひとつの部屋を舞台にした別れの曲
曲としては「FUTARI」の方が後にリリースされている。ただ実際は、どちらの歌詞が先に出来たのかはわからない。僕は、ホテルの一室で朝を迎えるまでの「彼目線」「彼女目線」の違いだと解釈している。では何故そう思ったのか? 歌詞を追って紐解いてみたい。
僕はまず「FUTARI」の歌詞のこの部分に注目した――。
溶け合う影に忍んで来るのは
すべてを覆うただ闇の夜
夜がこのまま暗闇へ沈んでも
二人継がれた心は隠せない
愛に満たされた世界。信頼する人の声さえも、堕ちてゆく二人に届くことはない。ただ、好き合ってはいけないという事実だけが重くのしかかってゆく。二人の愛は、本物なのに… と、僕は妄想全開で解釈した。何故なら、次の歌詞で「愛が深いとこんなにも悲しい」とあるからだ。「悲しい」という言葉は “避けられない別れ” を意味している。
寄り添う影が溶けたらそれで
もう決して離れないから 僕は
心を継ぎ合えたらそれで
もう決して離れないから 僕は
この部分、決して離れないのは「心」であって、僕らは別れることになるけれど心は離れることはないという男性側の心情(あるいは言い訳)とは考えられないだろうか。
もちろんバックコーラスにある「We’re together and eternally(私たちは一緒に、そして永遠に)」という歌詞を意訳すれば「僕たち結婚します」に捉えられるけれど、僕は「結ばれないけれど、二人の心は永遠に繋がっている」と妄想を膨らませた。
さて、ここでもう一つの曲「時よ」の歌詞を突き合わせてみる。
秘かに会った あの日の二人
かなわぬ恋と 知ってても
しぐさの裏に 隠されている
言葉の意味が 重すぎて
こちらは彼女目線である。直観的に不倫と理解できる言葉の数々。
先ほど「FUTARI」で綴られていた「もう決して離れないから 僕は」という歌詞が、「時よ」の歌詞「しぐさの裏に 隠されている」言葉の本当の意味であって、彼女は迫りくる “別れ” を静かに受け止めているのだろう。僕の中で「FUTARI」と「時よ」が、ここで完全に繋がった。
二度と会うのは やめにしようと
心おさえて さよならを
どちらともなくこの結末を知っている…そんな切なさを、わずかな行数に収める類稀なるセンスに脱帽せざるを得ない。ドラマでいう「枷(かせ)」だ。好き同士でありながら結ばれることは許されないという狂おしいまでの気持ちに胸が張り裂けそうになる。
そしてここから曲調はドラマチックな展開を見せ、“その時” に向かってゆく。
夜が明けてゆく
別れの時が来る
苦しいほどに あなたを僕は
抱きしめる
抱きしめる
抱きしめる
以前、吉田美奈子が歌う「時よ」のライブ映像を観た。3分30秒にも及ぶ間奏があり、彼女がベッドの中で愛する男に囁くように語りかける演出があった。
「時計を見ないで… 随分長い時間ここにいるね。今、何時?… もうそんな時間… もう少し、もう少し大丈夫でしょ」
それはもう生々しいひとり芝居であり、この情感を作り出すにはこうした経験がなければ不可能だと感じた。そう、この曲は吉田の内省的な部分、あるいは経験を露わにした作品だと断言したい。
―― と、ちょっと考え過ぎちゃいましたかね(笑)。いつか僕のこの妄想話を、吉田美奈子本人に問いてみたい。冷笑されて終わってしまうかもしれないけれど。
■バラードの定番 “ハチロク” を、吉田美奈子は何故選ばなかった?
山下達郎は、「時よ」を “ハチロク” と呼ばれる8分の6拍子のバラードに仕立て上げている。対して吉田の歌う「時よ」は8分の3拍子だ。このこだわりはなんだろう? 吉田の作曲はバラードでありながら “ワルツ” の雰囲気を取り入れていて、リズムを変えた達郎の重厚なバラードとは一線を画す。聴き比べると似て非なるものだと理解できるだろう。
「ワルツ」とは円舞曲、あるいは舞踏曲であり、優美な社交ダンスに使われるリズムだ。吉田は、この別れの曲をただ哀しみに暮れるのではなく、少しでも華やかに演出しようと思ったのではないか? そこに吉田の持つ女性らしさやセンスを感じてならない。
不倫の曲も然り。今や不倫を許さない社会風潮は徹底的だ。それでも人は人を好きになる。愛してしまうという人間の性は否めない。ただ、ふとした瞬間に「ちょっと心が揺れた」なんて経験をしたことがないだろうか?
人間だもの、本能的に “好き” が止まらないことだってあるはずだ。だからこそ人は心に反して別れを決めた “さよなら” に揺さぶられてしまう。そういった感情を曲で表現できるとは… 天賦の才というのは、きっとこういうものなのだろう。
さて、この「時よ」であるが、一十三十一のアルバム『Synchronized Singing』(2005年)でカヴァーされている(彼女は師と仰ぐ達郎バージョンで歌っている)。また最近では、2016年に公開された映画『フローレンスは眠る』に採用された。吉田美奈子を敬愛する小林兄弟監督の熱いラブコールの末、音楽を全面担当した森俊之のピアノにより、エンディングでは、このためだけに歌う吉田の新バージョンを聴くことが出来る。
名曲とは、斯くしてリスペクトするシンガーに歌い継がれ、また映画やドラマの主題歌、挿入歌に使われるなど、幾度となくスポットが当たるものだ。デビューから四十数年の歳月を経て色褪せない吉田美奈子の存在感は圧巻… 今なお精力的に活動する姿は、より一層輝きに満ちている。
2019.03.01
Apple Music
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YouTube / junglewalk2010(曲は1分6秒から)
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